『香水のまとい方』究極版 LESSON 2
前回は、まず、香水のつけ方を決める上で知っておきたいメカニズムである香料の「蒸発」という科学的
な側面を、香りの科学解説者であるYayoiさんの導きにより紐解いてゆきました。
今回は、香水のつけ方の基本とされる「パルスポイント(脈拍点)につける」について、肘の裏、手首、首元などそれぞれのパルスポイントで、どのような効果の違いが生みだされるのかを、世界的名香を世に送り出ししてきたスター調香師の方々が語る言葉を追いながら読み解いていきましょう。
この記事の共著者:香りの科学解説者 Yayoiさん(@SciTechHubLLC)
物質分析と社会をつなぐ技術情報ハブ_サイテックハブ合同会社代表
https://scitech-hub-llc.com/
博士(化学)、調香師。香水の科学な側面をXでつぶやく。幼少期より香りの不思議に憑りつかれ、2000年代初頭に出会った「コートダムール|ラルチザンパフューム」の香りが、記憶には無いはずの“秋の南仏の誰もいない海岸風景”を鮮明に想起させた、という衝撃から、7年間調香師に師事し調香を学びDIPROMA取得。ひとに創造力と想像力をもたらす映画・音楽・香水を愛す。20世紀末のファッション雑誌記事を読むことが趣味。
1.「パルスポイントにつける」ということ
Q(カイエデモード) ―― 香料が蒸発していくという科学的な観点から、香水を「パルスポイント(脈拍点)につけること」は、どのような意味があるのでしょうか?
Y(Yayoiさん) ―― パルスポイントとは、皮膚近くを比較的大きな血管が走る部位です。触ればかすかに「脈拍」を感じるポイントですが、香料の蒸発という観点から見ると、脈拍のあるなしそのものよりも、その部位の肌の温度や動き、外気への露出などが重要となります。

表【香料の蒸発に関わる表面の条件】
(前回にも登場した)表のとおり、パルスポイントは肌の上の香料の蒸発を促し、香り立たせるのには良い条件となりやすい場所です。
ここで、香水を肌の上の特定のポイントにつけるというのは、特に往年のフラコン入りの名香を想定しているように思います。つまり、もともとは現代の高性能のスプレー付き瓶に入った香水を前提にしていなかったかもしれません。そう考える理由は2つあります。
まず第一に、往年のフラコン入りの香水では、香水瓶の蓋や指先、ガラス棒につけた液体の香水を、体のどこにつけるか、その着地点を決めなければならないという切実な問いに対して、具体的に解答を提案する必要があったということがあります。
第二に、フラコンに入っているような往年の名香は香料の構成が非常に複雑かつ濃厚です。スプレーで保管すると数回の使用ですぐにスプレーが詰まったことでしょう。そのような香水では、調香師はトップノートからミドルノート、ラストノートまでの香り立ちにはこだわりをもって設計します。肌につけたあとの香料の蒸発が、調香師が思い描く香り立ちになるように、あえて使う人につけ方を提案しているように思います。
現代のファイントイレタリー製品で、一般に店頭で手に入るスプレー香水には、往年の名香と比べると香料成分が少なく、トップノート、ミドルノート、ラストノートの構成も比較的シンプルなものもあります。さらには、香りが時間的にほとんど変化しないシングルノートの香水もあります。そうであれば個人的には、つけ方をあまり気にしすぎず、自由に試してみて、自分に合うやりかたを探ってもいいと思います。
スプレー香水の素晴らしい点は、香料の着地点が厳密に決まっていなくとも、とりあえずプッシュすれば香水をつけることができます。また、現代のスプレー香水はスプレーが細かい霧を作りだす性能が上がっています。香水を肌の上の狭いポイント(点)につけるよりも、広い範囲(面)につける目的に合わせて改良されています。もちろん、スプレーをパルスポイント周辺に向けることは、ポイントを選ぶことでは同じですが、香水がつく表面がある程度の広がりを持っていると考えます。
2.パルスポイント<手と腕と肩>
ガブリエル・シャネル
ジョニー・スワーブリック(フレグランス・デュ・ボワのクリエイティブ・ディレクター)
Q ―― まず最初に、手と腕と肩のパルスポイントについて教えて頂ければ幸いです。
Y ―― 身体的に一番香水をつけやすいパルスポイントは、手首の脈をとる部分かもしれません。実際、香りを試す際に、鼻に近づけることができる部位でもあります。しかし、そのことが香り立ちにとってのベスト、というわけでもなさそうです。
Q ―― 私は手首の内側によくつけるのですが色々調べてみると、調香師のほとんどが手首の内側につけること避けるのが賢明ですと仰っていることに、びっくりしました。例えばジャン=クロード・エレナ氏はこう仰っています。
何よりも、手首の内側には香水をつけないでください。ジュエリーや時計は香りを変えてしまいます。肘の内側か首筋にスプレーするのが理想的です。そうすることで香りが最大限に広がります。
ジャン=クロード・エレナ
Y ―― 手首の内側につけた香水を擦り合わせることは、前回述べたとおり、自然な香料の蒸発や香り立ちを乱さないという意味で、避けた方がいいかもしれません。別の問題として、手首自体が日常生活で、机、や腕時計のベルトなどの何らかの触れ合う表面でやはり擦り合わせが起きます。肌の上の香料が擦れ別の表面に移ったり、皮脂や角質と混ざったりして、香りが弱くなったり、不快な香りになったりす
る可能性があります。
ジャン=クロード・エレナ氏が述べているとおり、ジュエリーや時計に使われている金属の中には、光や紫外線と同じように、表面の上で香料を化学変化させるものがあります。
手を洗う際に洗い流される部分に香水をつける前提ならば、もともと香りの持続時間が短いトワレなどを選び、手を洗うタイミングで再度つけて、リフレッシュするのもいいですね。
Q ―― 一方、手の甲について多くの調香師の方々が推奨しております。こちらもジャン=クロード・エレナ氏とジャック・キャヴァリエ氏のお言葉です。
いつでも香りのついた身体の一部を鼻に近づけて楽しみたいのであれば、手の甲や前腕の外側を使うのが良いでしょう。これらの部分はpH (pH=肌が酸性かアルカリ性かの度合い) が弱酸性で保たれているので、より正確な香りを感じられるだけでなく、わずかな産毛(男性の場合は実際の毛)の存在が、周囲への香りの拡散を助け、持続時間を延ばし、香りの余韻を助けてくれます。
ジャン=クロード・エレナ
一番良い方法は、肘の内側ではなく、手の甲につけることです。19世紀初頭からそうしてきたのは、当時はスプレーがなく、香水を肌につける唯一の方法がスポイトだったからです。手の甲は表面積が広く、温度も高いので、一日中香りが持続します。香水は左手と左腕、つまり心臓に近い部分につけてください。
ジャック・キャヴァリエ
Y ―― ジャン=クロード・エレナ氏とジャック・キャヴァリエ氏がともに仰っている通り、手の甲であれば鼻に近づけられますし、実は手首の内側を嗅ぐ仕草よりも、手の甲を嗅ぐ仕草の方がエレガントですね。うぶ毛については前回「蒸発に影響する表面の条件」の中で、面積の要素を語っています。
肌のpHについては、ジャン=クロード・エレナ氏が調香の際など繊細な香り立ちを読み取る際に気遣っている要素であることが分かります。しかし、私たちが香水を日常使いするうえではさほど気にする必要はありません。
両氏は共に歴史に残る数々の名香の作者です。ジャン=クロード・エレナ氏は香りの構成がシンプルな香水も送り出していますが、そこには繊細な計算もあるのでしょう。香水をつけた後の香料の蒸発のメカニズムを踏まえ、香り立ちへの影響を考慮してつけ方に言及している点が面白いですね。
肩は、袖のない服では肌がオープンになります。肩という面は、香水をスプレーするのに向いています。また、他人の鼻の高さにも近く、常に体温の熱と空気に触れる風の効果で蒸発が促されます。そのため、歩くたびに美しい香りの余韻(シラージュ)が残ります。
3.パルスポイント<耳と首>
Q ―― 次にファブリス・ペルグラン氏とティエリー・ワッサー氏は、共に首(喉の付け根)や耳の後ろにつけることを推奨しておられます。
私は香りを脈打つ部分(首、こめかみ、耳の後ろなど)につけるのが好きです。そうすることで感覚が刺激され、自信と喜びを感じられるからです。
ファブリス・ペルグラン
首筋や耳の後ろに香水をつけるのは、つけている人が香りを楽しむのに理想的な場所であり、ハグやキスで挨拶してくれる親しい友人が、より親密に香りを体験できる場所です。
ティエリー・ワッサー
さらにフレデリック・マル氏も以下の引用のように仰っているのですが、どうなのでしょうか?
特別な日には、首の後ろに香水をつけてみてください。体温で上昇する熱と髪の動きによって香りが拡散します。また、髪の油分は香りを長持ちさせるのに非常に効果的なので、髪にスプレーするのも良いでしょう。ただし、アルコールが髪を乾燥させてしまうので、毎日スプレーするのは避けてください。
Y ―― ファブリス・ペルグラン氏のコメントでは、香水の香りをまずは自分の鼻で存分に味わい楽しみたいという欲求に共感できます。耳の後ろは、映像などで香水をつける場面でよく見かけます。また、フレデリック・マル氏の提案する首の後ろは、耳の後ろから肌が連続しています。また、耳とは違いますが、首の後ろの髪の毛も、もし香水をスプレーするとしたらほぼ全体につけられる範囲といっていいと思います。
耳の後ろや首の後ろは、産毛も多く、香料の蒸発を促すには好条件が揃っています。特に、誰かの顔(鼻)が近づくと香りの存在が明らかになるので、親しい人に感じてもらうための香りのまとい方として推奨されます。
ただし、耳の後ろには、油っぽい匂いの物質を分泌する皮脂腺があるので、皮脂の影響で一部の香料の蒸発が抑えられ、または皮脂の匂いと混ざることで香り立ち自体が変化する可能性はあります。シャワーの後など、皮脂を洗い落とした後にこのポイントに香水をつけられればいいと思います。
耳の後ろ:よく推奨される場所ですが、皮脂の分泌量が多く、香水と相性が悪い場合があります。首の付け根や生え際など、体温が高く、香水の色が過度に変化するリスクが少ない場所を選ぶのがおすすめです。
シルヴェーヌ・ドゥラクルト
絶対に耳の後ろに香水をつけてはいけません。それは大罪です。なぜなら耳の後ろにある皮脂腺が香水の働きを妨げ、香りが変化してしまうからです。
ロジャ・ダヴ
この二人のお言葉がとても興味深いです。特にロジャ・ダヴ氏の、皮脂腺のある肌に香水をつけるのは「大罪」というのは強すぎる表現にもみえます。
しかし、氏は香料にも香りの構成にも相当なこだわり持っている調香師のようです。氏が調香する香水を前提として、表面からの香料の蒸発、香り立ちが、氏の設計通りにならない可能性の要素として、皮脂を避けて欲しいと提案しているのではないでしょうか。
Q ―― 首の後ろに限らず髪の毛はどうでしょう。
Y ―― 毛は、香料がつく面積を増やし、また頭皮からの熱も相まって香りの蒸発を促進させるのには良い場所です。ただ、直接髪の毛に香水をスプレーすると、香り立ちの問題とは別に、フレデリック・マル氏の指摘通り、確かに髪が傷みそうです。近年は、香水と同じ香りでヘア専用のオイルを出しているブランドもありますね。
4.パルスポイント<胸とお腹>
Q ―― デコルテ全体と胸の下か、胸の間、脇腹がパルスポイントとしてよく推奨されます。アルベルト・モリヤス氏もこう仰っておられます。
男性には、胸元につけることをお勧めします。そうすることで、一日を通して香りがさりげなく立ち上り、絶え間ない存在感を醸し出すことができます。女性には、首や手首が理想的な場所です。
これらのパルスポイント(脈拍点)は温もりを生み出し、香りを拡散させて持続時間を延ばし、繊細な香りのベールであなたを包み込みます。
アルベルト・モリヤス
Y ―― 胸という比較的広い範囲に男性が香水をつけるのは、体温、面積(毛)の効果からいって香料の蒸発を促進し、香り立ちもしっかり広がると思います。特に、肌の上で蒸発した香りの空気は襟から自分の鼻元に抜けてきますので、自分がどれだけ良い香りをしているかを常に思い出させてくれます。
胸元やデコルテ、腹部、腰でも、体温の熱によって香りが一日を通して穏やかに均一に広がり、香る空気が美しいオーラとなります。
5.パルスポイント<足>
Q ―― フランク・フォルクル氏は、香水を膝の裏にスプレーすることを勧めています。「こうすることで、香りを長時間浴び続けるよりも、より繊細な香りを楽しめる」というのですが、足もとに対しての香水の効果について教えてください。
Y ―― 膝の裏、太ももの内側、ふくらはぎ、アキレス腱も、動きを伴う体温の高い場所ですので香料の蒸発は促進されます。膝の裏は、ショートパンツや脚が見えるドレスを着る場合は、ここにシュッとひと吹きすれば、歩くたびに空気の動きがもたらす表面の風によってほのかに香りが漂います。
フランク・フォルクル氏が「より繊細な」というのは、足は比較的鼻から離れた位置にあり、香料から蒸発した「香る空気」がからだ全体を覆う程度まで広がった状態で、時折、鼻にも香りが届く様子を示唆していると思います。
確かに香りが長時間にわたりずっと鼻に届くより、間欠的にかすかに香らせると、香りの印象が新鮮になると思います。さらに、首の後ろと併せてつけると、周りの人に香りの余韻(香りの軌跡)を品よく残すことが出来ます。
Q ―― 宙に向かって香水をスプレーして、その下をくぐる方法はどうでしょうか?ファブリス・ペルグランも「香りを空中にスプレーして、その香りの雲の中へ直接歩いて行き、その後、香りを長持ちさせるために、脈打つ部分に直接スプレーしたり、軽くつけたりします」と薦めていますが。
Y ―― 肌の特定の場所に香水をつける代わりに、スプレーの性能を活用して繊細かつ均一に香りをまとうことができます。ただし、スプレーの霧のほとんどは空気中に拡散してしまい、実際にからだにまとわれるのはその一部になります。すると、香りの広がりを感じるにはかなりのスプレーが必要になるため、かなり香水を消費してしまいます。空間も一時的に香りで満たすにはいいかもしれません。
トップノートの印象を中心に構成されたオードトワレの軽い香水や、シングルノートのシンプルな構成の香りは比較的短時間で香りが落ち着きますので、空中の香水の霧の中をくぐるのも有効かもしれません。
この方法は、1971年にクリニークが「アロマティックス エリクシール」を発売した際に始まりました。その後、エスティローダーグループ傘下のすべてのブランドに広まりました。スプレーした下をくぐるというのは、比較的濃厚で重い香りの構成の往年の名香がパルスポイントにこだわり狙ってつけていたのとは対照的で、面白いですね。とても現代的なつけ方だと思います。
6.総括
以上、香りの科学解説者 Yayoiさんの説明により、香水が香る蒸発のメカニズムを踏まえ、世界的な調香師が香水をつけるのに良いと提案した様々な体のパルスポイントについてのコメントを読み解いてみました。
名を残す調香師は、自分が香りの構成を設計した香水は、つける人にも香りの設計を崩さずにつけて欲しい、というこだわりの一端を知った気がします。
一方で、最近のスプレー香水はカジュアルに、自分に合ったつけ方ができる自由度もあるようです。香らせ方のメカニズムを知り、自分でコントロールすることで、自信をもって香水をつけられるといいですね。
次回はそのための仕上げの解説になります。「できれば避けたいまとい方」です。どうぞお楽しみに。
