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マリリン・モンロー

『ナイアガラ』Vol.3|マリリン・モンローの作られ方

マリリン・モンロー
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マリリン・モンローのヘアスタイル

マリリン・モンローに、ロングヘアのイメージはありません。死後60年以上経っても尚、世界中の女優やファッションモデルにとって〝不滅の存在〟です。その理由は、老いを見せないというスターの永遠の願望を叶えたことと、プラチナブロンドのボブをカールした、あのハリウッド・カールによってでした。

マリリンは几帳面と言えるほど、最後までこのヘアスタイルを貫き通しました。そのため、ハリウッドスターの地位に登りつめてからは、ほとんどストレートの写真は存在しません。そのストイックなまでのセルフ・プロデュース能力の高さ。

50年代、カリフォルニアに住む女性たちの間で日焼けが大流行していました。しかし、マリリンは、日焼けしないように注意していました。その理由として、「私は全身にブロンドの輝きを与えておきたいからです」と答えています。

マリリンは3週間ごとにプラチナブロンドにブリーチしていました。必ず「ピローケースのような白さに」とリクエストしていました。そして、髪の色をキープするためにジョンソン・エンド・ジョンソンのベビーパウダーで2日ごとにドライシャンプーしていました。

マリリン・モンローに対して憧れを持つ女性は、世界中に沢山いるのですが、それを実践しようとした時、改めて彼女がただのセックス・シンボルではなかったということを痛感させられます。それはモンロー・ウォークにしてもそうなのですが、おそらく口元のほくろにしても、マリリンという人は、自分を神格化させていくことに人生を賭けた女優だったからなのでしょう。

彼女の肉体は、写真に撮っても肉体そのものだった。手を伸ばせば触れそうだった。

ビリー・ワイルダー

モンローウォークの後ろ姿美女といい、マリリン・モンローこそ、日本的な美の様式美の体現者なのでした。

ヘアスタイリストのリリアン・ウグリン。後期の『奥さまは魔女』のヘアスタイルも担当した女性。

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マリリン・モンローのメイク学

ベン・ナイにメイクアップされるマリリン。

この表情の素晴らしさ。

マリリン・モンローを生み出した男、アラン・スナイダー。

マリリン・モンローを作り出した男、アラン・スナイダーとマリリンが出会ったのは、1946年のFOXのスクリーンテストでした。それから生涯彼はマリリンのメイクアップを担当することになります。

そして、一般的に知られるマリリン・モンローが誕生したのは、1952年の『モンキー・ビジネス』を経由し、同年夏に撮影された『ナイアガラ』においてでした。撮影前に何日間もぶっ続けでマリリンとアランは、マリリン・モンローを完成させるために、完璧なセックス・シンボルの創造に励んだのでした。

  1. ≪睡眠≫まずはしっかりと5時間から10時間の睡眠を取り、素肌のコンディションを万全に整える。マリリンは全裸で寝ることを好み、そのときに身に纏うのは5滴のシャネルの「No.5」でした。
  2. ≪水浴≫温かい風呂よりも、氷のように冷たい風呂に入り全身を引き締める。
  3. ≪輝く素肌≫ドライスキンなので、最初にワセリンを顔全体に塗り込み、その上にファンデーションを使用する→ハイライト効果を生み出す。
  4. ≪立体的な唇≫当時として画期的なことなのですが、ぷくっと立体感のある唇を作り上げるために、最大で5種類の口紅を使用しています。
  5. ≪魔性の目≫7種類のショドウと白のアイライナーを駆使して、マリリンの目は生み出されます。

アランはメイクアップ以外にもうひとつの点で、監督からの絶大なる信頼を得ていました。それはマリリンは彼が部屋に居てくれると、美に対する自信が保てるという点においてでした。マリリンは、常に自分自身に不安を感じていたので、アランは何時間も優しく話し相手になってくれ、撮影に臨ませてくれる大切な存在でした。

そんな彼だからこそ、マリリンの葬儀において、彼女の最後のメイクアップも担当し、棺を担いだ唯一のハリウッド関係者にも選ばれたのでした。

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マリリン・ディプティク

僕を知りたければ作品の表面だけを見てください。裏側には何もありません。

アンディ・ウォーホル

アンディ・ウォーホル(1928-1987)は、1962年8月に、マリリン・モンローの急死を知り、『ナイアガラ』のスチール写真からモンローの肖像を切り出し、これを色違いにしてシルクスクリーンプリントに大量生産しました。

このポップアートにより、21世紀の今でさえもマリリンは、新鮮なアートのアイコンとして人々の感性を刺激する存在であり続けています。1950年代に活躍した映画女優でここまでタイムレスな人は、彼女とオードリー・ヘプバーンとグレース・ケリーとブリジッド・バルドーの4人しかいないでしょう。

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ローズ・ルーミスのファッション5

レッド&ブラック
  • レッドクラップドウールジャケット、特徴的なラペル、ひとつだけのホワイトボタン
  • ホワイトのシルクラップ・ブラウス
  • ブラックペンシルスカート、膝下丈
  • 黒のクロスストラップサンダル
  • イヤリング、ネックレス一切なし
  • スケルトンBOXハンドバッグ

ジーン・ピーターズの50年スタイルが素晴らしい。

ハーフコートのようなクロップドジャケットのスリーブに注目。

撮影中の上からの俯瞰オフショット。

純白のブラウスがマリリンの素肌に永遠の輝きを与えています。

ナイアガラの滝をバックにポーズを取るマリリン。

このクロップドジャケットが本当に素敵。

特徴的なラペル。

『赤と黒』スタンダール。夫の殺害を画策した日に着ていたような服。衣装合わせのためのテスト写真。

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セクシーさと子供っぽさの奇妙な同居

『ナイアガラ』のマリリンの最後の衣装はブラックスーツです。

撮影の合間の写真。ジャケットのラペルの雰囲気がよく分かります。

常に信頼していた演技コーチ、ナターシャ・ライテスから演技指導を受ける真剣な表情のマリリン。

フライドチキンをパクつくマリリン。この子供っぽさが危険!

「あ~足が痛いわ~」なんて、靴を脱いでしまうマリリン。

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あくびするマリリン。もう言葉は必要ありません。

私はみんなのもの、世界のものなの。才能があるからじゃないわ。きれいだからでもない。それまでほかのだれのものにもなっていなかったからよ。私はお金ほしさに映画の世界に入ったわけじゃない。有名になればみんなが好いてくれる、愛情に囲まれて暮らせるようになると思ったの。

マリリン・モンロー

官能的なマリリン・モンローも魅力的ですが、オフ・ショットのマリリンの子供っぽい姿もまたとても魅力的です。すごく孤独な子供時代を過ごして来た者だけが持つ、野生の眼。「あしたのジョー」の生き方を現実に置き換えたならば、それは間違いなくマリリン・モンローでしょう。

彼女が生きるために、女の武器を使う術を知ったのはいつからだったのでしょうか?それは共演者の耳にも届いていたことでしょう。彼女を蔑む共演者もいたことでしょう。ボロボロになっても、「よつんばいの人生をずいぶん過ごしたわ」と言っても、そう誰から蔑まれようとも、彼女は、自分の信じる道を突き進んだのでした。

マリリンは1962年8月5日に死にました。でもとうの昔に心は壊れていました。精神病により生涯、精神病院に隔離された実母の、その母親も同じ精神病院で亡くなっていました。マリリンは常にその血統を恐れていました。

そして、彼女の心の中にも明らかに狂気が巣食っていました。男性よりも女性がマリリン・モンローに惹きつけられるのは、もしかしたら、私たち女性にしか分からない、眠る狂気が刺激されるからなのでしょうか。

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ローズ・ルーミスのファッション6

喪服スタイル
  • 黒のウールのスカートスーツ、ウエストに絞りあり
  • ベレー帽
  • 白シルクラップブラウス
  • 黒のクロスストラップサンダル
  • ライムグリーンスカーフ
  • スケルトンBOXハンドバッグ

ベレー帽とブラックスーツのマリリン。

夫殺しに失敗して、逃亡を図るローズを追い詰める夫ジョージ。

殺されてしまうローズ・ルーミス。

ローズが愛用していたリップスティック。

ジャケットの雰囲気がよく分かる写真。

ブラックスーツ姿のマリリン。

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セットでリラックスした雰囲気のマリリン・モンロー。

アラン・スナイダーにメイクを直してもらうマリリン。

衣装合わせのテスト写真。

衣装合わせのテスト写真。ベレー帽あり。

作品データ

作品名:ナイアガラ Niagara (1953)
監督:ヘンリー・ハサウェイ
衣装:ドロシー・ジーキンス、チャールズ・ルメイアー
出演者:マリリン・モンロー/ジーン・ピーターズ/ジョゼフ・コットン