マドンナ略歴
- 1958年8月16日 ミシガン州ベイシティで生まれる(6人兄妹の3番目であり長女)。
- 1977年 ミシガン大学を中退し、35ドルを片手に、グレイハウンドバスでニューヨークへ。
- 1982年 「エヴリバディ」で歌手デビューを果たす。
- 1983年 デビュー・アルバム『バーニング・アップ』を発売。全米で500万枚、全世界で1000万枚を売り上げる。
3rdアルバム『トゥルー・ブルー』(1986年6月リリース)
『上海サプライズ』が生み出した唯一の宝物
「リヴ・トゥ・テル」 1986年3月リリース。全米1位、全英2位
突然、ヘアスタイルにも安っぽい装飾品にも、何もかも我慢できなくなったの。以前のイメージは完全に払拭しなきゃ、と思ったのよ。新しいスタイルは無垢で、飾り気がなく、女らしいでしょ。私は、美しくグラマラスな女性を目指したの。ブリジット・バルドーやグレース・ケリーのような。私は、今こそ、クラシカルなグラマーさが戻ってくる時代だと考えたのよ。それは、かつて、ポップ・シンガーは、一つのイメージに忠実でなければならなかったんだけど、MTVの出現によって、映画スターと同じように、作品ごとに変身することが許されるようになったことによる恩恵ね。
マドンナ ニューヨーク・タイムス 1999年
この曲は、当時の夫ショーン・ペンが主演した『ロンリー・ブラッド』(1986)の主題歌です。この時代から、主題歌付きの映画が盛んになるのですが、私は、個人的にこういった流れはあまり好きではない。映画の中で、ポップスが流れると、映画の雰囲気が急激に安く感じる嫌いがあるからです。これは明確に、人間の感情の流れを映像で見せることの放棄=歌詞につながるからでしょう。歌が流れても許されるのは、背景で静かに流れるシャンソンのようなもののみです。
しかし、映画はイマイチでしたが、この曲は、それからは完全に切り離された感じで素晴らしい情緒に包まれていました。当時、ショーン・ペンと1930年代が舞台である『上海サプライズ』を撮影していたこともあり(1985年12月より撮影スタート)、再びマリリン・モンロー・スタイルで登場します(厳密に言うと、1930年代スタイル。ドレスも同年代のフローラル・ドレス)。
この映画自体は、とんでもない駄作ですが、この映画出演がきっかけとなり、マドンナはその第1形態を捨て去り、第2形態(グラマラス・ショートカット)のヒントを掴むのでした。そして、サード・アルバムからのファースト・シングルにダンス・ミュージックではなく、バラードを選ぶことにしたのでした。マドンナは、ここから本格的に神への道を進むことになったのでした。
『リヴ・トゥ・テル』ライブ・パフォーマンス
フー・ザット・ガール・ツアー、1987年。
ブロンド・アンビション・ツアー、1990年。横浜。
コンフェッション・ツアー、2006年。このツアーでの『リヴ・トゥ・テル』のパフォーマンスは大いなる物議を醸しました。なぜならマドンナがイバラの冠を付け、オレンジのブラウスとベルベット・パンツを履き、全長6mのミラー製の十字架に磔になりながら歌うからです。バチカンやロシアの協会、さらには、イスラム教やユダヤ教の指導者たちも、この演出を批判し、ボイコットを呼びかけました。しかし、マドンナは、このパフォーマンスの演出を変えることなく最後まで続けました。