「恋人はジェームズ・ボンド」1987年以降に日本列島を直撃するスキーブーム前夜。
ビビ・ダール・ルック2 ウエスタン・スキールック
- 黒のテンガロンハット
- 白のイヤーウォーマー
- 黒のシルクのネッカチーフ
- 白のタートルネック
- 赤のウエスタン風スキーウェア、ボグナー社製
- 赤のスキーグローブ
ボンドムービーのスゴイところは、流行発信装置であるところです。流行しそうなものを片っ端から盛り込むことによって成り立っているのです。
だからこそ、この作品においては、スキー文化をラグジュアリーなものとしてではなく、より大衆的なものとして捉えています。ちなみに、日本でスキーブームが爆発したのは、1987年11月に公開された『私をスキーに連れてって』からでした。
これぞ80年代のカラーバランス!
ビビ・ダール・ルック3 原色スタイル
- 赤・青・黄・緑の四色セーター
- 緑のレギンス
- 青のレッグウォーマー
80年代ファッションの特徴をひとつ挙げるとするならば、70年代末に流行していたボヘミアンな枯れた懐古的なカラーバランスとも、パンクなテイストのブラックルックとも全く違う(もちろん同時代のコムデギャルソンやヨージヤマモトとも違う)、原色カラーを生かした元気溢れる配色が特徴です。
このビビ・ダールのトータル・ルックは、まさにそんなカラーバランスと当時大流行していたエアロビクス・ルックが融合されたものでした。
カサンドラ・ハリスこそ五代目ジェームズ・ボンドの生みの親でした。
リスル伯爵夫人ルック1 ブルードレス
- ブルーのギリシア風ドレス
リスル伯爵夫人として登場する第三のボンドガール(もしシーナ・イーストンを第三のボンドガールとするならば、彼女は第四のボンドガールだろう)カサンドラ・ハリス(1952-1991)は、1980年に、まだ無名だったピアース・ブロスナン(1953-)と結婚していました。
そして、本作の撮影時、ギリシアに妻の撮影見学に来ていたブロスナンを見たプロデューサーのアルバート・R・ブロッコリは、電光石火に打たれたのでした。
ちなみにカジノシーンは、オーストリア=ハンガリー帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の皇后エリザベートがギリシャのコルフ島に建てたアキレイオン宮殿をカジノに見立てて撮影されました。