8人目の女=ファニー・アルダンの登場。
湿っぽい役柄は大嫌い。意地悪な役柄が好きなの。変人も大好き。ジョーン・クロフォードみたいなね。彼女って実生活でも本物の意地悪だと思うわ。そういったものは隠し切れないものなの。そして、それがまた魅力的なの。
ファニー・アルダン
殺す演技のほうが愛する演技より楽よね。
ファニー・アルダン
8人目の女=ファニー・アルダン(1949-)が、物語が30分も過ぎた頃にやって来ます。漆黒と真紅の二色で自分を表現する女ピエレット。自由奔放に生きてきた女の魅力を発散させます。何よりも魅力的なのは、ミック・ジャガー、スティーヴン・タイラーに匹敵する大口なのです。
彼女ほど、シガレットの煙が似合う女性もなかなかいません。まさにルネ・グリュオーの作品から抜け出てきたような存在であり、1950年代のクリスチャン・ディオールの世界観を現代において体現しうる女優なのです。ここでひとつ気づかされるのが、ナタリー・ポートマンやジェニファー・ローレンスなどが、ディオールのミューズにはなれても、クリスチャン・ディオールのミューズには成れないという点です。
パリモード全盛の1950年代のファッションが最も似合うのは40代から50代の女性に限られるのかもしれません。
カトリーヌ・ドヌーヴとファニー・アルダン
ファニー・アルダン・ルック リトル・レッド・ドレス
- ピンク×黒×グリーンのポップ柄の白スカーフをアリアーヌ巻き
- 黒のウールトレンチコート、ライナーは赤、ベルトはサテン
- 黒のハンドバッグ
- 黒のベルベット・グローブ、赤のパイピング
- 黒のジャケット、赤のパイピング
- ゴールドリングイヤリング
- 真紅のイブニングドレス、バックスリット、中国風のサイドくるみボタン
- 黒のアンクレットローヒールパンプス
リアルすぎる濡れ場は、映画をぶち壊すわ。
ファニー・アルダン
本作の究極のシーンは、カトリーヌ・ドヌーヴとファニー・アルダンのキスシーンです。全てがまったく逆の二人、安定した上流階級のマダムと、自由奔放なストリッパー。
このシーンがおかしいのは、ドヌーヴが処女のようにアルダンに押さえ込まれ、そのペースに飲み込まれていく所にあります。女性が常に美しい瞬間とは、新しい一歩を踏み出す瞬間であり、それはあの『昼顔』においてドヌーヴが夜間飛行の香りに包まれた瞬間、禁断の扉を開く新しい一歩を決断をした瞬間にも似ているのです。
スタイリスティックスの「愛がすべて」
ファニー・アルダンの衣裳は、『裸足の伯爵夫人』(1954)のエヴァ・ガードナーや『バンドワゴン』のシド・チャリシーをイメージしたものでした。
そして、スタイリスティックスの1975年のディスコ・ヒット・ソング「愛がすべて」をニコレッタがカバーしたものに、リタ・ヘイワースの『ギルダ』(1946)の振り付けを合わせて、ファニー・アルダンが踊ります。その赤と黒の空間を見ているだけで、ファニー・アルダンという女優の凄みを堪能させられます。