1967年。新しい映画が血しぶきと共に生まれた!
映画が、本格的にファッション業界全体に影響を与えるようになったのはいつかと考える時、絶対に忘れてはならない作品があります。それは『俺たちに明日はない』です。この映画が製作され、公開された1967年以降、映画がファッション業界に与える影響は、決定的なものとなりました。
では、1967年とはどういう年だったのでしょうか?この年、アメリカ全土において、ベトナム戦争に対する反戦運動がピークに達していました(同年10月21日ワシントンで最大規模の反戦集会が開催される)。そんな中、ヒッピーと呼ばれる自然と愛と平和を訴える人々のライフスタイルが、LSDやマリファナと共に、地球上を覆いつくそうとしていたのでした。そして生み出されたのが、『俺たちに明日はない』(原題はただの『ボニーとクライド』)でした。
映画の中で、暴力を描いちゃだめだって?今では、テレビでも映画館でもニュース映像で、嫌というほどオレたちは、ベトナムでの殺戮を見せ付けられてるじゃないか?
アーサー・ペン
1967年から68年にかけて、当時の若者は、反戦運動と学生運動により闘争の日々を過ごす者達と、ヒッピー・ムーブメントという「既成事実に囚われない、今を自由に生きる」姿勢で、享楽的な日々を送る者達に二分されていました。
「両極端な時代」の始まりです。そんな時代の流れにぴったりと本作がハマった理由は、「もうハッピーエンドなんか信じない!」という時代の空気と、「滅びの美学」がそこには詰まっていたからでした。
この作品の衝撃的なラストシーンである、ボニーとクライドに情け容赦なく87発の弾丸が撃ち込まれる「死のダンス」。そして、余韻もなく現れる、THE ENDの文字。この瞬間、アメリカン・ニューシネマは誕生したのでした。
ボニーとクライドが1934年に流した血が、33年後、アメリカの映画史のみならず世界の映画史に新しい力を与えたのでした。その力とは、「暴力とセックス」を芸術の領域にまで高める力としての新しい映画の持つ力でした。そして、それはファッション業界にも、強烈な影響を与えることになるのでした。
ブリジット・バルドーのように登場するボニー
フェイ・ダナウェイだけは60年代の外観を持っています。彼女のアイメイクは60年代そのものであり、ヘアスタイルもそうなのですが、最もそのように感じさせるのは彼女の演技スタイルが極めて60年代的だったからなのです。
ポーリン・ケイル(ザ・ニューヨーカー 1967/10/13)
この作品の舞台は、1930年代の大恐慌の中西部なのですが、ボニー・パーカーに扮するフェイ・ダナウェイ(1941-)のメイクアップが半端なく本格的です。そして、そのファッションもまた本格的です。
この作品の面白い所、それは、アメリカン・ニューシネマでありながら、主人公の女性は、現実味のない豪華な衣装替えを頻繁に行う所にあります。
ブリジット・バルドーを思わせる淫靡な唇のアップから映画ははじまるのですが、そのピーチ色のリップの光沢一つとってみても、当時のイヴ・サンローランのファッション・モデルのようです。それはつまり、この「ボニーとクライド」という実在の人物を題材にした映画が、「モード感溢れるカップルが存在する大恐慌時代」という実に不思議なバランスの上に成り立っていることを教えてくれるのです。
このメイクアップ自体は、基本的にフェイ・ダナウェイが自身で行い、メイクアップ・アーティストのロバート・ジラスが補足していました。
ボニー・パーカーのファッション1
覚醒前
- ゆるくて皺くちゃの淡い桃色のデイワンピース。Vネックライン。フロントボタン。バックも深いVネック、膝下丈、七分袖のジグザグスリーブ
- ブラウンのレザーミニバッグ
- クリーム色のバレエシューズ(実にブリジット・バルドー的)
私はこの役柄が素晴らしい役だと強く感じていました。なぜなら私自身もボニーと同じような境遇だったからです。私も一日も早く南部から出たいと、何年も思っていました。彼女はリスクを負ってでも、人生を全力疾走で生きたかったのでしょう。 私は彼女がどのように感じているかを正確に知っていました。
フェイ・ダナウェイ
ボニー・ルックの誕生
ベレーなしだとチャーミングになるが、ベレーがあると、エレガントでシックになる。
セオドア・ヴァン・ランクル
本物のボニー・パーカーは身長が150cmでした。この小柄なイメージを崩さない為に、170cmあるフェイ・ダナウェイは、ほぼ全編にわたってフラットシューズを履いています。
公開当時のファッションのトレンドとは相反するスタイルであったからこそ、時が経つにつれてボニー・ルックは不動のものとなったと言えます。人々はフェイ・ダナウェイになりたかったのではなく、この映画の中のボニーになりたかったのでした。
ちなみにフェイ・ダナウェイにベレー帽を被らせるというアイデアを、監督のアーサー・ペンも1950年のフィルム・ノワール『拳銃魔/ガン・クレイジー』の主人公アニー(ペギー・カミンズ)へのオマージュとして好意的に受け止めました。ちなみに兄はファッション・フォトグラファーとしても一時代を築いたアーヴィング・ペンです。
ボニー・パーカーのファッション2
ベレー帽登場!
- ネイビーのベレー帽、前髪を出して被る
- グレーのハイゲージのロングスリーブのニット、肩にボタン
- 黄金のアール・デコ模様のネイビースカーフ。三角ドレープ巻き
- グレーのプリーツスカート
- 黒のローファー、ボウ付き
60年代のミニスカート・ブームを葬り去った映画
脚本の最初のページを読んだ瞬間に、すべてが見えました。素晴らしいものになるだろうと分かっていました。 これまでイラストレーターだった私は衣装デザインしたことがなかったので、あらゆる種類の間違いを犯しました。でもその分、私もボニーと同じように全力疾走することが出来たのでした。
セオドア・ヴァン・ランクル
世界大恐慌下の1930年代を舞台にした〝破滅的な青春映画〟によって、それまで大流行していたミニスカート・スタイルは葬り去られ、替わりに女性たちは、ベレー帽にミディ丈のスカートに身を包むようになりました。子供のようなミニスカート姿から脱皮し、女性が再び大人のエレガンス=1930年代のエレガンスへと向かい始めたのでした。
映画の中のボニーの死に様を通して、当時の女性たちの間で、エレガンスへの回帰の心が蘇えることになるのでした。ここに、史上初めて、女性の犯罪者が、モード界に影響を与えるという、それまでは想像もつかなかった現象が起きたのでした。
「もう足は出さない!」60年代のミニスカート時代に対する反逆は、「新しさによってではなく、古さによって」果たされたのでした。それは、あたかも、上流階級の手を離れ、ストリートから、スウィンギング・ロンドンというムーブメントによって〝ミニスカート〟が生み出されたように、そのアンチファッションも、30年代のストリートの女性犯罪者によって、始動されたのでした。
ボニー・パーカーのファッション3
ボニー・ルックの代表的なスタイル
- クリーム色のベレー帽
- 60年代の最先端モードであるからし色の半そでのタイトニット。ローゲージ
- 金×ブラック・ベースのスカーフ。三角ドレープ巻き
- グレーのツイードのミディスカート
- ベージュのガーターストッキング
- 黒のフラットシューズ、ボウ付き
作品データ
作品名:俺たちに明日はない Bonnie and Clyde(1967)
監督:アーサー・ペン
衣装:セオドア・ヴァン・ランクル
出演者:フェイ・ダナウェイ/ウォーレン・ベイティ/マイケル・J・ポラード/ジーン・ハックマン