弾けている大人の女性ってこんなに美しいものなの?
その部分ではソフィア・ローレンの映画の一シーンにインスピレーションをもらった。その映画で彼女は靴ひもを肩に引っ掛け、メチャクチャ早い朝の光に包まれてナポリの通りを踊りながらやって来る。
シンディ・ローパー
シンディ・ローパー・スタイル5 ピンクプロム
- ネックラインにブラウンのシフォンが施されたピンクのラメジャガードのプロムドレス
- ブラウンのポークパイハット
- 黒のフィンガーレスレザーグローブ
- スタッズベルトの重ね付け
- ピンクのセパレート・パンプス
- 黒の網タイツ
でも、これだけはわかってもらわなけりゃ。私ね。変に見せようと思ってわざとやったことは一度もないのよ。自分で、これが素敵だと思ったの。こういう格好してる時の方が自分が好きなのよ。
シンディ・ローパー
このミュージック・ビデオの中のシンディと、21世紀の日本の集団アイドルを見ていると、若さの概念の履き違えについてイヤと言うほど痛感させられます。当時30歳のシンディがなぜ世界中の女性の心を躍動させたのか?そして、彼女のその姿は、今見ても若さとパワー(いわゆるガールズパワー)に溢れているのか?
かたや、集団アイドルの若さが、ただ単に、そのバックに控える中年男性達のどす黒い欲望の産物に過ぎないフリ付け、衣装、歌詞の内容をヤラされている感に満ちているのか?そういったアイドルをファッション・アイコンとして取り上げるファッション誌がどうして痛く見えるのか?
「若さを創造性ではなく、悪魔に捧げてしまった」女の子達の集団。ただの操り人形。そこには、一切の創造性はなく、ただ単に効率よく若い娘が中年男性を利用してのし上がれるか否かというゲームの構図を見せ付けられているのです。それは結局は、どこまでも男性の力に頼らざるを得ない、惨めな女の男尊女卑の最先端を見せ付けられているような嫌な気分にさせられます(要するにキャバクラ嬢のランキングのノリ)。
シンディ・ローパー・スタイル6 パジャマ
- 豹柄パジャマ、ネックラインと胸ポケットと袖に赤の挿し色
私は長年の間にスクリーミング・ミミで手に入れたサングラスを全部持ってきて、(メトロポリタン美術館でのビデオクリップの撮影に参加した)ひとりひとりずつかけられるよう全員に配った。それがあのショットよ。
シンディが親切に(時におせっかいなまでに)ひとりひとりにサングラスを配る姿が容易に想像できます。この曲の最高の魅力は、1980年代において地球上でもっとも〝サムい〟くらいに元気いっぱいな女子をシンディ・ローパーが、素でさらけ出している所にあるのです。
ここまでノーテンキに、四角い唇で一生懸命に歌って、男を叩きながら、スカートをヒラヒラさせて前進しているのも関わらず、他の出演者たちにかなりの出番を譲っているこの人の良さ全開な所が、シンディ・ローパーとマドンナの違いなのです。
シンディ・ローパー・スタイル7 ビスチェドレス
- レッドビスチェ
- 50年代のレッド・ロングスカート
- 赤のハイヒールパンプス
- ポークパイハット
- 黒の網タイツ
- マスク・イヤリング
私の髪型、着ている服ーすべてーがファッションになった。私はブラウスを着るみたいにコルセットを身につけ、その後マドンナが私に続いて同じことをし、しばらくすると誰もがコルセットを着ていた。完全に理解されて取り入れられるって、妙な感じだった。
シンディ・ローパー
「重要なのはすべて自分でもすべて彼らでもなくて、〝私たち〟だった」そんなシンディのイメージが見事にビデオの中で反映されています。そこには、シンディだけでなく、〝楽しむ〟全ての人々が映し出されています(だからこそスネーク・ダンスがシンディよりも目立っていてもほっこりするのです)。
ケイティ・ペリーとニッキー・ミナージュ
トゥルー・カラーズ・ワールド・ツアー。1987年、パリ、フランス。
シンディ・ローパー・スタイル番外編 フレンチ・カジュアル
- 半袖シャツの前を結ぶ
- ブラウンのサスペンダー
- ブルージーンズ
このファッションのシンディが、タイムレスなフレンチカジュアルを体現していて、とても可愛いです。かなりの日本人歌手が影響を受けているスタイルです。
トゥルー・カラーズ・ワールド・ツアー、武道館。1986年、日本。
マイリー・サイラスはセカンド・アルバム『ブレイクアウト』でカヴァーしている。
VH1 DIVAS SALUTE THE TROOPS。2010年、ケイティ・ペリーとニッキー・ミナージュ。
リチャード・アヴェドンとアメリカ先住民メイク
シンディ・ローパー・スタイル8 ローリング・ストーン・ドレス
- 迷彩柄のトップスにカーキのフレアスカートのワンピース
- 膨大な量のアクセサリーと洗濯バサミ
- 黒の太ベルト
- ホワイト・タイツ
- ショートブーツ
1984年5月24日に『ローリング・ストーン』の表紙になった。リチャード・アヴェドンが写真を撮り、私はアニー・レノックスの『ローリング・ストーン』の表紙みたいに可愛く見えることだけを願っていた。なのに、彼らは私が醜く見えるような写真を使った。それを見た時は泣いて、「私がこんなに醜く見えたら、いったい誰が買うっていうの?」と思った。彼らが使わなかった写真を見てほしかったわ。はるかに良かったんだから。
シンディ・ローパー
このリチャード・アヴェドン(1923-2004)の写真が、世界に与えたインパクトは絶大でした。アメリカ先住民の戦闘化粧をモチーフにした斬新なメイクアップと、パンキッシュな赤毛、そして、タイツにショートブーツという極めて現代的な組み合わせに〝雄叫び〟のような躍動感溢れるポーズで、シンディ・ローパーの本質を捉えたアヴェドン。
このフォトは、シンディがなんと言おうとも彼女自身のファッション・アイコンとしての地位を不動のものにしたのでした。