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『マイ・フェア・レディ』Vol.1|オードリーとハリウッドのユベール・ド・ジバンシィ

オードリー・ヘプバーン
オードリー・ヘプバーン
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ハリウッドのユベール・ド・ジバンシィ

あの舞台はとても素晴らしかったわ。私が演じたい役柄の一番の希望は、そのイライザ・ドゥーリトルです。どうしてもやりたい役はこれしかありません。イライザをやらなくちゃいけないんです。

オードリー・ヘプバーン(『ティファニーで朝食を』撮影中のインタビューにて)

1963年5月23日、ニューヨークの高級ホテル・ウォルドルフ=アストリアで、ジョン・F・ケネディ大統領の46歳のバースデイ・パーティが行われました。

その時、JFKのたっての願いでハッピー・バースデイを歌ったのがオードリー・ヘプバーンでした。ちなみに、その前年のバースデイ・パーティにて、マリリン・モンローが伝説の「ハッピー・バースデイ・ミスター・プレジデント」を歌いました(1962年8月5日マリリン死去、そして、63年11月22日にケネディ大統領がダラスで暗殺されました)。

その6日後の5月29日に、オードリーはロサンゼルス・バーバンクにあるワーナー・ブラザーズのスタジオに、『マイ・フェア・レディ』の出演が決まって以来初めて訪れました(彼女がスイスからハリウッドにやって来たのは5月16日でした。初日はビバリーヒルズ・ホテルに宿泊しました)。

あんなに素晴らしい光景を見たことはありませんでした。何マイルもあるような大きな部屋の中で何百人もの女性たちが衣裳を縫っていました。刺繍をしている女性もいました。美しい羽根を飾り付けている女性もいました。たくさんのベルベットやリボンが部屋中に溢れていました。この風景を見ただけで、もうこの映画出演は価値があると確信したんです。

と、その時の興奮を、パリのユベール・ド・ジバンシィに手紙に綴って送ったほどでした。

オードリーからの手紙を受け取り、10月3日にハリウッドを訪れたジバンシィは、その壮大なる撮影現場を前にして、ただ一言「何ということだ!これだけでコレクションが6回は開けるぞ!」と圧倒されたのでした。

そうなのです、オードリー・ヘプバーンは、この作品の存在によって、ただ映画の中だけでなく、ミュージカルの世界においても神話となったのでした。

一方で、衣装合わせにやって来たピカリング大佐役のウィルフリッド・ハイド=ホワイトは、衣装デザイナーのセシル・ビートンに「本当に、こんなにたくさんの衣装が必要なのかい?」と尋ねたほどでした。

完全に非公開なセット(ワーナー・ブラザーズの26のサウンド・ステージの半分以上を使って4ヶ月半撮影が行われた)への出入りを許されたのは、オードリーの夫のメル・ファーラーと彼女の親友のドリス・ブリンナー(ユル・ブリンナーの妻)と、ユベール・ド・ジバンシィだけだった。

オードリー・ヘプバーンとユベール・ド・ジバンシィ。ワーナー・ブラザーズ・バーバンク・スタジオ、1963年10月3日。

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『汚れた顔の天使』になったオードリー

〝生きる妖精〟としての従来のイメージを覆す、うすぎたない花売り娘として登場するオードリー。

であっても、何気にテーラードジャケットを着ており……

ちゃんと見てみるとなかなかオシャレな衣装です。

オードリーはすばらしく魅力的に演じてくれた。はじめのほうのシーンはひょっとしたら・・・まぁ、どんな女優にとっても、貧しくて訛りのある言葉を話す役柄は、むつかしいところではあるがね。

ジョージ・キューカー

『マイ・フェア・レディ』の舞台設定は、エドワード7世が崩御した直後ではあるが、大英帝国の黄金時代にあたる、エドワード朝時代末期の1912年の英国・ロンドンです。

“醜さが美しさへと転換していく”21歳のイライザ・ドゥーリトル役は、女優ならば誰もが一度はやってみたいと願う、舞台劇史上最高の役のひとつです。そんな大役を当時34歳のオードリーが、演じることになりました。

何よりも、この役柄の難しさは、冒頭〝腐ったキャベツの葉っぱ〟の如く、みすぼらしい花売り娘として登場するイライザを、どんなスター女優が演じてみた所であざとくなってしまう点にあります。そして、そのボタンを掛け違えると、ドレスアップした時に女神のように大変身するイライザに対し、観客は感情移入出来なくなるという恐ろしい状況を生み出しかねません。

だからこそ、オードリーは、本作撮影前にUCLAの音声学教授からコックニー訛りのレッスンを受けたり、第一次世界大戦中イギリスの機関銃射撃手として前線にいたスタジオの小道具係のしゃべり方を丹念にメモに取り、万全の準備を進めていったのでした。

そしてあまりのプレッシャーの中で、オードリーは撮影中、これまでになく神経質になり、時に自信を喪失していたのでした。

わたしにはジュリー(ジュリー・アンドリュース)をブロードウェイで見た人たちの失望が理解できました。だから最初映画の話がきた時、引き受けたくなかったのです。でも、わたしが断ればほかの映画女優(エリザベス・テイラー)に行くと聞いて引き受けたのです。

オードリー・ヘプバーン

結果的には、この花売り娘に扮するオードリーのファッションは、無理やり汚して、サカイ(Sacai)のようなラグジュアリー・ファッションの衣装を身に着けている女性に見えます。

グリーンのロングジャケットとロングスカートとスカーフのアンサンブルは、1966年の『おしゃれ泥棒』において世界一高価な衣装(ジバンシィ)を着る掃除婦に変装した時の、ちぐはぐな印象を与えるスタイリングと非常によく似ています。

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花売り娘として登場する時、オードリーは「JOY」を身に纏っていた。

どちらかというと、上流階級の令嬢が変装しているようです。

オードリーの四角い顔の輪郭を目立たせるためにチョイスされたカンカン帽。

(1963年5月18日、オードリーが衣装部を訪れた最初の日)乱雑に集められた古着を切ったりつなげたりして、心打つイライザ登場シーンの衣装が出来上がった。マネキン人形に着せてみると、誰をも悲しい気持ちにさせてしまう衣装だ。

オードリーはイライザの薄っぺらな緑色のロングジャケットや地味なスカート、それにカンカン帽を見て、同情で胸が詰まり、まるで水から出た魚のようにぱくぱくと口を動かしながら言葉を無くしていた。

『マイ・フェア・レディ』日記 セシル・ビートン

セシル・ビートンは、オードリーの髪型をエドワード七世時代風切り下げ髪にし、カンカン帽をかぶせることで、むしろその四角い顎を強調しました。これにより、よりドラマチックな変身が可能となりました。さらに衣装は、痩せっぽちで栄養が行き届いていないイメージを与えるために、わざと大きめに作られていました。

ちなみに花売り娘の衣装の時、オードリーは、ドレスアップする時にだけ愛用していたジャン・パトゥの香水「ジョイ」をつけていました。それは「格好はみすぼらしくても、せめていい匂いをさせたいの」というオードリーの思いからでした。

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イライザ・ドゥーリトルのファッション1

フラワーガール
  • グリーンのテーラードロングジャケット、七度染め直し擦り切れさせた
  • 何気にかなりオシャレな、ベージュ色のボーダーのボタンダウンシャツ
  • エプロン
  • グレーのグラフチェックのロングスカート
  • バーガンディーのマフラー
  • 黒のカンカン帽
  • 黒のレースアップフラットシューズ

本作の振り付けはフレッド・アステアの振付師でもあるハーミズ・パン

コヴェント・ガーデンで花売りをしている下町の太陽イライザ。

どこかチャップリンを彷彿させる衣装です。

明らかにチャップリンを意識している写真。

オードリーが擦り切れたロングジャケットを着て、下町の花売り娘を演じても、優雅さが隠せません。

ポロコートを着用するヒギンズ教授のファッションも実に魅力的です。

エドワード朝時代(1901-1910)がいかに「帽子の時代」であったかが分かります。

イライザの父親を演じるスタンリー・ホロウェイ(1890-1982)は、ブロードウェイでも同じ役を演じていました。

レックス・ハリソン、オードリー・ヘプバーン、ジョージ・キューカー

本作で唯一のオスカーを獲得した巨匠ジョージ・キューカー。

ワードローブのテスト写真

同じくワードローブのテスト写真

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ブロードウェイ初演でもヒギンズ教授を演じたレックス・ハリソン

ヒギンズ教授のウールのカーディガンのシルエットがとても美しい。

エドワード朝時代の東洋趣味の反映されたチャイナボタンのジャケット。

ちょっと可愛いハンドバッグです。

オードリーは当時34歳。一方、レックス・ハリソンは当時55歳でした。

この作品の違いは、レックス・ハリソンが存在するか否かである。彼はヒギンズ教授のエキセントリックな、音声学にとりつかれてほかのことは眼中にないという側面を見事に表出した。彼のヒギンズがほかには類もなく、見るものを打つのはそのためだ。また彼は、人に語りかける口調そのままを歌にしたようなユニークな歌いぶりも考案した(それ以来さかんに模倣されている)。

ジョージ・キューカー

彼は衣装選びに対して異様に神経質で、三本のネクタイを選ぶのに一時間もかけてしまう。

『マイ・フェア・レディ』日記 セシル・ビートン

セシル・ビートンは、ヒギンズ教授を演じるレックス・ハリソン(1908-1990)の衣装に関しても最新の注意を払いました。1910年代当時の男性の帽子よりも1.5cmつばを広くしました。それはヘアピースが必要な髪と、日に焼けるのが大好きな彼の性癖をみこしてのことでした。

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イライザ・ドゥーリトルのファッション2

奇妙な帽子と芋虫のような服装
  • オレンジとレッドのフリンジつき黒のツバ広帽子
  • 茶色のコットンベルベットのジャケット、ストロングショルダー、チャイナボタン
  • カラシ色のスカーフ
  • 白の前掛け
  • 茶色のロングスカート
  • ハンドバッグ

「レディになりたければ、袖とハンカチを混同するな」

このシーンに登場するハンドバッグがなかなか素敵です。

すごい帽子です。全体的に芋虫を連想させます。

とんでもなくアンバランスな組み合わせ。

セシル・ビートンのデザイン画。

(1963年5月18日、オードリーとセシルがハリウッドではじめて会った日)オードリーと彼女の夫のメル・ファーラーが、わたしの仕事部屋にやってきた。…二人とも、わたしのスケッチブックを手にして見ていたが、突然メルが花売り娘のイライザの絵を掲げた。

「これを見ろよ、オードリー!完璧じゃないか。君が望んでいたとおりだね」
オードリーは目をつぶって子供のように微笑みを浮かべた。
「想像していた以上よ。すごいわ!」

『マイ・フェア・レディ』日記 セシル・ビートン

作品データ

作品名:マイフェアレディ My Fair Lady(1964)
監督:ジョージ・キューカー
衣装:セシル・ビートン
出演者:オードリー・ヘプバーン/レックス・ハリソン/ウィルフリッド・ハイド=ホワイト