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オードリー・ヘプバーン

『おしゃれ泥棒』2|オードリー・ヘプバーンとリッツとブラックドレス

オードリー・ヘプバーン
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オードリーが最もオードリーらしい瞬間。

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『おしゃれ泥棒』において最も印象に残るオードリー・スタイル。

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オールブラックこそ、オードリーの真髄。

黒を知る人は、白の挿し方もよく知っています。

Audrey Hepburn, How to steal a million (1966) starring Peter O'Toole

女にとってのカフスボタンは、白のショートグローブ。

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クリスチャン・ディオール製のミノディエール。

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時に少女のように見えるのもオードリーの魅力のひとつ。

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ブラックドレス撮影時のオフショット。

オードリー・ルック6 ブラックドレス
  • デザイン:ユベール・ド・ジバンシィ
  • ブラック・シャンティリードレス。ウエストにシルクのリボン
  • ヴェールのようなマスク
  • 四葉柄の黒のストッキング
  • エルメスの白の手袋
  • 黒のパンプス。ロジェ・ヴィヴィエ
  • カルティエのダイアモンドイヤリング
  • ミノディエールはクリスチャン・ディオール

ホテル・リッツのバーで、オードリーが顔にヴェールを着けて座っていた。それはこのしゃれた映画でも格別にファッショナブルな瞬間だった。

ティム・ガン 元パーソンズ・ファッションデザイン学部長

オールブラックに身を固め、オードリー・ヘプバーンが最もオードリー・ヘプバーンらしい瞬間。足のつま先から全身を舐めるように映すカメラアングルでさえも、エロスではなくエレガンスを想起させるのが、オードリー・スタイルの真骨頂なのです。そして、最後に映し出されるのが、カルティエのダイアモンドリングと、ヴェールの下で妖しく輝くシルバーラメたっぷりのアイシャドー。女性にとって至福の瞬間。それがこのシーンに凝縮されています。それは殿方をドキッとさせる喜び。

本作においてオードリーのヘアメイクを担当したのはアレクサンドルドゥパリです。その名も「クープ・アンファン66」。シャギーとブローが効いたこのショートカットは、とにかくメンテナンスが大変なのですが、オードリーは『いつも二人で』と『暗くなるまで待って』(1967)において、このヘアスタイルを進化させていくのでした。

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モッズ・ジバンシィを観る楽しみ。

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1966年。時代は思いっきりスウィンギングしていました。

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オードリー・スタイル。それは佇まいの美しさ。

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撮影のはじまりを待つオードリーとピーター・オトゥール。

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オードリーがスカーフを持つとそれは花束になる。

肩がけにしてもかなりイカすミリタリーコート。

オードリー・ルック7 ミリタリーコート
  • デザイン:ユベール・ド・ジバンシィ
  • ウールのネイビーのミリタリーコート。片結び。コートの中に入れたりもする
  • 6つボタンのアイボリーウールワンピース、ショートスリーブ
  • ネイビーブルーのストッキング。ジバンシィ1965SS
  • 白地に黒柄のスカーフ。ジバンシィ1965SS
  • 黒のハンドバッグ(ジバンシィ1965SS)にスカーフを巻く
  • 黒のエナメルパンプス。3㎝くらい。シャルル・ジョルダン
  • 白のレザーのショートグローブ
  • 頭に白縁の四角いサングラス

オードリー・ヘプバーンは最も女性的魅力とエレガンスを兼ね備えた人だ。

ラルフ・ローレン

1967年の『昼顔』においてカトリーヌ・ドヌーヴが着たイヴ・サンローランのミリタリーコート。1960年代後半に向かいファッションは様々な文化形態を吸収し、開花していく流れをこの二人の偉大なる女優は、特に競い合い、目立ちたがる風でもなくあくまでも自然体で提案しているように見えます。

エレガンスとは、自己顕示欲とは無縁のナチュラルさにあります。それは美魔女やファッション雑誌の中のモデルから感じる妙な違和感と薄っぺらな世界観とは真逆の境地であり、オードリー・ヘプバーンとドヌーヴがなぜ永遠のファッション・アイコンなのかという答えがそこにはあります。自分を飾らずに飾っていく境地。私たちはもしかしたら「自分を撮る文化」の中でエレガンスを失っているのではないだろうか?