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ヴィヴィアン・リー

『風と共に去りぬ』Vol.5|コロンを飲むヴィヴィアン・リー

ヴィヴィアン・リー
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「私はさそり座の女なの。だから最後は自分を食い尽くして死ぬのよ」

彼女は今も昔と変わらず美しかった、滑稽で、ウィットに富み、陽気だった・・・しかし、その生き生きとした表情の底の底には、絶え間なく不幸せが流れていました。

ダーク・ボガード(ヴィヴィアン・リーの旧友)

ヴィヴィアン・リー(1913-1967)は、1913年11月5日に、英国領インド帝国ダージリンで、元劇団員で騎兵隊将校のハンサムな父親と母親の間に一人娘として生まれました。祖父はインド人のハーフなので、彼女にもその血が少し流れています。

6才のときにヴィヴィアンは母親の意向でインドを離れ、単身ロンドン南西部のローハンプトンのカトリック女子修道院付属学校に転入しました(ここで後に女優となる2才年上のモーリン・オサリヴァンと友人になる。彼女こそミア・ファローの母親である)。

やがて、ヴィヴィアンは、女優になる夢を持ち、ロンドンの王立演劇学校へと入学しました。しかし、1932年12月に、13歳年上の法廷弁護士ハーバート・リー・ホルマンと結婚し、王立演劇学校を退学しました。

1937年、映画『無敵艦隊』のヒロインに抜擢され、その美貌が評判となり、英国において人気女優の仲間入りを果たします。この作品の少し前から、彼女はローレンス・オリヴィエに夢中でした。結局双方とも、離婚し、1940年に結婚しました(1960年まで)。3分間の結婚式には立会人として女優のキャサリン・ヘプバーンと劇作家ガーソン・カニンの二人のみ招かれました。

しかし、この頃より、ヴィヴィアンは、徐々に双極性障害に悩まされるようになっていました。1944年に『シーザーとクレオパトラ』(1945年)の撮影中にヴィヴィアンは妊娠し、流産します。この時、オリヴィエに怒鳴り散らし、殴りかかるという双極性障害による最初の大きな発作を起こしました。

そして、1947年、ヴィヴィアンは、テネシー・ウィリアムズの『欲望という名の電車』に出会ってしまうのでした。

ヴィヴィアン・リーの魔性の眼差し。

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スカーレット・オハラのファッション12

ワインレッドドレス
  • ベルベット×シルクのワインレッドドレス、クリノリンスタイル、ロングスリーブ

実はこのドレスは、一人目の夫が戦死した後の、喪服ドレスの色違いと言えるほどにそっくりなデザインです。この作品は、1939年にテクニカラーで作られたカラー映画初期の作品であるため、衣裳の色が語り部の役割を果たしています。

南北戦争後、妹の裕福な婚約者を略奪し、再び裕福になっていくスカーレットの財政状況が見事に反映されています。



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スカーレット・オハラのファッション13

ナポレオンドレス
  • ピーチドレス、シルクのホワイトカラー、ナポレオンジャケットのような上着部分に、黒の刺繍、肩にも黒のタッセルのミリタリーミックス、袖にはグリーンとバーガンディー色のチェックの生地。スカートの下部にも同じチェック。

ナポレオンジャケット風ミリタリードレス

美しいスカートのドレープ。

ヘアスタイルもぱっつんでキュートです。

この衣裳からスカーレットの衣裳がカラフルになります。

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グローブがその女性の社会的地位を示す。

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スカーレットのイエローグローブ。

スカーレットのワインレッドグローブ。

ヴィクトリア朝の女性にとって手袋(グローブ)は、その人の社会的、経済的地位を示すものであり、屋外だけでなく、屋内でも着用が強く推奨されました。

そして、三つの王国を股にかけて作られた最高級のものでなければ意味がないと言われました。つまりスペインの子ヤギの革を、フランスで裁断し、イギリスでそれを縫うのです。手袋は着用する人の手にジャストフィットしなければならないので、裁断はとても重要な作業でした。

手袋はとても貴重なものであり、豪華な手袋箱に保管されました。そして、昼用、夜用と、さまざまなシーンで使い分けられました。1日に4回は手袋を取り替えたと言われています。

19世紀初頭には、ジョセフィーヌ皇后が愛用したような長い手袋が流行しました。それがだんだん短くなってゆきました。19世紀も後半になると、子ヤギの革が、スエード、レース、シルクになり、1870年頃には再び長い手袋が流行するようになりました。

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スカーレット・オハラのファッション14

スレートブルードレス
  • スレートブルーのドレス、クリノリンスタイル、特徴的なジズザグ柄、シルクのホワイトカラー、プリーツスカート
  • 黒のヘッドドレスに黄色のリボン、黒ヴェールつき
  • 黄色いレザーグローブ

南北戦争後、商才を発揮し、成金となるスカーレット。

しかし、このドレスを着て、貧民窟を通過しようとし、襲われかけます。

実際に使われた衣装。

ウォルター・プランケットによるデザイン画。

1866年のファッション誌より。とてもよく似たデザインです。

メイクアップのためのテスト撮影。

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スカーレット・オハラのファッション15

貞淑な奥様ルック
  • ブロドゥリ・アングレーズ・ディテールのブラウス、パープルのリボン、Vネック
  • パープルのレースショール
  • パープルスカート

ブロドゥリ・アングレーズのディテール。

パープルのレースショール

そして、二人目の夫も死んでしまうのでした。

胸元のリボンにだけ色がついているブラウス。

19世紀の女性達は夜は編み物をして過ごしていました。

メイクアップテストの写真。

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映画の中で最も有名なオーデコロンのシーン

お酒の匂いを消すためにコロンを飲むスカーレット。

実在しないオーデコロン。

二番目の夫の死後、酒浸りのスカーレットは、突然やって来たレット・バトラーに会うときに、お酒の匂いを消すために、「Cheautard’s」というオーデコロンを一気飲みします。

香水業界において、プルーストのマドレーヌ並みに、有名なアイコニックなシーンです。彼女のブランデーとコロンの香りが混ざった口臭が、どれほど魅惑の香りであったかを連想してしまいます。

ちなみにこのオーデコロンは、元々ヴィヴィアン・リーが愛用していたMurray & Lanman Florida Water Cologneのボトルとデザインをアレンジした架空のものでした。

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スカーレット・オハラのファッション16

喪服ドレスPART3
  • ブラックドレス、クリノリンスタイル
  • オニキスのブローチ

レット・バトラーからプロポーズされるスカーレット。

ナポレオンジャケット風のブラックドレス。

このブラックドレスがとてもシックでカッコいい。

ブラックドレスのデザインがよく分かる写真。

ヴィヴィアン・リーの優雅さ。

プロポーズするレット・バトラー。

素晴らしいブラックドレスのシルエット。

メイクアップテストの写真。

作品データ

作品名:風と共に去りぬ Gone with the Wind (1939)
監督:ヴィクター・フレミング
衣装:ウォルター・プランケット
出演者:ヴィヴィアン・リー/クラーク・ゲーブル/オリヴィア・デ・ハヴィランド/レスリー・ハワード