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【ルイ ヴィトン香水聖典】世界を虜にするラグジュアリー王国

ブランド香水聖典
©LOUIS VUITTON
ブランド香水聖典ルイ・ヴィトン
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ルイ ヴィトン

Louis Vuitton 1854年にトランク専門店として創業し、今では世界有数のラグジュアリー・ブランドとなったルイ・ヴィトンが、70年ぶりにフレグランス「レ パルファン ルイ ヴィトン」(一挙、7種類の香り)を、2016年9月に、専属の調香師ジャック・キャヴァリエの調香により発表しました。

全世界で一斉に発売されると同時に、世界中のルイ・ヴィトンを愛する人々のみならず、香水愛好家の間でも大いなる話題となりました。

そして、2018年5月に、ブランド初のメンズ・フレグランス「レ パルファン ルイ ヴィトン フォーメン」(一挙、5種類の香り)が発売され、2019年4月には〝究極のコロン〟「レ コロン ルイ ヴィトン」(3種類)が発売されました。

さらに、そのすぐ後同年8月3日より、「オンブレ ノマド」が発売され、以後「オリエンタル パフューム」としてシリーズ化されることになりました。

各コレクションからコンスタントに新作が発売される中、2021年10月に〝香りのアート〟「レ・ゼクストレ コレクション」(一挙、5種類)も発売され、取り扱いブティックも拡大し、今に至ります。

ラグジュアリー・フレグランスとは、その場ですぐに良し悪しが分かるものではなく、一緒に時間を過ごし、長く使えば使うほど、さまざまな側面に気づくことができるディテールに満ちているものを指します。

ジャック・キャヴァリエ

フレグランスは、プレタポルテ以上に、より幅広い顧客層にアピールするものなのですが、あらゆるブランドからフレグランスが販売されているため人々はそれに飽きてしまいつつあります。

ルイ・ヴィトンのフレグランスは、一般の顧客様の中の1%ではなく、潜在的な香水愛用者(ニッチ層)の100%をターゲットにしています。

専属調香師を抱え、市場調査を行わないのは、ブティックにお越しいただいている顧客様にブランド力で販売するのではなく、顧客様にしっかりと説明し、驚いて頂き、使用者と香水の間により本物の関係を築き上げていきたいと考えているからなのです。

マイケル・バーク(ルイ・ヴィトンCEO)

代表作

ローズ デ ヴァン(2016)
マティエール ノワール(2016)
アトラップ レーヴ(2018)
リマンシテ(2018)
オンブレ ノマド(2018)
アフタヌーン スイム(2019)
クール バタン(2019)
カリフォルニア ドリーム(2020)
ダンシング ブロッサム(2021)
SPELL ON YOU スペル オン ユー(2021)
フルール デュ デゼール(2022)

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2012年1月2日に、ジャック・キャヴァリエが調香師に就任。

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©LOUIS VUITTON

ジャック・キャヴァリエ ©LOUIS VUITTON

ローレンス・セミチョン

香水は、インテリア商品ではありません。それはあなたの人格に合ったものであり、あなたの子供の記憶に接続されているため、あなたの人格の秘密の部分とも言えます。つまり、とてもパーソナルなものなのです。

あなたの嗅覚の記憶は、あなたの0歳から18歳/19歳までの経験に基づいています。

ルイ・ヴィトンは、ニッチなブランドではありませんが、それ以上の存在です。今日、顧客がラグジュアリー香水に求めているのは、パーソナルな体験だと思います。ルイ・ヴィトンが20種類以上もの香水を提供しているのも、そのためなのです。

人々は、多くの感情をもたらす香水を理解し、手に入れたいという需要があるのです。商業的に人気のある香水の多くは、映画と同じで、とても良いものですが、感情が欠けているのです。

ジャック・キャヴァリエ

ルイ・ヴィトンから、1946年以来のリリースとなるフレグランスを創造するために、LVMHは、まず最初にフランソワ・ドゥマシーを、2006年にフレグランス部門のスーパーバイザー兼ディオール初の専属調香師として雇用しました。

そして、しばらくシャネルで原材料の調達など長い経験を持つドゥマシーを中心に水面下で準備した後、2012年にふたつのことを決定しました。一つ目は、専属調香師。そして二つ目は、専用の畑と研究所を作ることでした。

それらの案件は、2011年4月にルイ・ヴィトンに新設されたパルファン部門の責任者に、35歳のローレンス・セミチョンがパルファム・ジバンシイ(2000-2011)から移籍したときから本格化していきました(2019年9月にディプティックの副社長に就任)。

かくして2012年12月にルイ・ヴィトンのCEOに就任するマイケル・バークの忠告もあり、ブルガリで大いなる実績を生み出してきた、ジャック・キャヴァリエを専属調香師に起用することを2012年1月2日に発表したのでした。

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『レ フォンテーヌ パルフュメ』

『レ フォンテーヌ パルフュメ』©LOUIS VUITTON

『レ フォンテーヌ パルフュメ』©LOUIS VUITTON

1996年、ルイ・ヴィトンがマーク・ジェイコブスを起用してプレタポルテを立ち上げたことはとても大きな出来事でした。私たちは新しい活動を選択するたびに、卓越した物事の中心に立ちブランドを確立することを目指します。

1997年、シューズのために、イタリアのヴェネト州に工房を作ったときもそうでした。それと同じように、今回グラースに『レ フォンテーヌ パルフュメ』を創設しました。

最初は、香水の都グラースの流行に便乗したマーケティング活動だと考える人もいましたが、私たちの真剣さ、永続的なアプローチを疑うものは、今では誰もいません。私たちがここにいるのは、香水について学びを得るためであると同時に、グラースの香水産業を復活させることを強く望んでいるからです。

マイケル・バーク

ブルガリのCEOに2月より就任していたマイケル・バークが2012年12月にルイ・ヴィトンのCEOに就任し(2023年2月退任)、2013年に当時廃墟になっていた歴史的な17世紀の邸宅を改装し『レ フォンテーヌ パルフュメ』が誕生したのでした。メゾンのフレグランス・アトリエです。

同じ建物内に、ディオールのフレグランス・アトリエもあり、当時ディオールの専属調香師だったフランソワ・ドゥマシーもそこで働いていました。

さらにコート・ダジュールのガーデンデザインの大御所、ジャン・ムスがデザインした庭園が広がっています。そこには、20種類のミントを含む世界中の450種以上柑橘類と花々が植えられているのです。

『レ フォンテーヌ パルフュメ』は、キャヴァリエが子供の頃に通っていた学校から200メートルしか離れていません。1925年から1965年にかけてがグラースの香料生産の黄金期でした。その後、衰退の一途を辿っていた中、シャネルやルイ・ヴィトン、ランコムにより、この町は復活への道を進んでいます。

グラースにある当社のジャスミングランディフローラムはロマネ・コンティの品質です。1キログラムの価格は14万ユーロ(約2300万円)です。これが、ルイ・ヴィトンとディオールのフレグランスにだけ使用されています。

ジャック・キャヴァリエ

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2016年9月、ルイ・ヴィトンの香り誕生

©LOUIS VUITTON

©LOUIS VUITTON

©LOUIS VUITTON

ルイ・ヴィトンのフレグランスが何よりも重要視していることは、グラースにアトリエを設置したことからも分かるように、天然香料を、通常のラグジュアリー・フレグランスでは使用しないほど大量に使用することです。

さらに天然香料の選択肢の豊富さと、1本の香りにかける破格のコストです。料理と同じで、同じ魚であっても、産地や鮮度が重要であるように、素材が最も重要なのです。そして、素材の良さを生かすため、たくさんの調味料を使用しないようにしています。

そしてもうひとつ重要なことは、市場調査を行わず、自由なクリエイションが出来るだけでなく、ルイ・ヴィトンがメゾンとして生み出しているすべてのものにアクセス出来る(革製品、オートクチュール、宝石など)ので、超一流のクリエイションから刺激を受けることが出来るということです。

ジャック・キャヴァリエ

ジャック・キャヴァリエがルイ・ヴィトンの専属調香師となる契約を持ちかけられた時、その2年前から家族と共に、パリからグラースに戻ってきていました。それはパリジェンヌである妻と一緒にバカンスでひと夏グラースで過ごしたことがきっかけでした。そのためこのオファーは運命のようなものでした。

ちなみに、キャヴァリエがルイ・ヴィトンではじめて商品を購入したのは、1979年の17歳の母の日のことでした。香料会社で見習いとして働いた月給1285フランを持って、カンヌのブティックでクリスマスのための赤いエピのレザーバッグを購入したのでした。

そんなキャヴァリエが、2012年1月から、2年の計画で調香が開始されたのですが、より万全を期すために2014年の発売予定が、2年延期され、2016年春、ルイ・ヴィトン本社5階に95種類の商品化可能な香りがずらりと並べられました。

いよいよ商品化する最終決定の会議が行われるのでした。出席者は、LVMHの総帥ベルナール・アルノー、ルイ・ヴィトンのCEOのマイケル・バーク、マネージング・ディレクターのデルフィーヌ・アルノー、パルファン部門の責任者だったローレンス・セミチョン、そしてジャック・キャヴァリエの5人でした。かくして、7作品が選抜されたのでした。

日本では、ゲランのトップオブトップによる特別トレーニングがルイ・ヴィトンのフレグランス立ち上げの責任者を集め行われました(フレグランスを扱ってこなかったラグジュアリー・ブランドが、新たにフレグランスを扱う場合、トレーニングを一切行わずに、突然、販売現場に置くようなことは、そのブランドを愛してくださっている顧客様に対する背信行為だと思います)。

そして、ついに2016年9月15日に、日本では、表参道店、松屋銀座店、阪急梅田店においてルイ・ヴィトン初のフレグランス「レ パルファン ルイ ヴィトン」が発売されることになりました。それはまさに約70年ぶりのルイ・ヴィトンのフレグランス発売の瞬間でした。

最後にもう一点、ボトルデザインは、Apple Watchのデザインなどにも参加しているオーストラリア人プロダクトデザイナーのマーク・ニューソンが手掛けました。特許が取られているスプレーの機構や、管の見えないボトル構造を含む、ミニマルの極致のようなデザインです。

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約70年以上前に発売された、失われたルイ・ヴィトン帝国の香り

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「Heures d’Absence (ウール・ダブソンス)」1927年。

「Heures d’Absence (ウール・ダブソンス)」。

1854年に創業したルイ・ヴィトンが、最初に香水を販売したのは、二代目ジョルジュ・ヴィトン時代の1927年のことでした。それはシャンゼリゼ店をオープンした後、このお店のVIPとなったココ・シャネルの影響を受けたと言われています。

その香水の名前はHeures d’Absence (ウール ダプサンス)でした。それはロンドン・ストアのオープニングを記念して300個限定で販売されたものでした。

「Je, Tu, Il(ジュ・チュ・イル)」1928年。

そして、1928年に二つ目の香水「Je, Tu, Il(ジュ・チュ・イル)」が発売されました。〝私、あなた、彼〟という意味です。1950年代の火事により、これらのフォーミュラが書かれた書類が、失われました。

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「Eau de Voyage (オー・ドゥ・ヴォヤージュ)」1946年。

さらに、1946年に最後の香水が販売されます。Eau de Voyage (オード・ヴォヤージュ)です。この香水は、1980年に限定販売されることになります。これがルイ・ヴィトンの最後の香水販売となりました。

現在において、これら3つの香水のサンプルは現存しておらず、「幻のルイ・ヴィトン」と呼ばれています。

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究極のラグジュアリーを追求したルイ・ヴィトンの香り

©LOUIS VUITTON

アジアはアメリカと同じくらい大きな地域なので、フレグランスによって、新しいお客さまを獲得することが出来ました。数十万人の香水顧客のうち、その半数は私たちのブティックに来たことがない人たちです。

かつてルイ・ヴィトンを手にする道のりは遠いものでした。人々は幼い頃からルイ・ヴィトンに惹かれるが、欲しいと感じた瞬間から行動に移すまで、平均7年かかると言われていました。しかし、フレグランスというカテゴリーが登場したことにより、この期間が短縮されるのです。

マイケル・バーク

そして、70年の時が経ち2016年9月から、「レ パルファン ルイ ヴィトン」が発売されることになり、2017年の1年間で1億ユーロを越える売上をあげたのでした(ちなみにシャネルの香水の年間売上は26億ユーロ、ディオールの香水の年間売上は25億ユーロです)。

そして、2018年5月に、ブランド初のメンズ・フレグランス「レ パルファン ルイ ヴィトン フォーメン」(一挙、5種類の香り)が発売され、2019年4月には〝究極のコロン〟「レ コロン ルイ ヴィトン」(3種類)が発売されました。

さらに、そのすぐ後の、同年8月3日より、「オンブレ ノマド」が発売され、以後「オリエンタル パフューム」としてシリーズ化されることになりました。

各コレクションから定期的に新作が発売される中、2021年10月に〝香りのアート〟「レ・ゼクストレ コレクション」(一挙、5種類)も発売され、取り扱いブティックも拡大し、今に至ります。

ルイ・ヴィトンのフレグランスが次に行わないといけないことは、ジャック・キャヴァリエ氏の精神を継承する、現場でしっかりとした香水販売の経験があるトレーナーの雇用と、しっかりとした基礎知識を兼ね備えたフレグランス・スペシャリスト(ゲランやディオールのようにしっかりとテストを受けて選抜されたプロフェッショナル)制度を作り上げていくことでしょう。

現在、フレグランス・トレーニングは日々進歩していることを知らないと、名ばかりのトレーナー(明らかにトレーナーとして能力不足の人間がその立場で居たりします。そうすると、現場の士気の低下に繋がります。)による、薄っぺらな数字偏重主義に傾いてしまう可能性が生まれてきます(ストーリー・シェアリング出来ているトレーナーかどうか、ここが最も重要なポイントです)。