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『シド・アンド・ナンシー』1|シド・ヴィシャスとヴィヴィアン・ウエストウッド

シド・ヴィシャス
シド・ヴィシャス
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シド・ヴィシャス覚醒前夜

デヴィッド・ボウイ・シャツを着るシド、16才の春。

トレンチコートのシド・ヴィシャスと母親。

俺は確かにバンドの中では最低のミュージシャンだ。でもバンドが目指していたものを体現しているのは俺だけだと思う。

シド・ヴィシャス

シド・ヴィシャスは、母親が渡したドラッグによって死んだと言われています。彼の母親も重度のジャンキーであり、シドがドラッグを覚えるようになったのは少年時代からであり、母親がきっかけだったと言われています。ゲイリー・オールドマンは本作の役作りのために母親の元に取材に行き、その熱心さに心打たれたシドの母親は、シドの遺品をゲイリーに託し、彼は、それを作中でつけていました。

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全てのパンク野郎どもに捧げる①レオパルド・ジレ

レオパルド・ジレを着るシドとファーコート姿のナンシー。1978年、ニューヨーク。

作中、ジャンキー街道まっしぐらの二人。

シド・ヴィシャスは、このジレを心から愛した。

レザーはジョニー・ロットンから貰ったものでした。

多くのシドの写真で頻出するレオパルド・ジレ。

「非対称の美学」。彼の写真は、常に顔が非対称です。

シド・ヴィシャス・スタイル1 レオパルド・ジレ

時代に対しての反逆精神の証として好まれるのが、レオパルド柄です。一方で、王侯貴族の証としてもレオパルド柄は好まれ、アフリカ・ザイールの独裁者モブツ・セセ・セコもレオパルド・ハットを常に着用していました。ミレニアム前後におけるギャル文化におけるレオパルド熱もそうなのですが、そこから感じる「いかがわしさ」が、若き日の反逆精神と共鳴するのです。

2010年代に入り、レオパルド柄は、しまむら愛好家のヤンキー(関西でたとえると奈良県にいるような)でさえも敬遠するデザインになりましたが、2017年に入り、ハイブランドのデザインの中で復活の兆しを見せ始めています。

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全てのパンク野郎どもに捧げる<番外編>モヘア

モヘアのセーターを着たセックス・ピストルズのメンバー。

以下、モヘアセーターとジョニー・ロットン。



ヴィヴィアン・ウエストウッドのパンク・ファッションのデザインを象徴するアイテムの一つが、モヘア・セーターです。アンゴラヤギから採れる毛を使用しており、美しい光沢と、毛足が長いのが特徴です。主に1976年から79年にかけて「SEX」からネームチェンジしたブティック「SEDITIONARIES」で販売されました。