岩崎加根子の美を封印する戦国姫メイク
徳姫ルック4
- 植物文様の総柄打掛
この作品の素晴らしさは、そこにお姫様が存在しており、女優がいないところにあります。
そして、岩崎加根子の美貌をことごとく封印するような、ある意味でグロテスクなメイクにより、和装美女のみが生み出せる物の怪の様な魔性を映像に焼き付けることに成功しています。それは間違いなく後に続く『乱』の原田美枝子、『魔界転生』の佳那晃子が演じ上げた「究極の日本美女」の原型なのです。
昔の役者は、プライベートは封印していた。
徳姫ルック5
- 茜色の扇文様の総柄打掛
- 白の小袖
中村錦之助からも岩崎加根子からも全く現代服姿が想像できません。そして、それこそが本来の役者のあるべき姿なのでしょう。かつて渥美清は、『男はつらいよ』撮影中は、生活臭が出るといけないといって、家族から離れ、一人暮らしをしていたように、そして、高倉健がプライベートを一切明かさなかったように、私生活を示すことは役者として致命的であることは間違いありません。
有名人と役者の違いは、ツイッターやインスタでオシャレ自慢なんかをして生きている連中と、芸を磨きその真髄を人々に見せる人々との違いなのです。そして、役者の神通力は、お笑い芸人なんかとテレビ番組で共演した瞬間に、チープなものになってしまうほどに繊細なものなのです。
東京五輪は、日本の美を再認識するきっかけなのです。
徳姫ルック6
- 白無垢のような幾何学文様の打掛
この作品は、シェイクスピアを原作にした映画と同じく、鑑賞者に教養を求めます。そして、物語が終盤に向かうにつれ、殿上眉とお歯黒に対する違和感がやがてはその狂言調の言葉と共に心地良く感じてしまうのは、やはり修練を積んだ本物の女優(岩崎加根子は、1949年に俳優座養成所の第1期生となり、1952年から現在に至るまで俳優座に所属している)が、本物の時代劇が撮影できる監督とスタッフと俳優によって生み出したその世界観によるものでしょう。
時代劇とは、過去に対する模倣ではなく、未来に対する創造であることをよく教える映像芸術それが『反逆児』なのです。私たちは、ここから改めて日本人女性のファッションに対する在り方、メイクに対するアプローチを見つめなおす必要があるのではないでしょうか?
ラグジュアリー・ストリートは、一見するとクールで着心地が良いでしょう。しかし、やはりこういったスタイルはアメリカで虐げられてきた人々だからこそカッコいいのであって、日本人や東洋人が着ていると、どうしても中身の空っぽさが垣間見えてしまうのです。それはガールズコレクションという名の、薄っぺらな表現力しか持たない有名人に便乗した、薄っぺらなファッションショーを連想させてしまうのです。
だからこそ、私たちは、改めて〝殿上眉〟について再評価を下す時期に来ているのです。日本の美は、40人くらいの女性を集めてお遊戯させることでも、SNS自慢でしか有名人としての存在感を示せない三流がチープなファッションで〝私を褒めて〟と闊歩する、ストリートガール・ファッション・ショーとでも呼ぶべきものでもないということを知らない人が本当に多いのです。