イーディス・ヘッド。ファッション史の「忍びの者」
私の一番好きな作品は『泥棒成金』。もっともお気に入りの女優はグレース・ケリーだった。
イーディス・ヘッド
この作品は、私のお気に入りです。そして、大変な仕事でもありました。ゴールド・ボール・ガウンから、ケーリー・グラントの水着の買い出しまで・・・ケーリーは好みが細かいが、グレースは全然楽です。コートダジュールではフリータイムは全くありませんでした。あと100人ものエキストラのドレスも・・・ヒッチが望めば、グレース・ケリーをマリー・アントワネットにする自信もあるわ。
イーディス・ヘッド
アメリカ北東部の上流階級に育ち、厳しく躾けられたグレース・ケリーは、プライベートは、カジュアルなメンズのゆったりしたセーターにパンツルックを好みました。一方、人前に出るときは、地味なテーラードのスーツを身に着けていました。「これでもう少し容姿がまずかったら、典型的な教師ってとこね」と自身で言うほどに、金銭感覚に関しては大変シビアな人でした。
そんなグレースがイーディス・ヘッドと撮影の合間の休日にパリに出た時の話。、手持ちの現金を使い果たすほどに『エルメス』で自分用のみならず家族の分の手袋やバッグを大量に買うその姿を見て、イーディスは驚きを隠せなかったと言います。グレースが唯一愛したブランドがエルメスであり、そのエルメスの「サック・ア・クロア」(1935年から発売)という極めて地味かつ開閉に苦労するバッグを愛用していたことから、このバッグは1956年に正式に「ケリーバッグ」と呼ばれるようになります。
ケリーバッグが、その名が有名になるまでは、グレース・ケリーにとって、極めて地味な「忍びの者」であったように、イーディス・ヘッドは、グレースのみならず、オードリー・ヘプバーンをはじめとする多くのハリウッド女優たちが、永遠のファッション・アイコンへと昇華するための一役を担った「忍びの者」なのです。そして、今、ファッションは芸術の段階に突入し、表面的なものばかり飾り立てる趣向がもたらした薄っぺらな部分にほとほと疲れ果てている今、「忍びの者」が暗躍する季節が再到来しているのです。
50年代。それは女性の宝石としての中年男性の始まりの時代
観客がびっくりするほどの臨場感で、喜怒哀楽を見せるマーロン・ブランドという新しいタイプの俳優の出現によって、すっかり自信を失ったケーリー・グラントは1953年に引退宣言をしました。しかし、ヒッチコックは、本作が初めての大々的な野外ロケーションを伴う作品であり、コートダジュールの風景に負けない風格を持ちつつ、グレース・ケリーの相手役を務めるだけの軽妙さを兼ね備えた俳優はケーリー・グラント以外にいないと確信していました。脚本では35才だった役柄を無視してまで、当時50才のケーリーを主役に据えたのです。
一方、グレース・ケリーは当時24才でした。この中年男性と若き美女の組み合わせが、当時はともかくとして、現代においては、実に絶妙なマッチングに見えるのです。24才の女性と27才の男性の物語は、小説にこそなれ、映画としては面白くありません。つとにファッションが重要視される類いの映画において、女性のドレスやスーツが引き立つ相手役の年齢は、必然的にエレガントなファッションが似合う年齢でなくてはなりません。
グレースにとって、ケーリー・グラントは、彼女の美しさを洗練させてくれるエスコート役の様なものでした。キャサリン・ヘプバーンもそうであったように、ケーリー・グラントは、ファッショナブルな女優にとっての、生きるダイヤモンドだったのです。彼の存在が、ファッションの歴史に与えた影響はメンズファッション(例えば、この作品においては、ヘンリー・マックスウェルのローファーをお洒落に履きこなしていた)のみならずなのです。
〝歴史は女で作られる〟という言葉を、ファッションの歴史について語るために、いくつかの言葉を追加して表現してみましょう。ファッションの歴史は、エレガントな中年男性と対等に寄り添える女性によって作られると。さぁ、中年男性の中から「生きるダイヤモンド」を見つけることの出来る女性になりましょう。