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シンディ・ローパー

シンディ・ローパー伝説6(3ページ)

シンディ・ローパー
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3rdアルバム『ア・ナイト・トゥ・リメンバー』
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プラチナブロンドの最終進化系

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「マイ・ファースト・ナイト・ウィズアウト・ユー」 1989年7月リリース。全米53位、全英62位

あるとき、ソニーの数人の重役が私と会うためにわざわざ日本からやって来た。彼らは私をディナーに連れて行って、言った。「シンディ、私たちは君を信じている。君にもう一度音楽を作ってもらいたいと思っている」ニューヨークじゃ誰ひとり私にそんなことを言ってくれなかった。コミュニケーションなんて皆無だった。(『ア・ナイト・トゥ・リメンバー』について)

シンディ・ローパー

第二弾シングルとして発売されたが、アメリカではヒットせず、「アンコンディショナル・ラヴ」をシングルにした方が良かったとまで言われ、悲しい扱いを受けた曲。全曲ラブソングのこのアルバム以降、「ヘイ・ナウ」を除いて、シンディ・ローパーは、ヒット曲を生み出せなくなりました。

何も持たずにスタートし、人生の頂点に達するほどの成功を収めると、それまで自分に起こったすべてのことの引き換えとして名声や成功が手に入ったのだと思うものだ。だけどそれは正しくない。映画だったら最後にクレジットが出てくるけどー人生じゃそんなことは起こらないんだから。クレジットなんて流れない。私は生き続けなくちゃならなかった。




シンディ・ローパー・スタイル31 ダイヤ・カプリ
  • 赤のオーガンジーがついた黒地にパープルドットのベスト
  • グリーンのビスチェ
  • マルチカラーのダイヤ柄のカプリ・パンツ
  • 白のフラットシューズ

彼女にとって、永遠のスタイル・アイコンは、マレーネ・ディートリッヒでした。アーチを描く、鉛筆で描いたような細いアイブローをシンディはデビュー当時から一貫して自分のイメージとして取り入れています。シンディ・ローパーの第三弾アルバム『ア・ナイト・トゥ・リメンバー』のパッケージ・フォトは、ニューヨークのマンハッタン橋の近くで撮影されました。この時のファッションもシンディらしい個性に溢れていました。

この時期のシンディはスカンク・ヘア。ボリューミーでとても綺麗です。

ボリュームを失くし、ウェーブをかけるとすっかり大人の女に変身します。豹柄のレインコートを着用。



シンディ・ローパー・スタイル32 トラベラーズ・スタイル
  • つばのついた帽子
  • グレーの1920年代風半袖ワンピース
  • 黒の網タイツ
  • 黒のレザーのレースアップ・ブーツ
  • 両腕に品良くまとめたバングル