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シンディ・ローパー

シンディ・ローパー伝説4(3ページ)

シンディ・ローパー
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2ndアルバム『トゥルー・カラーズ』
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シンディ・ローパー2回目の全米No.1ヒット。

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「トゥルー・カラーズ」 1986年8月リリース。全米1位、全英12位

マドンナの「ライク・ア・ヴァージン」やハートの「アローン」を生み出したビリー・スタインバーグとトム・ケリーによって制作された楽曲(アン・マレーが断った)に、シンディ・ローパーが歌詞を追加して生み出された作品。二人からの手紙からには、「この曲は特別な曲で、誰にでも差し上げられる曲ではありません」と書いてあったと言う。〝あなたの本当の色は何色ですか?〟という問いかけがゲイ・コミュニティに共感を与えました。

このアルバムの頃から、シンディ・ローパーのファッションは、ごった混ぜの要素が少なくなっていくのでした。

私は歌詞をほとんど囁くように歌い、音楽も控えめにしておいた。感情があまりにも強烈だと、大げさにやることなんてできない。ひとりの人間の魂に心から語りかけることができるよう、その歌に深みを与えなくてはならなかった。・・・じっと動かず、大きな声でなく小さな声で歌うパワーを使ったのだ。その経験から、羽根の重さはときとして山をも揺るがすということを学んだ。

シンディ・ローパー

1994年、ニューヨーク・シティのゲイ・パレードのために埠頭で歌ったときまで、この歌が実にたくさんの積極的行動主義に影響を与えたとは知らなかった。リハーサルでこの歌のサウンドチェックをしていると、素敵な男性が私に虹色の旗を手渡して、この歌にインスパイアされて旗をデザインしたのだと教えてくれた。それを聞いて私はびっくり仰天してしまった。それがほんとうかどうかはわからなかったけど、その夜私はその旗を体に巻き付け、・・・あの夜「トゥルー・カラーズ」を歌って以来、もう二度と同じ歌には聞こえなくなった。もう二度と絶対に。それはゲイ・コミュニティにとっての癒しの歌、インスピレーションの歌になったのだ。

アレッサンドロ・ミケーレ朝グッチのデザインのモチーフになった青空ブラウス。

シンディの脚は本当に美脚です。

存在感たっぷりなニュースペーパー・スカート。

シンディ・ローパー・スタイル20 ニュースペーパー・スカート
  • 青空ブラウス
  • 黒のレザーベルト
  • シンプルなバングル
  • 切り裂いたニュースペーパーを束ねたスカート
  • トリプルカラーのハイヒールパンプス

髪を膨らませ、自らを元気づけるような色のきらめきを身につけたり、その色で髪や顔を彩ったりすることによって、自分自身により明るく、より生き生きと、より堂々と感じさせることーそれがいつも私にとって重要なことだから。

シンディ・ローパー

アニー・リーボヴィッツがアルバム・ジャケットを撮影した。




シンディ・ローパー・スタイル21 舞踏の女神
  • インドの舞踏神と中国の伝統的なヘッドドレスがミックスされたようなデザインのヘッドドレス
  • 大量のビーズネックレスとバングル
  • スカーフを腰に巻く

1990年の『ガーリー・ショウ・ツアー』でマドンナが「ヴォーグ」を歌うときのドルチェ&ガッバーナの衣装は、このシンディの衣装にインスパイアされたことは間違いありません。

アルバムが1986年の夏の終わりに出た後、私は『レイト・ナイト・ウィズ・デヴィッド・レターマン』にまた出演して「トゥルー・カラーズ」を歌うことになったんだけど、ひどく不安になっていた。・・・私の髪がいくつか赤いエクステンションをつけた明るい黄色だったことーそれはすごくエキサイティングだった。衣装はヴィヴィアン・ウエストウッドのスカートに、ワールズ・フェアの帽子、いろんな緑色が入ったほんとに美しいヴィンテージのカウボーイ・シャツーすごく可愛いかった。

シンディ・ローパー

トゥルー・カラーズ・ワールド・ツアー。1987年、パリ、フランス。