ヴィスコンティは語る。
ルチア・ルック7 アンドロギュヌス
- ナチス親衛隊の軍帽に、ヴェネチアン・オペラマスク
- 黒のレザーのロンググローブ
- サスペンダーつきの男性物のピンストライプ・パンツ
デカダンス。もはや決まり文句になってしまった言葉だ。この言葉を真の意味とは反対の意味で使っているのは残念なことだ。不健全なことを言うのに使っている。デカダンスとは、芸術を理解するひとつの方法にすぎない。そして、この作品は、もっともデカダンスな愛を描いた作品だ。私はカヴァーニには一目置いている。彼女は首尾一貫している。
ルキノ・ヴィスコンティ。1974年。
二つのセーターをお互いに着る。
篭城する部屋の中で、2つのセーターが登場します。ルチアは自分のものはほとんど着ずに、まるでペットのように与えられる生活を求めるのです。まさにあの時、(殺してほしかった男性囚人の)首を与えられた時のように。そうなのです彼女は彼に再会した瞬間に、自分が求めていたことが何であったかをはっきり知ってしまったのです。彼女はもう死の狭間でしか、恍惚感を感じられないようになっていたのでした。
そして、この篭城シーンで、マックスがルチアに愛の告白をしたとき、彼女が無言でその言葉を聞き流したときに、マックスは全てを悟るのでした。ルチアは、あの経験により、愛を知らない女性になったんだということを。ただ、彼から与えられるセーターを着て、与えられたものを食い、肉欲に耽る彼女に残されたものは何なのでしょうか?
もしかしたら、ルチアは、マックスと再会したときに、それは神の啓示、または死神の再訪を感じ取ったのかもしれません。結局は、マックスの性奴隷になったあの日から彼はルチアにとっての神だったのです。だからこそ、このシーンにおけるルチアのボーイフレンド・セーターの姿は、何ともいえない雰囲気に包まれていてとても印象的なのです。
12年後に12年前に戻って死んでいく二人。
ルチア・ルック8 ホワイト・ワンピース
- ペールピンクのワンピース
- 白いシルク・ロンググローブ
- 白のハイソックス
- 白のメリージェーン
- ピンクのリボンカチューシャ
人間がエロスそのものに取り付かれる理由は、美しいエロスの持つ幻想的な香りによるものではなく、禁断の扉までこじ開ける悪徳の香りからだ。
ジョルジュ・バタイユ
ラスト・シーンのためにダーク・ボガードが、カール・マルクス・ホーフ(ウィーンの集合住宅)の一階のバーで、ナチス親衛隊の軍服を着て、シャーロットとスタンバイしていました。その時、彼は軍帽はかぶらず、レインコートで軍服を隠していました。やがて、スタートの声がかかり、レインコートを脱ぎ、軍帽をかぶって、屋外に出た瞬間、それを目にした、80歳くらいの老婆が、ナチ式敬礼をして、彼のブーツにキスをしてこう呟きました。「再び良き日がやってくる」と。
そして、多くの人々が集まり、二人の背中に向かって、ナチスの党歌「旗を高く掲げよ」の大合唱が始まったのでした。その時、ボガードはこう回想しています。「彼らもまたこの作品の主役の二人と同じなんだ」と。
しかし、ここに21世紀のファッションに対するひとつの真実があるのです。それはストリート・スタイルと同じくらいにミリタリー・スタイルがファッションに影響を与えているということです。それはやはり、人々は「死を生み出すファッション」に身を包みたいという不思議な本能があるからなのです。
ナチズムの恐ろしさとは、ラグジュアリー・ブランドのロゴの持つ力と共通しています。ナチス親衛隊の軍服は、嫌悪感を感じつつも、最終的には、羨望の気持ちを抱かせてしまうものなのです。しかし、この感情の流れにこそ、ファッションというものの本質が秘められているのです。