究極のフレグランスガイド!各ブランドの聖典ページ一覧にすすむ

『華麗なる相続人』1|オードリー・ヘプバーンとユベール・ド・ジバンシィ

オードリー・ヘプバーン
オードリー・ヘプバーン
この記事は約6分で読めます。
当サイトではアフィリエイト広告を利用しています
3ページの記事です。
スポンサーリンク

作品データ

作品名:華麗なる相続人 Bloodline (1979)
監督:テレンス・ヤング
衣装:エンリコ・サバティーニ
出演者:オードリー・ヘプバーン/ベン・ギャザラ/ロミー・シュナイダー/ミシェル・フィリップス

スポンサーリンク

オードリーが最後にジバンシィを着た作品。

1980年に日本で公開された当時のチラシ。

本作は、オードリー・ヘプバーン(1929-1993)の実質的に最後の主演作です。もっとも1981年に『ニューヨークの恋人たち』という主演作も、ピーター・ボグダノヴィッチ監督によって撮影されているのですが、こちらはドロシー・ストラットンの悲劇の影響もあり、オードリーの作品としては今では完全に忘れ去られている作品なので、カウントしなくていいでしょう。

シドニー・シェルダン(1917-2007)が、50代にして推理作家としてデビューし、『真夜中は別の顔』(1973)の後に発表した『血族』(1977)を原作にした本作は、当初23歳だったエリザベスの設定を、『暗くなるまで待って』のテレンス・ヤング監督がオードリーの主演を熱望して、35歳に書き変えさせた作品でした。しかし、当時50歳のオードリーが35歳を演じる違和感以上に、原作自体が三文小説に過ぎない乱雑な内容であり、毒舌の映画評論家ロジャー・イーバートが、「1979年で最も最悪な映画」と言い放つほどの、誰から見ても明らかな駄作となりました。

であるにも関わらず、この作品は、ファッション・ムービーの観点において、目を背けるわけにはいかない作品です。オードリーのためにユベール・ド・ジバンシィが提供した14着の衣装はどれも素晴らしく、「最後のジバンシィ」作品として、オードリー・ファッションを語るにおいて、この作品ほど、語られず、忘れ去られてきた作品はありません。だからこそ、今、この作品のオードリー・ファッションを解禁していきましょう。

スポンサーリンク

オープニング・ファッションはいただけない・・・

最初にぎょっとするおばさんパーマのオードリー。

ほとんどの人は、このヘアスタイルを見て、「オードリーも老けたな」と感慨深くなってしまいます。

エリザベス・ルック1 パンツスーツ
  • デザイナー:ユベール・ド・ジバンシィ
  • ブロンズ×ブラックのハウンドトゥース柄のブレザー、ジバンシィ・ ヌーベル・ブティック1978/79AW
  • ベージュのコーデュロイパンツ、ジバンシィ・ ヌーベル・ブティック1978/79AW
  • ブラウンパテントレザーのポシェット
  • べっ甲のバタフライ・サングラス、ジバンシィ1978SS
  • 白のシルク・コットン・シャツ、ジバンシィ・ ヌーベル・ブティック1978/79AW
  • ベージュのニットの手袋

元々エリザベス役は、当時30代半ばだったキャンディス・バーゲンやジャクリーン・ビセット、ダイアン・キートンで予定されていました。

本作の撮影は1978年11月から79年2月にかけて行われました。この時期オードリーは1969年に2度目の結婚をした10歳年下の夫アンドレア・ドッティとのローマでの生活に終止符を打つべきか悩んでいた時期でした。オードリーが本作のヘアスタイルになったのは、1970年からでした。

きっかけは、それまでパリのアレクサンドルドゥパリでカットしてもらっていたのですが、ショートヘアは手がかかるので、アレクサンドルで10年間修行し、ローマで開業したセルジオ・ルッソに、ショートカールにしてもらったことからでした。

スポンサーリンク

オードリー・ヘプバーンとユベール・ド・ジバンシィ

ルイ・ヴィトンのスーツケースと共にオードリーがチューリッヒに降り立つ。

ユベール・ド・ジバンシィと共に。1979年。

1979年5月のライフ誌に掲載されたユベール・ド・ジバンシィとの写真。シューズのみサルヴァトーレ・フェラガモ

本作に出演してオードリーは4万ドル分のジバンシィの衣装を貰いました。このスカートスーツもそのうちの一着。

エリザベス・ルック2 グレーのスカートスーツ
  • デザイナー:ユベール・ド・ジバンシィ
  • グレーのウールのスカートスーツ、黒ベルベットのディテール、スカートはソフトライン、ジバンシィ1978/79AW
  • 白のシルク・コットン・シャツ、ジバンシィ・ ヌーベル・ブティック1978/79AW
  • グレーのパテントハイヒールパンプス

この作品が、ジバンシィを着たオードリーがスクリーンに登場した最後の作品となりました。1954年の『麗しのサブリナ』からはじまったユベール・ド・ジバンシィとの兄妹のような関係は、以後、オードリーが死を迎える1993年1月20日まで続くことになります(ジバンシィは、オードリーの葬儀において棺を持つ友人代表となった)。

オードリーは、ヴァレンティノラルフ・ローレンを愛用することはあっても、生涯ジバンシィのスタイルを愛し続けました(彼女は最後のクリスマス・プレゼントとして、最も親しい友人達にジバンシィのスカーフをプレゼントしている)。そして、二人の関係は、他のファッション・デザイナーと女優の間には存在し得ない〝神聖な関係〟を築いていました。

オードリーの死の僅か一週間前のことでした。ジバンシィがパリからスイスのオードリー宅にやって来ました。二人は最後に庭を散歩しました。オードリーは10歩ごとに立ち止まって休まなければならないほど弱っていました。そして、彼女はジバンシィの帰り際に、最後の贈り物としてネイヴィ・ブルーのキルトのコートを手渡しました(このコートは最も大切な三人にだけ渡された。ジバンシィと愛息ショーン、そして、最後の9年間を過ごしたロバート・ウォルダースの三人だけに)。オードリーは、そのコートに軽く口づけして、ジバンシィに囁いたのでした。「これを着たら私のことを思い出してね」と。

オードリー・ヘプバーンとユベール・ド・ジバンシィの1954年から1993年の約40年間の歴史。オードリーが一生涯かけて愛したブランドであるジバンシィ。その一途さが、新しいものには何でも飛びつく自称ファッショニスタが蔓延るファッション・シーンにおいて、逆に新鮮で、とても格好良いのです。