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『いつも二人で』4|オードリー・ヘプバーンとパコ・ラバンヌ

オードリー・ヘプバーン
オードリー・ヘプバーン
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パコ・ラバンヌ VS オードリー・ヘプバーン

ジバンシィを脱ぎ捨てたオードリーが着たのは・・・

1966年に「着ることの できない12着のドレス」を発表したパコ・ラバンヌのドレスだった。

一切、縫わないで創ったイブニング・ドレス。

エレガントなオードリーがアマゾネスのような甲冑ドレスに身を包んだ瞬間。

ファッションの歴史はつねに反逆の歴史でした。

全身が輝くドレス。それはスターのオーラを閉じ込めてしまうほどに、強烈に個性的なドレスでした。しかし、オードリーは、このドレスを見事に着こなしました。

そして、彼女は、パコ・ラブンヌのドレスを着た瞬間。永遠のファッション・アイコンになりました。

オードリー・ルック27 パコ・ラバンヌ・ルック<第五期 1965年>
  • 派手なメタルプレート・イヤリング
  • パコ・ラバンヌ66SS。ファッション界に一大センセーションを巻き起こしたメタリック・ドレス。シルバー・パコ・ラバンヌ・ドレス。コイン型のアルミを繋ぎ合わせたミニドレス
  • シャルル・ジョルダンのシルバーレザー(フロントにシルバーラメ入り)シューズ66SS

間違いなく本作のハイライトであり、60年代のファッションを語るにおいて避けることが出来ないドレス。ある意味、この作品は、このドレスを見るためにだけでも、価値があると言っていいドレス。それはジバンシィを着ていたオードリーが、ユベール・ド・ジバンシィによって守られていた偶像ではない証明を果たした瞬間でした。

オードリーがパコ・ラバンヌの〝着ることの出来ないドレス〟を見事に着こなした素晴らしさ。何かを着ると言う事は、物腰で着ると言うことがよく伝わります。それは決してファッション・モデルのように着るのではないということなのです。普段の姿勢のよさが、普段の生活にファッションを溶け込ませるのです。最近の映画やテレビで、女優がこれ見よがしに着るドレスは、何かファッション・ショーのランウェイを歩いているようなモデル風情が多いのですが、そういった姿にすごく違和感を感じさせられる理由が、オードリーを見ていると逆説的に理解できます。

37歳の女優が、最新モードを着た時、世界は明らかに反転し、オードリーは永遠になったのでした。そして、このドレスを見事に着こなしたからこそ、オードリーのジバンシィは更なる高みに立ったのです。

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ココ・シャネル VS マリー・クヮント



オードリー・ルック28 マリー・クヮント・ルック<第五期 1965年>
  • ライトグリーンに白ラインのカラーブロック・レーシングミニスカート、リングジップ、ハイネック。「グリーン・ムーン・ガール」1964年ムーンガール・コレクションより。マリー・クヮント
  • オリバー・ゴールドスミスの白昆虫サングラス

最後にマリー・クヮントが登場する。1960年代を代表するファッションの革命をあげるとするならば、ジーンズの流行と同じく、ミニスカートの登場は避けて通れないものです。

ひざは美しくないので出してはいけない。

ココ・シャネル

ファッションに対する流行は、1950年代にパリからハリウッドへと移行し、そして、1960年代には、サンフランシスコ、ロンドンなどのストリートから若者が発信するものへと移行しました。そして、1960年代前半ミニスカートが誕生したのです。1965年、そんなストリートの空気をいち早く取り入れたアンドレ・クレージュがパリコレで発表し、世界に広がったのです。

本作公開時の1967年、ツィッギーの来日(東洋レーヨンによる)により日本でもミニスカートは大ブームとなりました。元々はイギリスの若者の間に流行していたミニスカートをチェルシーの高級住宅街キングス・ロードに1955年にオープンしたブティック『バザー』で売り出したのがマリー・クヮント(1934-)でした。

1957年、ユベール・ド・ジバンシィが発表したサックドレスのデザインに基づいて、1958年マリーがサックミニを発表し、1961年に本格的なミニスカートを発表することになります。ミニスカートに、黒いストッキングとレザーブーツというチェルシー・ルックがやがて世界中の10代から30代の女性を虜にしたのでした。

イギリスではミニスカートの丈は1965年に膝上15cmまで上がり、66~67年にそのピークに達します。この時期ココ・シャネルはクレージュのことを以下の如く非難しました。

この男は女たちのからだを包み隠し、少女のようにすることで、女を破壊しようとしている。

ココ・シャネル

一方、マリー・クヮントは、ミニスカートについて、ミニスカートとは

女の性の中心に視線を向けさせるモード

と言っています。

60年代のミニスカートはウエストラインを腰のあたりまで下げる台形的なシルエットを特徴としています。これはバスト・ウエスト・ヒップによる体型のシルエットを無視し、女性の身体に新しいラインを与えることになりました。女性の肉体の曲線美を放棄したことによって、女性たちはそれまで考えなくてもよかった脚の美しさにも配慮しなければならなくなったのでした。全ての発端は、1950年代のディオールのHラインの発表だったのです。

最後の最後に登場する唯一のマリー・クヮント。この作品の魅力は間違いようもなく、このファッションが主張する違和感にあります。つまり、時代の連続性を断ち切った物語の中で、ファッションも断ち切られ、私たちのファッション感度を試す仕様になっているのです。だからこそ、この作品は、オードリーのオシャレなセンスを楽しむ作品ではなく、オードリーの色々なファッション・センスを見て感じる<オードリー・バイブル=聖典>なのです。