シンディ・ローパー略歴
- 1953年6月22日 ニューヨーク市ブルックリンで生まれる。5歳の時、両親が離婚する。
- 1970年 高校を退学し、愛犬スパークルと家出し、様々な職業を経験する。
- 1978年 ブルー・エンジェルというグループを結成し、80年にアルバム・デビューするも売れず、解散。自己破産する。
- 1983年 一枚目のソロ・デビュー・アルバム『シーズ・ソー・アンユージュアル』を発表し、全米で600万枚、全世界で1600万枚を売り上げる。ファースト・シングル「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」が全米No.2ヒットになる。
バイブス秘宝の謎
シンディ・ローパー初の主演映画。
「ホール・イン・マイ・ハート」 1988年6月リリース。全米54位
「バイブスはほんとに私のキャリアを傷つけた」とシンディ自身が回想する自身の初めての主演映画『バイブス秘宝の謎』に1988年出演します。共演は、ジェフ・ゴールドブラムとピーター・フォークでした。その内容はインカ帝国の秘宝探しという、『インディ・ジョーンズ』シリーズでブームだった冒険活劇ものでした。
それから映画会社コロンビア・ピクチャーズが『バイブス』のために一曲書いてほしいというので、LAにとどまって何を書こうかと考えた。最初ビリー・スタインバーグとトム・ケリーとともに「アンコンディショナル・ラヴ」というスロー・テンポの歌を書いたんだけど、コロンビアの社長が「この映画はコメディなんだ。バラードなんてダメだ」と言った。
シンディ・ローパー
そして、シンディは、全く映画の内容とは関係のない曲をアレンジし直して、自分好みの音楽ーパンクっぽくてタフでテンポが速いー音にして発表しました。実際のところ、この曲は、アップテンポなシンディの楽曲の中でも3本の指に入るノレる曲です。キャッチーなメロディラインとずば抜けた歌唱力が見事にマッチしていて、グイグイと引っ張っていくスピード感に溢れています。
シンディ・ローパー・スタイル28 『バイブス』ルック1
- 豹柄のパッチワークの付いたジージャン
- 豹柄のミニドレス
- ゼブラ柄のハイヒールパンプス。このパンプスは、シンディのかなりのお気に入りで、ライブや他のMVにおいても結構はいています。フレデリックス・オブ・ハリウッドで購入した私物。
だから(髪型を)ホワイト・ブロンドで行くことにしたの。そのあと、マドンナが『フーズ・ザット・ガール』っていう映画に出演しているのを見たら、彼女もブリーチしたブロンドだった。「わかったわ。いいんじゃない?私たちは絶対にお互いから逃れられないのよね」と思ったわよ。
シンディ・ローパー・スタイル29 『バイブス』ルック2
- パナマハット
- 豹柄のパッチワークの付いたジージャン
- ピンクに黒のポルカドットのシャツ
- ブルージーンズ、脛丈
- ピンクのルーズソックス
- 白のスニーカー
以下、『バイブス秘宝の謎』のシンディの衣装。
1991年の横浜アリーナでのコンサート
サッポロビールのCMにも「ホール・イン・マイ・ハート」は使用された。
幻の名曲「アンコンディショナル・ラヴ(=無償の愛)」
元々はシンディ・ローパーが、『バイブス秘宝の謎』の主題歌として考えていた曲。後にバングルスのスザンナ・ホフスが1991年にカヴァーしました。この曲は、シンディの全ての曲の中でも出色の出来であり、隠れた名曲と言えるでしょう。
シンディ・ローパー・スタイル30 プラチナ・セクシー
- パープルのレースのボタンダウン・シャツ
- パープルとオレンジのレースの下着
- ガーターストッキング
- 黒のハイヒールパンプス
今ではマドンナ的イメージのプラチナ・ブロンド。元々はシンディ・ローパーの方が先にしたヘアカラーとそのイメージでした。二人とも20年代から30年代のアメリカのハリウッド女優が好きであり、そんなスタイルを80年代のミュージック・シーンにいち早く取り入れたのでした。それにしてもこのスタイル。今見てもかなりクールです。