ウンガロ
原名:Ungaro
種類:オード・パルファム
ブランド:エマニュエル・ウンガロ
調香師:ジャック・ポルジュ
発表年:1977年
対象性別:女性
価格:不明

シャネルの三代目専属調香師になる寸前のジャック・ポルジュの香り

Vogue Paris 1970 ©UNGARO

1977 ©UNGARO

ウンガロ1988年春夏 ©UNGARO
彼は自分の欲しいもの、つまり最高のものをつくるんです。作家が本を書くようにデザインする。彼は商売人ではなく、あくまでもクチュリエなんです。
カトリーヌ・ド・リムール
エマニュエル・ウンガロは、1933年にフランス南部で生まれました。両親はムッソリーニのファショスト政権を逃れて20年代にフランスに移住したイタリア人で、父は小さな紳士服店を営んでいました。そこでエマニュエルは5才の時からスーツの仕立てを父から学びます。
1957年、23才でパリのモンパルナスに移り、58年からアンドレ・クレージュの推薦によりクリストバル・バレンシアガのアシスタントとして働きはじめました。
そして、1965年に、独立して、「エマニュエル・ウンガロ」をスタートします。エマニュエルは、バレンシアガと同じく、まず生地から作業して、それをもとにデザイン画を描く方法でデザインをする立体裁断の天才でした。
1973年11月28日にヴェルサイユ宮殿で、フランス対アメリカの対抗戦形式で行われた画期的なファッションショー『バトル・オブ・ヴェルサイユ』においてフランスから出場した5人が、イヴ・サンローラン、ユベール・ド・ジバンシィ、ピエール・カルダン、マルク・ボアン(クリスチャン・ディオール)、そして、エマニュエル・ウンガロでした。
一方、アメリカからの5人は、オスカー・デ・ラ・レンタ、ステファン・バロウズ、ホルストン、ビル・ブラス、アン・クラインでした。ここで、アメリカが勝利したことにより、パリモードの終焉が決定付けられたのでした。
同年1973年より、日本でも高島屋との提携により、抜群の知名度を高めていたエマニュエル・ウンガロのファースト・フレグランスとして1977年に発売されたのが「ウンガロ」でした。オリエンタルの香りは、シャネルの三代目専属調香師になる寸前のジャック・ポルジュにより調香されました。
シルクのストッキングに足を通す女性のテンションを香りに。

ヤスミン・ゴーリ ©UNGARO
宝石のように妖しく輝くエメラルドグリーンのキャップに、ショッキングピンクのスカーフ、そしてドレプが施されたロイヤルブルーのボトルが印象的なウンガロのファースト・フレグランスは、大胆なドレープの動きと共に、スリットの間から見える光り輝く美しい脚を誇示すような、アルデハイドのきらめきからはじまります。
すぐにベルガモットとレモンとコリアンダーのファンファーレが素肌の上で鳴り響く中、光り輝く美しい脚を照らす光にさらに重なり合うような、妖艶なオレンジブロッサム、ローズ、ネロリ、ジャスミンといった花々の濃厚な甘い蜜にスパイシーなアンバーとアニマリックなムスクが溶け合い、理性をかき消すような艶やかさが広がってゆきます。
やがて「オピウム」(1977)や「プワゾン」(1985)を思わせる、圧倒的にダークでミステリアスなオリエンタルアンバーとバニラとサンダルウッド、そして清らかなスズラン、パウダリーなアイリスがひとまとめになり、70年代的なエレガントにセクシーな洗練された女のオーラに満たされてゆきます。
金曜日まで控えめな服装と薄いメイクとまとめ髪で働いてきた女性が、金曜の夜、すべてから解放されえ、露出の高いファッションとヘアメイクで、お出かけする、その最後の瞬間にシルクのストッキングに足を通して、自分自身のテンションを高めていく、そんなムードが味わえる香りです。
1990年に再調香され、リニューアル販売されました。この時の広告のキャンペーンモデルは、スーパーモデルのヤスミン・ゴーリ(1971-)でした。
香水データ
香水名:ウンガロ
原名:Ungaro
種類:オード・パルファム
ブランド:エマニュエル・ウンガロ
調香師:ジャック・ポルジュ
発表年:1977年
対象性別:女性
価格:不明

トップノート:オレンジ・ブロッサム、ローズ、ネロリ、ジャスミン、コリアンダー、アルデハイド、レモン、ベルガモット
ミドルノート:ターキッシュ・ローズ、アイリス、スズラン
ラストノート:トンカビーン、バニラ、アンバー、サンダルウッド、パチョリ、カルダモン、ムスク、シダー
