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作品データ
作品名:シド・アンド・ナンシー Sid And Nancy (1986)
監督:アレックス・コックス
衣装:キャサリン・クック
出演者:ゲイリー・オールドマン/クロエ・ウェッブ/ドリュー・スコフィールド
パンク精神に忠実に生き、疾走した二人。
最初に、上記の写真について言及せずにはいられない。手錠でつながれたシド・ヴィシャス(1957-1979)とナンシー・スパンゲン(1958-1978)の二人が写るこの写真は、ナンシーが男らしく、シドは内股で女っぽいポーズを取っており、一言で言うと、「何があっても離れられない二人」を象徴する写真です。そして、40年経っても、いまだに新鮮かつクールな魅力に満ち溢れているカップル写真と言えます。
1970年代半ばにニューヨークで産声を上げたパンク・ロックは、1976年11月(1978年1月解散)、ロンドンにおいてのセックス・ピストルズの登場により、さらに破滅的なアナーキーさを加速していきました。『SEX』というボンデージ・ファッション中心のブティックを経営するマルコム・マクラーレン(1946-2010)とヴィヴィアン・ウエストウッド(1941-)が仕掛けた壮大なる革命。その名が〝セックス・ピストルズ〟。
当時のイギリスは「英国病」と呼ばれる大不況真っ盛りでした。高い失業率の中で、若者の間で厭世観が広がり、ドラッグが蔓延していました。そんなイギリスの空気が、ロンドンで爆発し、パンクの大流行を招きました。その象徴こそ、セックスと破壊をコンセプトに、ただひたすら若さに任せて疾走する僅か14ヶ月間の活動期間しか持たなかった即席パンク・バンドによって巻き起こされた革命=セックス・ピストルズでした。そして、セックス・ピストルズは、ただのパンク・グループではなく、歴史的革命の扇動者となったのです。
このグループには、絶大なるカリスマ性を誇る青年がいました。パンク精神を体現した生き方で僅か21歳でドラッグで死んだこの青年の名をシド・ヴィシャスと言います。現在においても、この青年は、〝反逆と堕落と弱さのシンボル〟であり、彼を知らずしてメンズ・ファッションを語るべからずと言っても過言ではないほどに、21世紀のファッションに影響を与え続けています。
パンク・カルチャーを生み出した二人。
アメリカ発祥のパンク・ロックを、永遠のカルチャーにしたロンドン・パンクの立役者は、間違いなくこの二人です。前述のヴィヴィアン・ウエストウッドとマルコム・マクラーレンです。彼らの手によりセックス・ピストルズが生まれ、シド・ヴィシャスも誕生したのでした。
ロンドンのキングスロード430番地で「SEX」(1971年「LET IT ROCK」の名でオープンし、 1972年「Too Fast to Live, Too Young to Die」に店名を変え、1974年さらに店名を変更します)を経営していたマルコム・マクラーレンとそのパートナー、ヴィヴィアン・ウエストウッド(1965年より)は、店に出入りしていた不良少年のスティーヴ・ジョーンズとポール・クックが結成したアマチュア・バンドに「SEX」の店員のグレン・マトロックと、オーディションで選んだジョニー・ロットンを加入させ、1976年セックス・ピストルズとしてデビューさせました。
この「SEX」というブティックには実に不思議なルールがありました。それは店で一度万引きをすることによって、常連客としての証がたてられるというルールでした。それがお金はないがアート感度の高い若者に受け、一瞬にして音楽とファッションに興味のあるロンドンっ子の話題店となったのです。
1979年10月、事実上解散していたセックス・ピストルズの唯一のアルバム『勝手にしやがれ』が全英一位ヒットを記録します。さて、ヴィヴィアン・ウエストウッドがその独特のファッションセンスと、モデルのような長身ゆえに寵愛したのが、シド・ヴィシャスでした。そして、二人の創造主の思惑を超えて、シドは、キング・オブ・パンクとして破滅の道を突き進むのでした。