ブリジット・バルドーのセックス・シンボル
1956年の『素直な悪女』で、マリリン・モンローに匹敵する〝セックス・シンボル〟となったブリジット・バルドー。彼女はこの年10月、英国・ロンドンで開かれる年一回の大レセプションであるロイヤル・コマンド・パフォーマンスに招待され、エリザベス女王に拝謁することになりました。
そしてピエール・バルマンのドレスを交渉の末、借り、参加したのでした。この時、バルドーは、人生ではじめて飛行機に乗ることになりました。さらに化粧ケースを忘れてしまい、髪型が崩れないように、座ったままきちんと背筋を伸ばし、列車の中で仮眠をとりました(週末のためどこもお店が開いていなかったので、スチュワーデスに化粧ケースを預けてもらいサヴォイ・ホテルまで持ってきてもらったのでした)。
大仰なリハーサルを経て、宮廷では、黒が禁止やら、デコルテドレスも禁止といった様々なルールを教えられうんざりしていた所で、ついに本番となり、エリザベス女王やマーガレット王女と対面することになるのでした。
しかし、彼女にとって女王陛下との拝謁以上に心を揺り動かした、思いもよらぬ初対面があったのでした。以下、バルドーの回想となります。
私はそこで彼女を見た。彼女しか見なかった。そう、マリリン・モンローを・・・
彼女は儀礼のことなど気にかけず、背中から踝のところまで露わにした金色のドレスに、ブロンドの髪を輝かせ、魅惑的だった。頬はバラ色でみずみずしく、誰もが抱きしめたく思うほどだった。逆毛が首筋と耳のまわりにかかり、まるでベッドから出てきたばかりのように、自然で、幸福そうだった。
私は化粧室で彼女といっしょになった。私は髪を引っ張って乱し、胸を隠していたチュールを引き剥がした。彼女は鏡に映った自分の姿を眺め、左を向いて微笑み、右を見て微笑した。シャネルの5番の香りがした。私はうっとりとして、彼女を眺め、賛嘆していた。自分の髪型のことなど忘れていた。彼女になりたいと思った。彼女の個性、彼女の性格が欲しいと思った。
マリリン・モンローと会ったのは、これが最初で最後である。しかし、彼女はわずか三十秒で私を魅惑してしまった。彼女からは優雅なもろさと、いたずら娘の甘さが発散していた。私は決してこのことを忘れないだろう。
ブリジット・バルドー自伝
マリリン・モンローが、はじめてカラーでお披露目された作品。
この作品がマリリン・モンローの初めてのカラー作品となりました。もしこの作品が、白黒で作られていたなら、マリリンはスターにはなれなかったかもしれません。
ポップアートの天才アンディ・ウォーホルが、マリリンをモデルにカラフルなポップアートを作り上げたように、彼女こそが、カラフルな時代の到来を告げるミューズだったのです。
そのプラチナブロンドの髪、エキセントリックなカラー使いのアイシャドー、真っ赤な口紅、白光する歯、象牙のような肌、身長164cm、体重53kg。スリーサイズはB94/W61/H86のダイナマイト・ボディ。そこに投入される総天然色の色使い。
ブリジット・バルドーでさえも三十秒でノックアウトする存在感。〝20世紀の女神〟が誕生した瞬間です。1955年、マリリンもモナコ王妃の候補にあがりました。しかし、マリリンは、プリンセスになるには、あまりにも眩しすぎました。
そして、ピンクがモンローカラーになりました。
ドロシー・ジーキンスは、ローズ・ルーミスのファムファタールなキャラクターを決定づける「KISS」を口ずさむシーンの衣装として、監督に選んでもらうために、二種類のドレスを作りました。それは赤とピンクの全く同じデザインのドレスでした。
そして、マリリン・モンローがピンクドレスでこのシーンに現れた瞬間。ピンクはマリリン・モンローを象徴する色のひとつになったのでした。かくして同じ年『紳士は金髪がお好き』でピンクドレスを着て、「ダイヤモンドは大親友」を歌い、「ピンクは世界中の女性のベストフレンド」になったのでした。
ローズ・ルーミスのファッション3
ショッキングピンクドレス
- ショッキングピンクドレス。キャップスリーブ、ピーカブーネックライン、オフショルダー、フロントボウ
- 白のシフォンショール
- 黒のハイヒールサンダル、クロスストラップ
- ゴールドリング・イヤリング
ローズ・ルーミスのファッション4
シックなマリリン・スタイル
- 真っ白なシルクシャツ、比翼仕立て
- グレーのラップスカート、フロントスリット
- 黒のクロスストラップハイヒールサンダル
- ソリッドなペールブルーのカシミアショートコートを肩がけ、ボタンなし
- スケルトンBOXハンドバッグ
作品データ
作品名:ナイアガラ Niagara (1953)
監督:ヘンリー・ハサウェイ
衣装:ドロシー・ジーキンス
出演者:マリリン・モンロー/ジーン・ピーターズ/ジョゼフ・コットン