シーケーワン
原名:ck ONE
種類:オード・トワレ
ブランド:カルバン・クライン
調香師:アルベルト・モリヤス、ハリー・フレモント
発表年:1994年
対象性別:ユニセックス
価格:50ml/7,480円、100ml/10,560円、200ml/16,390円
販売代理店ホームページ:ラトリエ デ パルファム
この香りにより、フレグランスの民主化がはじまる。
90年代、混乱した世界の中で男も女も途方にくれた。宗教、音楽、服飾などあらゆる分野で、アイデンティティーが求められた。それは古着や記号を重ね、同じ属性をみせる「族」への所属を示すことで表現された。
こうした記号をカルバン・クラインは男女共用のオード・トワレ「シーケーワン」の広告で取り上げ、解釈した。だがユニセックスのオード・トワレが、「あなたのため、そして、私のため」という共同体的な香水として生きられた68年(五月革命)頃とは反対に、1994年のオード・トワレは個人主義的な男女共用だった。
それは「私のため、あるいはあなたのため」の香水なのだ。薬局にあるような小瓶と、購買という行為の罪悪感をなくしてくれる非ー快楽というメッセージ、そしてそのメッセージの「クリーンで平等な」子供たちによって、衛生至上の時代を迎えた。
ジャン=クロード・エレナ
この香りは、間違いなくフレグランスの歴史に革命を起こしました。
ヘロイン・シック全盛の1994年に、この香りから、18歳から24歳の男性と女性をターゲットにしたユニセックス・フレグランスという概念がはじまりました。
そして、販売開始10日間で500万ドルの売り上げという驚異的な数字を叩き出し、合計9000万ドルの売り上げによって、1995年に世界中で最も売れた香水になるという伝説を生み出しました。
この香りが発売されたのは1994年10月のことです。その数ヶ月前の4月にニルヴァーナのカート・コバーンが死に、空前のグランジ・ブームの中解き放たれた「シーケーワン」は、香水の在り方を一変させたのでした。
カルバン・クラインのジーンズのバックポケットにウィスキーボトル(ファビアン・バロンによるデザイン)のようなシーケーワンを入れて歩く。つまり〝香りではなく、スタイルを販売した市場最初の香り〟だったのです。
そんな「シーケーワン」は、アルベルト・モリヤスとハリー・フレモントにより調香されました。この香りの驚異的な成功により、アルベルト・モリヤスもまた覚醒しました。深く考えさせずに、即決で売ることが出来る香りの作り方を彼は知ってしまうのでした。
ちなみに2022年のインタビューにおいてモリヤスが、最も誇りに思っている香りとしてこの香りをあげています。「この香水はアメリカ向けに作ったものですが、とてもヨーロッパ的で、私のスタイル、つまりスパニッシュ・スタイルなのです。とてもフレッシュでつけやすいのですが、男性と女性のそれぞれの肌で違う香りがするのです。そして、今でもとてもモダンで、古臭くなく、〝今〟の香りがするのです」。
ひとつの香水の中に、男女が互いに誘惑し合う匂いを詰め込みたいと考えました。その結論として、私は白い綿のような香りをベルガモットに託しました。それは華やかな香りではないのですが、実用的な香りでした。そして、当時はそんな香りは存在しなかったのです。
アルベルト・モリヤス
カルバン・クラインの娘のアイデアから生まれた香り
当時のフレグランス・コードを崩壊させた香りだ。
アルベルト・モリヤス
70年代のジーンズ、80年代のアンダーウェアと、アメリカのファッション・シーンのみならず、世界のファッション・シーンに影響を与えたカルバン・クライン(1942-)が90年代にフレグランスの革命を巻き起こした「シーケーワン」。
カルバン・クラインが、この香水のコンセプトを固めたきっかけは、1978年に自身のベビーシッターに誘拐された娘マーシ・クライン(1967-)のアイデアによるものでした(10万ドルの身代金を払い解放された。やらせ疑惑のあるこの誘拐事件により、世間の同情の後押しにより、カルバン・クラインは爆発的な売り上げを上げた)。
現在、「サタデー・ナイト・ライブ」のプロデューサーとして大活躍している彼女が、「(90年代の若者)私たちは、男性も女性も同じ服を着ているし、カップルではなくグループで動いてるのよ」と言った言葉がきっかけでした。
「パパの香りを私たちの周りで使う人は誰もいないし、他のブランドの香りも同じ」と。そして、カルバンは若者のための香りを作ってみたらどう?というアイデアを(1985年からCKのためにフレグランス・コンサルタントを務めている)アン・ゴットリーブに伝えたのでした。
ちなみにこの香りのメイン香料はレモンなのですが、当時のアメリカにおいて、レモンの香りがする香水を作るということはかなり危険な賭けでした。なぜならレモンの香りは家庭用品の香りと考えられてしまうからでした。
濃すぎず、好きな時に、香りを足すことが出来、ユニセックスで、単純に言えば「こだわりとは無縁の香水」。それがシーケーワンなのです。そして、この香りから香水はあらゆる若者にとって日常的なものに変わりました(革命始動のポイントは、日常接している香りを、クールに感じさせた所にある)。
世界初のユニセックス・フレグランス
「シーケーワン」は最初のジェンダーレスな香水で、とてもクラシカルなヨーロピアンスタイルの香水でした。90年代当時、男性の香水は、依然とても力強いフゼアが主流でした。
でも、「シーケーワン」はとてもフローラルで、アイシーで、少しバニラも入っていました。私は今も当時の人々がこの香りを受け入れたことが不思議でなりません。あらゆる国の男女が受け入れてくれたのですから…
アルベルト・モリヤス
モリヤスがアイスティーを飲むティーンエイジャーからインスパイアされ生み出したという「シーケーワン」からユニセックス・フレグランス=グリーンティーの香りという構図が生まれ、膨大な数のグリーンティーのフレグランスが生み出されてゆきました。
そんな〝One=一つになろうよ=仲間に入りたい?〟と問いかけるこの香りは、レモンを中心としたフレッシュなシトラスとスウィートなトロピカルフルーツのカクテル(パパイヤとパイナップルが印象的なグリーンアコードを生み出している)からはじまります。カルダモンとナツメグがフルーツの甘さを抑え、クリーンな温かみを与えてゆきます。
この香りのポイントは、フルーティーすぎず、甘すぎず、男性的なウッドの成分も強く出ていず、フローラルとムスクが同じくらいの割合で配合されている点です。これらを一言に要約すると〝清潔感〟になります。「シーケーワン」は、清潔感を演出する水なのです。
やがて、レモンは減退し、ベルガモットとマンダリンにカルダモンとナツメグを組み合わせて生み出されたグリーンティーの香りの中に溶け込んでゆきます。
そして、バイオレットとローズ、ジャスミン(ヘディオン)、フリージアといった花々が、メタリカルクールなスズラン(ジヒドロミルセノール)をアクセントにグリーンティーと調和してゆきます。そこにフルーティーなムスク(ガラクソリド)が注ぎ込まれ、香りはソーピィーの領域へと昇華していくのです。
ドライダウンは、このムスキーな空気に、軽くスパイシーなアンバーが浸透していくような温かい余韻で包み込んでくれます。
「シーケーワン」はなぜ革命的なのでしょうか?それは香水に民主化をもたらしたからです。それは、ただ単に未熟な調香技術を誤魔化す方便でも、チープな合成香料で生み出したものでもなく、天才としか言いようのない新しい感性を、膨大な年月をかけ、この香りの創造にぶつけた結果生み出されたものでした。
この香りを身に纏う人がいても、何も香らないように、ただただ清潔感が漂ってくるような香りを生み出して欲しいという非常に難解なコンセプト=前人未到の山の登頂に挑戦し、二人の調香師が、膨大な香料を駆使し、〝無〟の境地に到達したのでした。
複雑なプロセスを経て、究極のシンプルを手にした香り。それがシーケーワンなのです。だからこそ、この香りは深みを楽しむのではなく、あくまでも周りの人々に心地よさを与えることを目的とした新しい香水のあり方を定義することが出来たのです。
シーケーワン=ケイト・モス
「シーケーワン」が成功した理由の一つとして忘れてはならないのが、カルバン・クラインの広告戦略の巧みさです。ケイト・モス(1974-)がそこにいたからこそ、シーケーワンはシーケーワンになりえたと言っても過言ではありません。
身長が180cm前後のスーパーモデル時代の終わりを告げるように169cmのケイト・モスがCFの中で、不機嫌そうに拗ねたような口調で「The Only One, CK One」と言い放った瞬間、フレグランス革命のみならず、ファッション革命が始動されたのでした。
以後、スーパーモデルの定義はゲームチェンジされました。
ちなみにケイト・モスのCKデビューは、1992年にマーキー・マークことマーク・ウォールバーグと競演したカルバン・クラインのキャンペーンでした。
「シーケーワン」の広告キャンペーンはケイト・モスが出演した最初のときからスティーヴン・マイゼルによるものなのですが、そのコンセプトは、1969年10月30日にアンディ・ウォーホルのファクトリーを撮影したリチャード・アヴェドンの写真でした。
つまり「シーケーワン」の広告戦略の恐ろしさは、等身大に近い、若者たちのミューズを生み出し、そのクールな広告に出てくる人物たちの世界の「仲間になる」べきだと暗示しているところにあるのです。
この戦略こそが、現在行われている日本や韓国のアイドルグループを売り出してゆく戦略の原点とも言えます。
かつて一分間に20本売れた香り
1999年の時点で一分間に20本売れていた香りであり、25周年を迎えた2019年においても、一分間に15本売れている香りです。
しかし、一方で、香水の低価格競争を招く意味においても香水市場を一つにした香りです。この香水と、下着、「CK」ライセンスシャツの流通により、90年代後半からカルバン・クラインのブランド価値は一気に低下したのでした。
シーケーワンのフランカーとして「シーケービー」(1996)はその精神を継承していました。しかし、2002年にカルバン・クライン自身が、米アパレル大手のフィリップス・バン・ヒューゼンに会社を売却し、マーケティングに関与しなくなった事と、2000年代半ばから、花の香りや、甘い香りが流行する中、もはや時代遅れ感はぬぐえず、それ以降のフランカーは散々たるものとなってしまっています。
であるにもかかわらず、シーケーワンはいまだに年間3000万ドル近くの売り上げを上げているため、2012年に、シーケーワンのコスメライン(一挙に130種類)を発売したのですが、もはやシーケーワン神話は失われていたことを完膚なきまでに思い知らされる結果となりました。
ルカ・トゥリンは『世界香水ガイド』で、「シーケーワン」を「晴れやかなシトラス」と呼び、「シーケーワンは香水というよりも科学のタイムマシンだ。」「ほとんどの香水は時間が経つにつれて長くなっていくつくりで、ある段階からその次の段階に移ると、元の10倍の時間をとるようになっている。すなわち、トップノートが6分間、ミドルノートが1時間、ドライダウンがその一日中、というように。」
「80年代には、こういったものは直線的な香水といわれ、時計を土曜の夜11時で止めてしまうような派手なタイプによく見られた。残りの時間は、月曜日の朝に出勤するとき、ハイヒールと金ラメのドレスを着ているような感じになる。」
「けれどもシーケーワンは違う方法をとり、時間をぴたりと止めてしまう。石けんのような爽やかなトップノートで、肌に馴染むようなミドルノートとドライダウンをもっている。すべてがまばゆさのために選ばれていて、30歩離れていても近くにいるようにはっきりした香りになっている。漂う香りは変わることなく、時刻は永遠に午前8時、期待に満ちた一日がはじまる朝で、時間が止まったようだ。」と4つ星(5段階評価)の評価をつけています。
香水データ
香水名:シーケーワン
原名:ck ONE
種類:オード・トワレ
ブランド:カルバン・クライン
調香師:アルベルト・モリヤス、ハリー・フレモント
発表年:1994年
対象性別:ユニセックス
価格:50ml/7,480円、100ml/10,560円、200ml/16,390円
販売代理店ホームページ:ラトリエ デ パルファム
トップノート:ベルガモット、カルダモン、パイナップル、グリーンノート、マンダリン・オレンジ、パパイヤ
ミドルノート:ジャスミン、ヴァイオレット、ナツメグ、ローズ、スズラン、イリスルート、フリージア
ラストノート:ムスク、アンバー、グリーンティー、オークモス、シダー