作品名:ウエスタン Once Upon a Time in the West (1968)
監督:セルジオ・レオーネ
衣装:カルロ・シーミ
出演者:クラウディア・カルディナーレ/チャールズ・ブロンソン/ヘンリー・フォンダ/ジェイソン・ロバーズ
よく喋る男ほど、ブロンソンが大好きなんだ。
無口な殺し屋というものは、脇役だと、ハッタリの効く役柄なのですが、主人公が、無口で謎の男ということになると、余程、その主人公を演じる役者に、存在感がないと、映画自体が薄っぺらなものになってしまうものです。
そんな役柄を演じきったからこそ、ブロンソンは、21世紀においても、〝タイムレス・メンズアイコン〟として究極の立ち位置を確立することになったのです。
当初ハーモニカ役を、レオーネは、クリント・イーストウッドで考えていました。そして、15分間延々と、イーストウッドの前で、レオーネはオープニングシーンを演じてみせたのでした。肝心の映画の内容を話さないレオーネに苛立ったイーストウッドは、「ちょっと待ってくれ。そもそも、どんな内容の映画なんだ?」と聞きただし、出演を辞退しました。そして、第二候補のジェームズ・コバーンにも辞退されたレオーネが、「大理石で出来た男」と評していたブロンソンに出演を持ちかけたのでした(ブロンソンは、『荒野の用心棒』からずっとレオーネのオファーを蹴っていたが、ようやくアメリカ資本の本作への出演を決心したのでした)。
スニーカーを履くブロンソンなんて見たくねえ!
この作品のリズムは、人間が死ぬ直前に洩らす最期のあえぎ声の持つ感情を表そうとしたものなんだ。『ウエスタン』は冒頭からラストまで、死の舞踏なんだよ。クラウディアを除くすべての登場人物たちは、自分が最後まで生き延びることはないだろうということを意識している。そして私は観客に、こいつらがどうやって生き死んでいくのかを感じさせたいと思ったんだ。観客がこいつらと十日間一緒に過ごしたみたいにね。
セルジオ・レオーネ
2019年に入り、ダッドスニーカー・ブームは、GUなどにも伝染し、「やり過ぎだけどカッコいい」から「ダサくてチープなセンス」に移行しつつあります。ラグジュアリー・ストリートに関しても、「日本にストリートってあったっけ?」という本質的な部分のツッコミどころと、黒人だからこそ、マルチカラーは似合うんだという絶対的な壁の前で、「形だけ黒人のマネをしてもダサい」という感覚が芽生え始めつつあります。
そんな今こそ、日本人は、ブロンソンに振り返るべきなのです。無口で、細目で、孤独が好きなサムライ精神こそが、日本男児が最も美しく見える瞬間なのです。つまりは東洋人にはマルチカラーは似合わないのです。そして、20代半ばになっても、レザーシューズも履けない男性なんかは、ストリートで生き残れないほどにショボい男性ということなのです。