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長谷紅

ブロンディ

【デボラ・ハリー】第十八章 スウィート・アンド・ロウ|サヨナラ・シュガー

デボラ・ハリー(このアルバムから再びデビーからデボラに名前が戻る)が1989年に発表したサード・アルバム『デフ、ダム・アンド・ブロンド』のサード・シングルとして発売されました。超絶ダサいPVは、スティーブン・スプラウスにより監督されたものです。
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【デビー・ハリー】第十七章 愛に魅せられて|スティーブン・スプラウス

デビー・ハリーが1986年に復活を遂げたセカンド・アルバム『ロックバード』のサード・シングルとして発売されました。この曲は「ハート・オブ・グラス」の続編として作られ、U.S. Billboard Hot Dance ClubチャートのNo.1に輝きました。PVの中で着ているスティーブン・スプラウスがデザインしたカラフルな衣装が印象的です。
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【デビー・ハリー】第十六章 フレンチ・キッス・イン・ザ・USA|ヴィデオドローム

恋人でありブロンディの盟友クリス・シュタインの重病の看病のため、1982年に活動を中止(ブロンディは解散)していたデビー・ハリーが1986年にセカンド・アルバム『ロックバード』で復活を遂げました。そのファースト・シングルとして発売されたのがこの曲です。
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【デビー ハリー】第十五章 バックファイヤー|エイリアンの恋人

デボラ・ハリーがデビー・ハリー名義で、1981年に発表した初めてのソロ・アルバム『予感』から発表されたファースト・シングル「バックファイヤー」は、『エイリアン』(1979)でアカデミー賞視覚効果賞を受賞したばかりのH・R・ギーガーの協力の下、作られました。
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【ブロンディ】第十四章 誘惑の楽園|ジェダイの騎士デボラ

ブロンディの実質的に最後のアルバムとなったのが『ザ・ハンター』(1982年、全米No.33、全英No.9)でした。そして、そこから2曲がシングル・カットされました。ファースト・シングルの「誘惑の楽園」は、南国のリゾート地を連想させる曲調です。もはやこの時代のデボラ・ハリーのファッションには見るべきものは何一つ御座いません。
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【ブロンディ】第十三章 ラプチュアー|世界初のホワイトラップ

「夢見るNo.1」により、レゲエを自らの音楽に取り入れることに成功したブロンディが、次に目をつけたのは、当時アンダーグラウンドで黒人の間で流行の兆しを見せていたラップでした。そして、生み出されたのが、白人でありながら、史上初めて〝ラップをフューチャリングした曲〟「ラプチュアー」でした。
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【ブロンディ】第十ニ章 夢見るNo.1|革ジャンとミリタリールック

ブロンディを語るとき忘れてはならないのが、この曲「夢見るNo.1 」です。1974年に全米No.1ヒットに輝いたエリック・クラプトンの「アイ・ショット・ザ・シェリフ」が、史上初めての全米No.1レゲエだとしたら、この曲に続く快挙をブロンディが成し遂げたことになります。
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【ブロンディ】第十一章 銀河のアトミック|金髪核弾頭投下

ヴィクトリア・ベッカムのようなアンドロイド・ビューティー・メイク(口紅はトレードマークの赤ではない)を施したデボラ・ハリーが恍惚の表情で歌う「銀河のアトミック」。オープニングの宇崎竜童チックな弾丸スタートからして硬派なロックかと思いきや......
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【ブロンディ】第八章 ドリーミン|カットアウトロンパース

「ドリーミン」のPVの中でデボラが着ているエメラルドブルーのカットアウトロンパーズは、スティーブン・スプラウスがデザインしたものでした。同色のタイツとヘッドバンドの組み合わせが、一見するととてつもなくダサく、時が経過するにつれてなんか「かわいいね」という不思議な共感を呼び覚ましてくれます。
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【ブロンディ】第七章 サンデー・ガール|トムボーイ・ルック

デボラ・ハリーが当時飼っていた猫の名をサンデーと申します。そんな愛猫について歌う曲「サンデー・ガール」は、1979年5月に発売され、イギリスにおいてNo.1ヒットとなりました。PVにおいてデボラが着ているトムボーイ風メンズスーツ・ルックがとてつもなくクールです。
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【ブロンディ】第六章 ハート・オブ・グラス|デボラ・ハリーの覚醒

伝説のディスコ・スタジオ54で演奏しているその違和感を、デボラが、シャイニーなアイシャドーを強調したメイクによって、半ば人を小バカにしたかのような歌唱スタイル=小悪魔スタイルで吹き飛ばしたのでした。ここに1980年代のマドンナとプレイメイト達の原型は誕生したのでした。
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【ブロンディ】第五章 ハンギング・オン・ザ・テレフォン|リアル・ギズモ

全く売れなかったパワーポップバンド・ナーヴスの1976年の同名曲をカバーしたこの曲は、ブロンディのニューウェイブバンドとしての実力を見るのにうってつけです。とにかく、もう、デボラ・ハリーの表情がすごい事になってます。特に「テ~レフォ~ン」とシャウトするチカラの入り方が、もう惚れ惚れするくらい男前です。
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【ブロンディ】第四章 恋のピクチャー|ディスコ・ドレスと元祖ボディコン

ブロンディの3枚目のアルバム『恋の平行線』(1978)から、ファースト・シングルとして発売されました。デボラ・ハリー自身が作詞したこの曲は、ニューウェイブを代表するラブソングとして高評価を得ました。プロデューサーは、マイク・チャップマン。彼の手腕によりブロンディは、世界規模のセックス・シンボルへと昇華していくのでした。
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【ブロンディ】第三章 デニスに夢中|ダサいボーダー水着とレッドブーツ

デボラ・ハリーが率いるブロンディの最初のヒット曲(1978年全英No.2ヒット)。この曲から「ブロンディ伝説」が始まりました。この曲のPVでデボラが着ている1950年代風の赤白ボーダーのワンピース水着と、その上からディナージャケットを軽く羽織る姿は、とんでもなくチープなのか、とんでもなくスゴいのか判断しかねる謎のムードに満ち溢れています。
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【ブロンディ】第二章 愛してほしい|デボラ・ハリーのベレー帽

1978年の「デニスに夢中」に遡ること1年前(1977年)に、オーストラリアにおいて、No.2ヒットを生み出していたのでした。そして、この時のデボラ・ハリーのベレー帽スタイルが、後のポップスターに対して大いなる影響を与えることになるのでした。
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【ブロンディ】第一章 デボラ・ハリーという女

デボラ・ハリー(1945年7月1日-)は、プラチナのように光り輝くブロンドヘアと、キスしたくなるような妖艶な薄い上唇、そして、退廃的なマレーネ・ディートリッヒのような頬骨により、1970年代後半に彗星の如く現れ、1980年代前半にかけて、マドンナ前夜のミュージック・シーンにおけるファッション・アイコンとして君臨しました。
ブロンディ

【ブロンディ伝説】デボラ・ハリーのファッション史

常々自分の本当の母親はマリリン・モンローに違いないと確信していたデボラは、ニューヨークに旅立ち、クラブのウエイトレスやプレイボーイハウスのバニーガールをしながら、クラブ通いを続けました。そして、1974年に、盟友クリス・スタインと出会い、「ブロンディ」を結成します。
ラルチザン パフューマー

【ラルチザン】オート ヴォルティージュ(ベルトラン・ドゥシュフール)

2013年に、ラルチザンが展開した最上級フレグランス・ライン「エクスプロージョン オブ エモーション」の第二弾の3作品のうちのひとつです。その名の意味は「最高の飛行技術、高度なアクロバット」です。ベルトラン・ドゥシュフールにより調香されました。
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ベイビー・ドライバー2(2017)【映画の中のファッション】(2ページ)

作品名:ベイビー・ドライバー Baby Driver(2017)監督:エドガー・ライト衣装:コートニー・ホフマン出演者:アンセル・エルゴート/リリー・ジェームズ/ケヴィン・スペイシー/ジョン・ハム/エイザ・ゴンザレス/ジェイミー・フォックス...
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『007 ゴールデンアイ』Vol.7|KENZOを着るイザベラ・スコルプコ

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