オードリー主演作の中でも知名度が低い作品
今でこそこの作品は、日本では知名度の低いオードリー作品として『緑の館』(1959)と『許されざる者』(1960)の二作品と共に名前があがる存在になっていますが、公開当時、日本では1956年度の配給収入の第4位(1位『任侠清水港』、2位『ジャイアンツ』、3位『海底二万哩』)を記録する大ヒットを記録し、50年代から70年代にかけてのオードリー・ヘプバーンの代表作の一つでした。
全米興行収入においても、7位(1位『十戒』、2位『80日間世界一周』、3位『ジャイアンツ』)でした。ちなみに、オードリーの作品で全米興行収入がベストテンに入ったのは、本作以外に、『ローマの休日』(1953年、7位)、『尼僧物語』(1959年、10位)、『シャレード』(1963年、9位)、『マイ・フェア・レディ』(1964年、2位)の全5作品のみです。
ナターシャのファッション5
赤マント
- 白のファーがトリムされた赤のコットンベルベット・マント
真夏にローマで撮影された本作は、冬のモスクワを再現するために、石膏粉に浸したコーンフレイクを送風機で吹き飛ばして雪を作りました。
ナターシャのファッション6(宝塚風乗馬スタイル)
乗馬服
- ライトブラウンのルダンゴト
- クリーム色のクラヴァット
- 黒のシルクハット、ライトブラウンのシフォンのリボン
- 黒の乗馬手袋
私は8月にベルベットと毛皮を着て撮影に臨みました。猟のシーンで、ベルベットを着てハイハットをかぶっていたの。そして、一家がローマの灼熱の太陽のもとで広大な野原を進んでいるときに、とつぜん馬が気絶してわたしの下からふっと消えた・・・
オードリー・ヘプバーンは、このシーンの撮影で気絶した馬の下敷きになりかけました。
オードリーが着用する乗馬服が、中性的な彼女の雰囲気を引き立たせており、宝塚の男役のような凛々しさを湛えています。
シルク以上にウール素材に重きを置いたイギリスの乗馬文化が、18~19世紀のヨーロッパの宮廷文化に与えた影響は大きく、1725年にフランスにも伝わった乗馬服のルダンゴト(ウエスト部分が極端に絞られ、裾が広がったライディングコートがフランス語になまってこう呼ばれるようになる)が18世紀末から一般的に着用されるようになりました(現代におけるフロックコートの原型)。
ナターシャのファッション7
シノワズリなイエローナイトガウン
- チャイナボタンがついたジャガード織りのロングガウン
ナターシャのファッション8(ハイライト・シーン)
舞踏会用シュミーズ・ドレス
- スクエア・カットのシュミーズドレス
- 白のスペイン扇子
- 白のロンググローブ
- アクセサリーは、頭にティアラとダイヤモンドのイヤリングのみ
このシーンの写真は、日本のウエディング会社に特に人気があります。そして、オードリーとメル・ファーラーが踊る写真の下には、決まってこの一文が挿入されています。「二人はこの作品で共演し、結婚しました」と。
それは真実ではないのですが、そういた間違いさえも、真実味を帯びさせてしまうのが、オードリー・ヘプバーンという女優の持つ〝嘘を真実に変える〟魅力なのです。
結婚というセレモニーに最も相応しいアイコンとして、オードリー・ヘプバーンが選ばれる理由が知りたければ、この舞踏会のシーンを見れば100%理解ができるはずです。
オールホワイトのミリタリー・ルック
プロデューサーのディノ・デ・ラウレンティス(どこかティラノザウルスを連想させるお名前)は、ボロディノとアウステルリッツの会戦のシーンのために、政府高官に対して多額の賄賂を渡し、臨時召集をかけた15000人のイタリア軍兵士と約8000頭の馬をエキストラとして使用し撮影に臨みました。
そして、頻発するエキストラとスタントマンの怪我や熱射病に備えて、65人の医師に戦闘員を演じさせ、救急処置に当たらせたのでした。
作品データ
作品名:戦争と平和 War and Peace (1956)
監督:キング・ヴィダー
衣装:マリア・デ・マッテイス
出演者:オードリー・ヘプバーン/アニタ・エクバーグ/ヘンリー・フォンダ/メル・ファーラー/ヴィットリオ・ガスマン/ハーバート・ロム/ジェレミー・ブレット