オードリー・ヘプバーンを象徴するマイ フェア レディ ドレス
『マイ・フェア・レディ』のハイライト・シーンであるアスコット競馬場のシーンは、すべて白と黒(とグレー)で統一したいというセシル・ビートンの美意識が反映されています。それはエドワード王亡き後の〝ブラック・アスコット〟に由来してのことでした。
その白と黒の世界に、あっと驚く変身を遂げたオードリー・ヘプバーン(1929-1993)扮するイライザが、白と黒のドレスを着て登場する最も重要なシーンとなります。帽子とバッグにワンポイントの赤色が差し込まれているのがポイントです。
まさに女性が華やかに変身する時の、ごく自然な、自信に満ちた、それでいて少しはにかんだ優雅さが、画面上を支配してゆきます。
(アスコット競馬場のシーンを撮るときのこと)おおぜいの観戦客が集まるなか、オードリーがあの豪華な衣装と髪型でテスト撮影のために姿を現した。まさにオードリー・ヘプバーンここにあり、だ。
ファッション・リーダーという名声にこれほどふさわしいと思わせる瞬間はほかになく、彼女の魅力がこれほど象徴的に発揮されたことはなかった ―― オードリーは輝くように、あるいは少しはにかんだようにほほえみ、長いまつ毛を優雅に動かし、目を伏せ、まばたきをし、自分を魅力的に見せるあらゆるトリックを自信を持って使っていた。この輝きは彼女の強い自信から生まれていた。
彼女がカメラの前でくるりとまわると、200人ものエキストラがその様子をかたずを飲んで見守った。競馬観戦用の望遠鏡ごしに自分のほうをじっと見ている何人かの人々に気づいたとき、彼女は心底、愉快そうな表情を浮かべたよ。
セシル・ビートン

女性はモノトーン、男性はグレーで統一された様式美。

前髪が残されている所に絶妙なセンスの良さを感じさせます。

『007美しき獲物たち』でも登場したアスコット競馬場のシーン。こちらは全てセットです。
「マイ・フェア・レディ」と大きな帽子とキャサリン皇太子妃

これだけのアイテムを絶妙に配置するセシル・ビートンのセンスの良さ。

「モノトーン・ストライプの美学」の代表例。
私は大きな帽子が大好きです。まさに飛び立たんとばかりにかまえている鳥のようなものだ。帽子は常に動いているように見えます。ドレスはまるで帽子の茎のようになります。
オードリー・ヘプバーン
アスコット競馬場の場面では、彼女は少しばかり服に圧倒されて見えなくてはならない。あそこでは、まだ完璧な成功をおさめられたわけじゃないからだ。
ジョージ・キューカーがセシル・ビートンに出した指示。
1912年頃の上流階級のファッションにおいて、帽子は不可欠なアクセサリーでした。ちなみに、ブロードウェイの初日にイライザを演じたジュリー・アンドリュースは、帽子を逆さまにかぶってしまい、セシルを怒らせてしまいました。
2024年6月15日の英国国王の祝賀パレード、トゥルーピング・ザ・カラーに出席したキャサリン皇太子妃は、『マイ・フェア・レディ』のロイヤルアスコット・ドレスからインスパイアされた、ジェニー・パッカムによる、黒のディテールが施された白いコートドレスを着ていました。
そしてそれにマッチしたフィリップ・トレイシーによるファシネーターをまとい、がん診断から約半年ぶりに公の場に華々しく復帰しました。
ちなみにカリフラワー・パール・イヤリングはカサンドラ・ゴードのもので、2018年から愛用しているものです。
イライザ・ドゥーリトルのファッション9
ロイヤルアスコット・ドレス
- ホワイト×ブラック・シルクドレス。白いシルク地にレースを重ねたタイトドレス、帽子と胸と裾に配置されたベルベットのストライプリボンは、ぐるりと一周りしていないのがポイント
- マダム・ポーレットのヘッドドレス、唯一帽子に挿された真紅のポピーの花が全体のアクセントになる。〝カート・ホイール(車輪)〟のような格別大きなブリム
- ホワイトレース・グローブ
- レネ・マンシーニの白サテンシューズ
- ホワイトシフォンのふわふわバッグ
- エレノア・アビーの日傘

この大きなハットが、ジャミロクワイや漫画のワンピースに与えた影響は計り知れない。

ふわふわしたバッグとアンブレラも素敵。

当時のアスコット競馬場のドレス・コードは、グレーのモーニングにシルクハットでした。一方、ヒギンズ教授はコードを無視したブラウンの3ピースのスーツにフェドラ帽です。

エドワード朝時代にしてはタイトすぎるドレス。

セシルは、モディリアーニの作品をイメージしてシャッターを押した。

実際にアスコット競馬場で撮影していないからこそ生まれたファンタジー空間。

このドレスを着ているときはしっかりとは座れない。

セシル・ビートンによるデザイン画。

衣装合わせをしているオードリー。
レディ・ダイアナ・クーパー

レディ・ダイアナ・クーパー様。1937年、ヴォーグ。

サイレント映画女優時代のレディ・ダイアナ・クーパー。

レディ・ダイアナ・クーパー、1944年。息子と共に。彼女のトレードマークであるミリタリー・キャップ姿。

オードリー・ヘプバーンとグラディス・クーパー

若き日のクールビューティーなグラディス・クーパー。1930年。
舞台劇では20人だった女性エキストラが映画では400人以上に膨れ上がり、より当時(1912年)のアスコット競馬場の雰囲気を再現するためにセシル・ビートン(1904-1980)は友人の上流社交界の女王、レディ・ダイアナ・クーパー(1892-1986)にアドバイスを求めます。
特にヒギンズ教授の母親に扮するグラディス・クーパー(1888-1971)の衣装デザインのアドバイスを求めました。そして、彼女は、その時代にアスコットで着用されたドレスや帽子をトランク一杯送ってくれたのでした。
セシルはその貴重なファッション・アーカイブを活用しようと意気込んでいました。しかし、そのために集められたエキストラの女性たちを見て唖然としました。なんとそこには、カリフォルニアのビーチからやって来たような、ピチピチした健康的な小麦肌の美女たちが集結していたのでした。
60年代の小麦肌美女たちを、英国上流階級美女に変身させました。

ドレスアップしたカリフォルニア・ガールズと誰よりも目立っているセシル・ビートン。

このシーンのセシル・ビートンのスケッチ。
そんな60年代の小麦肌の現代娘たちに、白と黒のアールヌーボーのドレスがマッチするはずがありません。そのためセシルはスケッチより帽子を大きくして、顔を半分以上隠しました。
セシルは、1912年当時の花形のオートクチュール・デザイナー、ポール・ポワレやルシールに引けをとらないドレスをアスコット・シーンに投入しました。約1000着用意された衣装のうち約400着はすべて白と黒の二色で、このシーンのために作られたドレスでした。
特にイライザのドレスの美しさは圧巻であり、そこには、ただ美しいだけではない、女性美を強調する挑発的なシルエットと、個性が宿っていました。
高い襟、長い袖、細く締めたウエスト、スカートの後ろのギャザーなどエドワード朝時代のドレスの特徴が再現されつつも、社交界デビューにおいて衝撃を与えるかのごとく、男性の下心をくすぐる官能的なテイストさえも内包させているのです。いわゆる〝隙のある絶世の美女〟です。
このドレスのデザインが、上流階級の中に突然現れた、ストリート育ちの娘のある種の妖しさを見事に演出しています。そして、これこそが、20世紀後半から始まるストリート・ラグジュアリーの予言でもあったのでした。
ラグジュアリー・ファッションの中に、突然現れた異質なストリート・ファッションが、やがてウイルスのようにラグジュアリーを侵食していくのです。
作品データ
作品名:マイフェアレディ My Fair Lady(1964)
監督:ジョージ・キューカー
衣装:セシル・ビートン
出演者:オードリー・ヘプバーン/レックス・ハリソン/ウィルフリッド・ハイド=ホワイト
- 【マイ・フェア・レディ】オードリー・ヘプバーンの不滅のミュージカル超大作
- 『マイ・フェア・レディ』Vol.1|オードリーとハリウッドのユベール・ド・ジバンシィ
- 『マイ・フェア・レディ』Vol.2|レディに変身する寸前のオードリーとセシル・ビートン
- 『マイ・フェア・レディ』Vol.3|オードリーが自分自身で歌いたかった「踊り明かそう」
- 『マイ・フェア・レディ』Vol.4|レディにしあがるイライザのアイコニック・ドレス
- 『マイ・フェア・レディ』Vol.5|ジバンシィがデザインした訳ではない素晴らしいイブニングドレス
- 『マイ・フェア・レディ』Vol.6|ジュリー・アンドリュースとオードリーとアカデミー賞
- 『マイ・フェア・レディ』Vol.7|映画の中で登場しなかったオードリーの膨大な衣装①
- 『マイ・フェア・レディ』Vol.8|映画の中で登場しなかったオードリーの膨大な衣装②