アラン・ドロンとコート
アラン・ドロン・スタイル9
- カーキー色のレインコート
同年に製作された『サムライ』こそその象徴的な作品なのですが、アラン・ドロンほどコートが似合う男優は存在しません。たしかに、ハンフリー・ボガートのトレンチ・コートもなかなかのものですが、少し古さを感じずにはいられません。しかし、アラン・ドロンのコート姿は、今見ても、最先端のクールと翳りに包まれています。
男性にとっても、女性にとっても、コートを着るということは、人生を着ているということを忘れてはなりません。人間の本性は後姿によく出てきます。良質な生地の皺と、粗悪な生地の皺が分かりやすいのもコートの特質であり、動いたときのドレープなど、人間の肌のように動くカッティングがなされているものもあれば、ただただ、着るためではなく、吊るすために作られことが容易に分かるコートもあります。プチプライスがこれほどプアプライスに化けるアイテムもなく、貧困をしょって歩いているように見える恐ろしいファッション・アイテムなのが、コートなのです。
スーパーモード化したマヌー。
アラン・ドロン・スタイル10
- ブラックモードスーツ
そして、『冒険者たち』は永遠になった・・・
リノ・ヴァンチュラ・スタイル9
- スカイブルーのサファリシャツ
- グレーのトラウザー
財宝を執拗に狙う暗殺者たちにフォール・ボワヤールを襲撃され、マヌーは致命傷を負う。そして、ローランはマヌーに言う(この時のリノ・ヴァンチュラの笑顔が本当に魅力的だ)。「レティシアは言ってたぞ、お前と暮らすんだと・・・」その友の言葉に対して、マヌーが答えるときの表情が美しい「嘘つきめ」と・・・その表情は明らかに喜びに満ち溢れていた。
マヌーは、友に見届けられ死を迎えることが出来た(アラン・ドロンほど死の芝居が上手い人はいない)。しかし、ローランは取り残された。若さとは、老いたるものを残して、疾走して死ぬ特権であり、老いるということは、その後も生き続けるということだ。それにしても、ボタンダウンシャツ一枚をはだけた男たちの姿がこれほど美しいと思わせる作品も少ないだろう。
この作品が、タイムレスな男のダンディズムのバイブルである理由は、若き日に見たときは、男たちはアラン・ドロンに感情移入し、やがて老いた日に見たときは、リノ・ヴァンチュラに感情移入して見れるところにあるのだろう。今の世界中の映画に欠けているのは、こういった大人の映画だ。要するにコミックサイズの映画ばかり増えているということだ。そこにはダンディズムもへったくれもなく、ただただ、安っぽい勧善懲悪があるだけだ。