エメ・ゲラン
Aimé Guerlain 1834年4月2日、フランス・パリで生まれる。1862年に、父親であり、ゲラン創業者兼初代調香師のピエール=フランソワ・パスカル・ゲランから、二代目調香師を継承される。
最大の功績は、ゲルリナーデというゲラン秘伝のレシピを完成させたことと、1889年に発表した「ジッキー」により、天然香料と合成香料を組み合わせ、ひとつの香りの中にさまざまな側面を生み出していくという『最初の現代フレグランス』を創造したこと。
そして、もうひとつ、弱冠16歳の甥っ子ジャック・ゲランの才能を見抜き、5年間みっちり鍛え上げ、ゲラン帝国を興隆させる三代目皇帝への道を歩ませたことも偉大なる功績のひとつである。
代表作
16歳の少年の才能を見抜いた二代目調香師
1828年にゲランを創業したピエール=フランソワ・パスカル・ゲラン(1798-1864)は、1862年に息子のエメ(当時27歳)を後継者として指名し、引退しました。そして、エメは二代目調香師に就任し、弟ガブリエル(1841-1933、シャリマーなどのボトルをデザインした人でもある)は、ジェネラル・マネージャーとしてゲラン帝国を大帝国にするための礎を築いていくことになる。
偉大なる父親の跡を継ぎ、これといった香りを生み出すことが出来なかったエメは、1882年に48歳にして、31歳のジャンヌと結婚したことをきっかけにその才能を覚醒しました。
「フルール・ディタリー」(1884)「ロココ」(1887)といった香りを調香する過程で、東洋のスパイスをふんだんに使用する独自のスタイルを生み出し、さらにはベルガモット、ローズ、ジャスミン、トンカビーン、アイリス、バニラを組み合わせた〝ゲルリナーデ〟という秘伝を生み出す。
このゲルリナーデは、以後、歴代調香師にのみ伝承されることになる。
ジッキーは不意に現れ、自然をコピーするというフランスの香水の伝統を全て捨て去った。それは香水がはじめて感情を持った瞬間でした。
ジャン=クロード・エレナ
そして、フランス革命100周年を記念してパリで第4回万国博覧会が開催された1889年に「ジッキー」を生み出し、「革命」を起こしました。この香りこそが、天然香料と合成香料を組み合わせて作られた、現在も継続して販売されている最古の香りです。
そして、このことにより香りは、コントラストとバランスの芸術となり、ひとつの香りの中に、フレッシュ、フローラル、スパイシー、オリエンタル、アニマリックといった色々な側面を与えることが可能になったのでした。
ジャンヌとの間に子供がなかったエメは、自分より遥かに優れた才能があると感じていたガブリエルの息子ジャックを、弱冠16歳だった1890年以降、後継者として育て、1895年に三代目調香師に就任させ、引退し、1910年に没するのでした。