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オードリー・ヘプバーン

オードリー・ヘプバーンのすべて【1955】第一編|最後のピクシーカット

オードリー・ヘプバーン
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オードリー・ヘプバーンのすべて【1955】第一編(全五編)(3ページ)

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オードリー・ヘプバーン出演作一覧

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オードリー・ヘプバーンとセシル・ビートン





オードリー・ルック<1955年>1 ラッフルシャツ
  • ラッフルシャツ、サーキュラーカフス
  • ダークトーンのフレアスカート
  • 最後の写真のみ違うダブルカフス・シャツ

マイ・フェア・レディ』(1964)でオードリー・ヘプバーンの膨大な衣裳をデザインすることになるセシル・ビートンが、1955年のはじめに撮影したオードリーの写真です。『戦争と平和』の撮影に向けてオードリーは髪を伸ばし始めていた時期であり、オードリーの生涯最後のピクシー・カットの瞬間でした。

夫メル・ファーラーの『美わしのロザリンダ』の撮影がロンドンで行われており、結婚後はじめての新年をロンドンで迎えることになったオードリーは、1954年夏に『麗しのサブリナ』も公開され、ハリウッド映画出演僅か2作品にして、空前絶後のスーパースターの地位に上り詰めたのでした。

そして、そのことが彼女にひとつの重い十字架を背負わせることになりました。オードリー・ヘプバーンは、もう脇役を演じることは許されず、主演を演じ続けなければならない存在となったのでした。そして、オードリーは1950年代の『風と共に去りぬ』とも言われた超大作『戦争と平和』への出演を決断したのでした。

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オードリー、ジバンシィのファッション・ショーへ!





オードリー・ルック<1955年>2 ジャージードレス
  • ジバンシィのダークグレージャージードレス、ショートポイントカラー
  • 一連のパールネックレス
  • 黒のローヒールパンプス

1955年2月、パリにて、オードリー・ヘプバーンとメル・ファーラーはジバンシィのファッションショーを訪れました。この時のジャージードレスがとても美しいです。アクセサリーは一連のパールネックレスのみというシンプルさ。これこそがオードリーの美に対する信条です。

オードリーは、この頃、オットー・プレミンジャー監督のジャンヌ・ダルク役を断わりました。そして、ジーン・セバーグがこの役を演じ、その後、『悲しみよこんにちは』(1958)でユベール・ド・ジバンシィが彼女のドレスをデザインすることになったのでした。