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デボラ・ハリー

バイレード

【バイレード】ミスター マーヴェラス(ジェローム・エピネット)

2006年に創立されたバイレードから2011年に発売された「ミスター マーヴェラス」は、ジェローム・エピネットによって調香されました。生きる伝説と呼ばれるヘアスタイリスト、クリスチャーン・ホーテンボス(1945-)からインスパイアされた香りです。
ブロンディ

【ブロンディ伝説】デボラ・ハリーのファッション史

【ブロンディ伝説】デボラ・ハリー Deborah Harry デボラ・ハリーは、1945年7月1日に、アメリカのフロリダ州マイアミで生まれました。僅か3ヶ月後に養女に出され、ニュージャージー州ホーソンで、貧しいながらも、里親の愛情を一身に浴...
ブロンディ

【ブロンディ】第八章 ドリーミン|カットアウトロンパース

「ドリーミン」のPVの中でデボラが着ているエメラルドブルーのカットアウトロンパーズは、スティーブン・スプラウスがデザインしたものでした。同色のタイツとヘッドバンドの組み合わせが、一見するととてつもなくダサく、時が経過するにつれてなんか「かわいいね」という不思議な共感を呼び覚ましてくれます。
ブロンディ

【ブロンディ】第七章 サンデー・ガール|トムボーイ・ルック

デボラ・ハリーが当時飼っていた猫の名をサンデーと申します。そんな愛猫について歌う曲「サンデー・ガール」は、1979年5月に発売され、イギリスにおいてNo.1ヒットとなりました。PVにおいてデボラが着ているトムボーイ風メンズスーツ・ルックがとてつもなくクールです。
ブロンディ

【ブロンディ】第五章 ハンギング・オン・ザ・テレフォン|リアル・ギズモ

全く売れなかったパワーポップバンド・ナーヴスの1976年の同名曲をカバーしたこの曲は、ブロンディのニューウェイブバンドとしての実力を見るのにうってつけです。とにかく、もう、デボラ・ハリーの表情がすごい事になってます。特に「テ~レフォ~ン」とシャウトするチカラの入り方が、もう惚れ惚れするくらい男前です。
ブロンディ

【ブロンディ】第四章 恋のピクチャー|ディスコ・ドレスと元祖ボディコン

ブロンディの3枚目のアルバム『恋の平行線』(1978)から、ファースト・シングルとして発売されました。デボラ・ハリー自身が作詞したこの曲は、ニューウェイブを代表するラブソングとして高評価を得ました。プロデューサーは、マイク・チャップマン。彼の手腕によりブロンディは、世界規模のセックス・シンボルへと昇華していくのでした。
ブロンディ

【ブロンディ】第二章 愛してほしい|デボラ・ハリーのベレー帽

1978年の「デニスに夢中」に遡ること1年前(1977年)に、オーストラリアにおいて、No.2ヒットを生み出していたのでした。そして、この時のデボラ・ハリーのベレー帽スタイルが、後のポップスターに対して大いなる影響を与えることになるのでした。そうです、彼女こそ、女性のロックシンガーとして世界ではじめてベレー帽を取り入れた人でした。
ブロンディ

【ブロンディ】第三章 デニスに夢中|ダサいボーダー水着とレッドブーツ

デボラ・ハリーが率いるブロンディの最初のヒット曲(1978年全英No.2ヒット)。この曲から「ブロンディ伝説」が始まりました。この曲のPVでデボラが着ている1950年代風の赤白ボーダーのワンピース水着と、その上からディナージャケットを軽く羽織る姿は、とんでもなくチープなのか、とんでもなくスゴいのか判断しかねる謎のムードに満ち溢れています。
ブロンディ

【ブロンディ】第一章 デボラ・ハリーという女

デボラ・ハリー(1945年7月1日-)は、プラチナのように光り輝くブロンドヘアと、キスしたくなるような妖艶な薄い上唇、そして、退廃的なマレーネ・ディートリッヒのような頬骨により、1970年代後半に彗星の如く現れ、1980年代前半にかけて、マドンナ前夜のミュージック・シーンにおけるファッション・アイコンとして君臨しました。
シンディ・ローパー

シンディ・ローパー伝説1(2ページ)

シンディ・ローパー略歴 1953年6月22日 ニューヨーク市ブルックリンで生まれる。5歳の時、両親が離婚する。 1970年 高校を退学し、愛犬スパークルと家出し、様々な職業を経験する。 1978年 ブルー・エンジェルというグループを結成し、...
マドンナ

【マドンナ】バーニング・アップ|ラバーブレスレット

マドンナの記念すべき第2弾シングルですが、ビルボードチャート100位内に入るヒットにはなりませんでした。しかし、この曲のシングルカバー撮影のために招聘したマリポールというフタイリスト兼ジュエリー・デザイナーが初期のマドンナのファッション・テイストを決定付ける役割を果たすことになったのでした。
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