シルヴァーナ・マンガーノ様の決意
シルヴァーナ・マンガーノ様の魅力を一言で言うなら、生きる屍のような女性が、ある瞬間目に情熱を宿らせる。そんな瞬間を表現することに世界一長けた女優様だということです。彼女は、短距離走を9.5秒で駆け抜けるかの如くスクリーン上に、(無関心を装う)優雅さが妖艶さに変わる「魔の刻」を表現できる人でした。
イタリア人女優には、ロッサナ・ポデスタ様をはじめ「魔の刻」タイプの女優様は多いのですが、シルヴァーナ様の魅力は、ただ妖艶さのみが際立っているのではなく、その前に気品と薄ら笑いが見事に同居していると言う特性が存在します。間違いなく21世紀の今こそ、この絶滅種とも言える1つの女性像は探求するに値すると思います。
シルヴァーナ様は、1930年4月21日、イタリア人の車掌の父とイギリス人の母の間にローマで生まれました。戦争中だということもあり、極貧の子供時代を過ごしていましたが、7歳から13歳までジア・ルースカヤ舞踏研究所でバレエを習いました。168cmの長身と抜群のプロポーションを生かし、1946年ミス・ローマに輝きます。翌年、ミス・イタリア・コンテストに出場するも、優勝には至りませんでした。ちなみにジーナ・ロロブリジーダも出演していました。その後、映画実験センターに入学して、本格的に演技を学びます。
この頃マルチェロ・マストロヤンニ(ヴィスコンティにその才能を発掘される)と付き合っていましたが、1948年『にがい米』に出演し、そのセックスアピールで、グラマー女優として人気を博します。翌年、同作のプロデューサーであったディノ・デ・ラウレンティスと結婚します。それ以後、誰もが、後にかくも大女優になるとは想像も出来ないような冴えないグラマー女優としてのキャリアを長らく歩んでいました。そんな彼女にとっての一大転機が1967年にやって来ます。
ルキノ・ヴィスコンティ様とピエル・パオロ・パゾリーニ様との出会いです。この年、2人が監督として参加した『華やかな魔女たち』に主演しました。5つのオムニバスに、5つの役柄で主演したのです。シルヴァーナ様も30代後半になり、自分のキャリアを考えていたそんな矢先の作品でした。
疲れきった魔女グロリア
『華やかな魔女たち』の中で、ヴィスコンティ様が監督した「疲れきった魔女」 において、シルヴァーナ様は、美貌の大女優グロリアを演じます。友人のアルプスの山荘のパーティで皆の注目の的になるのですが、疲れがたまっていたので卒倒した彼女を、婦人たちは介抱するフリをして、そのメイクを剥がしてゆくのです。さぁ大女優の美貌の秘密を解剖しましょうとばかりに・・・。ウィッグを取って、リフトアップしているテープを剥がして、付けまつ毛を取って・・・。グロリアは、腕のいいメイクアップアーティストの創造物であることが白日の下に去らされてしまいます。
そして、翌朝、寝不足と二日酔いで朦朧としているすっぴんのグロリアの元に2人のやり手のメイクアップアーティストが送りこまれます。「さぁ、グロリアを作り出すのよ!」とばかりに、軽快なモダンジャズに乗せて、スタイリストと共に、リフトアップとウィグ、厚化粧といった流れが手際よく行われます。最後にフェンディのファーコートと派手な女優サングラスを装着して完成です。これで朦朧としているグロリアの本当の姿が分からなくなりました。そして、雪原に待ち構えているヘリコプターへと、パパラッチに囲まれながら、優雅に乗り込んで、去って行きます。
この作品以降、シルヴァーナ様は夫が製作する映画ではなく、ヴィスコンティ様やパゾリーニ様の芸術作品に出演するようになります。まさに大女優グロリアを彷彿とさせる蜃気楼のような女性を以後演じることになるのです。疲れきった魔女のみが持つ魔性を生み出す女優への道を・・・。
ポーランド貴婦人ルック4
- レース付きホワイト・ドレス
- ヴェール付き麦藁帽子。タフタ・フラワー付き
- 白のグローブ
- パールソトワールとパールイヤリング
ポーランド貴婦人ルック5
- モーブ色(薄灰紫色)のイブニングドレス。ビーズレース付き
- チュール付きのハット