梶芽衣子様の『女囚さそり』。残り三作品について
1972年8月25日に菅原文太と川地民夫主演の『まむしの兄弟 傷害恐喝十八犯』と同時上映された『女囚701号/さそり』は、予想外の大ヒット作となり、即座に二作目の制作が決定しました。しかし、梶芽衣子様は元々一作限りの条件でこの仕事を引き受けていました。
最終的に結婚を諦め、二作目の仕事を引き受けることになりました。更に、三作目の撮影が決定した時、芽衣子様は、当時の東映社長の岡田茂の前で「二作目が終わって結婚を諦めて、これからずっと仕事を続けていきたいと思っている私にさそりはできません」と伝えるも、強引に続投が決定してしまいました。
そんな混乱の真っ只中で撮影された深作欣二監督による『仁義なき戦い 広島死闘編』(1973年)の芽衣子様の情念溢れる戦争未亡人の組長の娘役は、様々な感情がカタルシスとなって迸るような素晴らしい演技でした。
私がなぜ『さそり』を一作で終わりにしたかったかというと、『女番長 野良猫ロック』 をやった時、役者として長く生きたいと思ったんです。それまではこういう世界は合わないからいつ辞めてもいいと思ってたのです。でも厳しくされたり、怒られたり、しかもいろいろな人生を演じることによって、化ける喜びも覚えました。それで私のような者でも、人の役に立つことがあるのなら一生の仕事にしようと思ったんですね。
でも、日本はイメージでしか役がこないんです。イメージの壁、年齢の壁は、役者の仕事を何十年続けていく上で絶対に越えなくちゃならない。そうした時に、今のイメージをいつかは自分で終わらせないと、前に進まないと思ったんですよ。
梶芽衣子

伝説のヤクザ映画『仁義なき戦い 広島死闘編』の北大路欣也。

原爆ドームを背景に歩く二人。この瞬間、『広島死闘編』は歴史的名作を約束された。
第ニ作目『女囚さそり 第41雑居房』





- 銀河鉄道999のメーテル風
- 袖にはファーのついたウールのシングルロングコート、パワーショルダー
- かなり大きなベルトのバックル
- 黒革の手袋
- 黒の女優帽(飾りがない)
私にホースで水を浴びせて、私がエビのようになっちゃうシーンがあるんです。真冬の撮影で、女囚の服もTシャツ1枚みたいなものだし、下は石でしょ。それに消防署のホースと同じものを使っているから水圧がものすごくて、体が痙攣しちゃうんです。さすがにライティングの間、伊藤監督とチーフの馬場昭格さんたちが、私の体をさすってました(笑)。一日かかりましたから命がけですよ。だから、映像に緊張感や迫力が伝わるんですね。
梶芽衣子
60分すぎた時に、二言だけしゃべる松島ナミ






撮影当時31歳の「狂気女優」白石加代子の存在感が凄い。
ヒロインがしゃべらないという、それまでにないことに挑戦し無我夢中でこれ一本で終わるつもりで撮ったのが、伊藤俊也監督のデビュー作となった第一作。それは自分にとっても思い出深い作品ですが、二作目、三作目に関してはアングラ芸術が流行っていた当時の影響が色濃く、そこに違和感を抱いていたのです。
『真実』梶芽衣子
1972年12月30日に高倉健主演の『昭和残侠伝 破れ傘』と同時上映された本作の見どころは、オープニングに登場する戸浦六宏の濃すぎる芝居につきます。女囚たちに罪を償って早く出所できるよう、一人一人に一言ずつ励ましの言葉をかけるのですが、それが白々しくて、誰の心にも響かなくて、最終的にはビビラされて失禁するという、そんな現代日本社会にも溢れかえってそうな薄っぺらな人物像がたまりません。
前作よりも更にしゃべらなくなった松島ナミは、60分すぎた時に「あたしを売ったね」「死んでるよ」と二言だけしゃべります。
ラストシーンで、表参道歩道橋に立ち、右手にオリエンタルバザーが見えるのですが、今と街頭の雰囲気はまったく違います。映画の大半は、セルジオ・レオーネの西部劇に出てきそうなマント風のグレイの布切れを身に纏っています。
第三作目『女囚さそり けもの部屋』



- 黒のトレンチコート
この作品においては、さそりルックは一瞬しか登場しない。
髪が長いから、扇風機で上げるのはホントに大変だった!あと、私の目の中に映像が映るシーンがあるの。それを撮るのに、私が瞬きしたら絵が終わっちゃうから、1分半ぐらい瞬きしないで我慢しました。できるだけ長くっていうのよ。もう「殺してやろうか、この監督」って思うくらい色々やりました。
(白石加代子さんが亡くなるシーンは夢の島で撮影された)ごみの中、行きましたよ~(笑)。行かなきゃ気が済まない人ですから。もう、異臭との戦い。さすがに病気になるんじゃないかと思った。
梶芽衣子
時代を映すミリタリースタイル




オープニングで芽衣子様が着ているのは、オリーブ(カーキ)色のショート・トレンチシャツの上から黒い太ベルトに、70年代風の襟の白シャツにオリーブ色のパンタロンとブラックブーツです。
オープニングで、成田三樹夫の腕をぶった切り、手錠で繋がれた血まみれの片腕と共に、大都会(渋谷)を走り抜ける芽衣子様の姿に、撮影だと気付かない一般人の人々はびっくり仰天している『東映の伝統芸=群衆隠し撮り』と共に、「怨み節」が流れます。
ちなみに「怨み節」は、四作品すべてがそれぞれ新たに収録されたもので、物語ごとの松島ナミの想いを、芽衣子様が〝語るように〟歌っており、それぞれがとんでもなく素晴らしいです。今聴いてもパワーのある歌詞です。
梶芽衣子様のセンスの良さがよく伝わるトレンチコート




ストーンカラーのトレンチコート(エポレット付き)にパンタロン、下にはインディゴのシャツ。それにしても昔の新宿南口で売春に励む渡辺やよいが強烈すぎます(李礼仙のエリマキトカゲ・ルックについては言及不要)。


中盤で少しだけ登場するブラックワンピースに黒いストッキングとブラック・ヒールローファーもストレートの黒髪の芽衣子様に似合っていました。



そして終盤にブルーのレースワンピースを着て逃亡する松島ナミ。黒のロングブーツが良く似合う。この三作目と四作目の間に『さそり』を見た原作者の小池一夫が推薦し『修羅雪姫』(1973年)の主役に抜擢され、撮影が行われました。
第四作目『女囚さそり 701号怨み節』



- 細身でかなりモード色の強いトレンチコート。ドレープがハンパない
- ブラックのウエスタンハット
- ブラックハイヒールブーツ


ミリタリー・ジャケットとジーンズで登場する第四作目は、「これで本当に最後」という芽衣子様に自由に好きな監督を選んでもらい、長谷部安春が日活から東映に呼ばれて監督しました。
『真実』梶芽衣子


そして、最後に首吊り台での死闘での貞子風白装束も印象的でした。
川久保玲やヨウジ・ヤマモトに与えた影響は絶大


1972年から73年にかけて生み出された一連の『女囚さそり』シリーズが、コムデギャルソンの川久保玲やヨウジ・ヤマモトからどのような影響を受け、または与えていったかを検証してみることは非常に興味深いことです。
しかし、それ以上に何よりも興味深いのは、全身黒づくめがここまで似合う梶芽衣子様という類まれなるファッション・アイコンの存在であり、この4部作の世界観は、今ではある種のモードの領域にまで到達しているという点です。
そして、まさにラグジュアリー・ファッションの本質とは、半分程度は非常にいかがわしい要素が<ちらり>と見えてこそであり、それは虚栄や肉欲や毒々しさなどといったものだということを再認識させてくれる作品です。
最後に3年後の1976年に多岐川裕美によって復活した『新・女囚さそり 701号』。根岸季衣と范文雀もとても印象的なのですが、やはり梶芽衣子様が唯一無二な事を再認識させてくれる作品でした。


作品データ
作品名:女囚さそりシリーズ Female Prisoner 701: Scorpion(1972-1973)
「女囚701号/さそり」「女囚さそり 第41雑居房」「女囚さそり けもの部屋」「女囚さそり 701号怨み節」の4部作。
監督:伊藤俊也(最終作のみ長谷部安春)
衣装:内山三七子
出演者:梶芽衣子/渡辺やよい/夏八木勲/成田三樹夫/田村正和
