なぜ今、『イージー・ライダー』なのか?
彼らはまたカウボーイでもある。馬の代わりにオートバイに跨ってはいるが同じことさ。
デニス・ホッパー
伝統や国家というものを否定し、「自然と本能の赴くままに生きる」というヒッピー文化が、1960年代後半にサンフランシスコから誕生しました。その独特なヒッピー・ファッションと共に、フリー・セックス&平和主義&アシッドトリップを楽しむライフスタイルは瞬く間に世界中に広がりました。
そのムーブメントは、1969年7月に全米公開された『イージー・ライダー』と、同年8月のウッドストック・フェスティバルによって頂点に達しました。
しかし、1970年代に入る前に、同年8月のチャールズ・マンソン事件と、同年12月のオルタモントの悲劇(ローリング・ストーンズの演奏中に警備にあたっていたヘルズ・エンジェルスのメンバーにより黒人青年が刺殺された)で一気に終焉を迎えることになりました。
そして時は過ぎ、21世紀に入り、世界は、平和とは程遠い「世界各地で戦乱と独裁国家が支配する世紀」を迎え、更には、デジタルに支配され、デジタルの中に自分自身を投影させる世紀に到達し、特にZ世代を中心に、再び、「自然と本能の赴くままに生きる」というヒッピー文化が見直されつつあります。
だから私たちは、改めてデジタル・チョッパーに乗った『イージー・ライダー』を見るのです。
60年代の空気は知りません。ノスタルジーもありません。でもなぜかこの作品の世界観に共感し、この三人の主人公に惹きつけられてしまうのです。

3人が揃う、『イージー・ライダー』を象徴するベストショット。

黄色で統制された素晴らしいポスターのデザイン。
チョッパーで疾走する二人のヒッピーと共に、新しい扉は開かれた!

出演者のほとんどが、撮影中にマリファナを吸っていたと言われています。

アメリカの荒野をバイクで突っ走る二人。
ひもは売春婦を売る奴のことだが『イージー・ライダー』はひもではなくて売春婦の恋人なんだ。彼は彼女からお金をもらったりはするが彼女のビジネスとは無関係なんだ。彼は売春婦とともに生き、彼女は彼にお金を与える。それが『イージー・ライダー』なのさ。
デニス・ホッパー
この作品の始まりは、1967年9月にトロントのホテルでピーター・フォンダが思いついた物語の断片からでした。そして、最初のタイトルとしてつけられたのが『一匹狼たち』でした。
そこから共同脚本家のテリー・サザーンの閃きにより、『イージー・ライダー』というタイトルに変更されました。
ハーレーダビッドソンを改造した2台のフルメッキのチョッパーで疾走する二人のヒッピーと共に、アメリカン・ニューシネマの潮流はやって来たのでした。
それは必ず負けることが約束された男たちの物語でもあったのです。「男は負けるときに最も輝くんだ」という『敗北者のバラード』と『滅ぶ人々への鎮魂歌』のようなムービーが量産された素晴らしい時代。それが1960年代後半から1970年代のアメリカン・ニューシネマの時代だったのです。
レイバンと共に登場するワイアット=キャプテン・アメリカ

オープニングでコカインの密売に成功するまで、二人のファッションは地味でした。

ワイアットはこのサングラスはずっと同じものですが、最初はかなり野暮ったく見えます。
『イージー・ライダー』でお披露目されるファッションの数はそれほど多くはありません。しかし、その一つ一つが実に印象的であり、1960年代後半のヒッピー・ファッションを知る上で最も象徴的であると言えます。
では、あの有名なステッペンウルフの「ワイルドで行こう!(Born to Be Wild)」が流れる前の、冒頭のシークエンスで、最も印象的なファッションを述べよと言われたならば、ワイアットのサングラスをあげずにはおれないでしょう。
このサングラス姿と、吹き替え=山田康雄に納得させられるもみ上げに圧倒されます。『ウエスタン』(1968)で強烈な悪役デビューを果たしたヘンリー・フォンダ(1905-1982)の息子であり、『バーバレラ』(1968)で無重力ストリップを披露したジェーン・フォンダ(1937-)の弟でもある、ピーター・フォンダ(1940ー2019)の登場です。
189cmの長身だからこそ体現できたチョッパーに乗るヒッピースタイル。それは175cmのデニス・ホッパーだと不可能なスタイルでした。ピーターが、その長身を駆使してチョッパーを乗りこなす代わりに、デニスは、実物のコカインを調達し、アメリカ映画史上初のコカイン吸引シーンを撮影したのでした。
キャプテン・アメリカのファッション1
ミリタリー・ルック
- カーキーのミリタリー・ブルゾン。後ろが引っ掛けて破れているのがポイント
- 首元にネイビーのバンダナ
- ボヘミアン・パターン入りの白系のプルオーバー
- ABC LEATHERSのレザーパンツ
- ブラック・レザーグローブ
- ブラウンスエードのデザートブーツ
- レイバンのサングラス「オリンピアン」

オープニングと、チョッパーを乗って革ジャンの後とでは、全く違うサングラスを付けているように見えるのが、ファッションの不思議さです。

このブルゾン、ベトナム戦争から還って来たばかりかのように所々破れています。

特に背中の部分が。

全身のシルエットも冴えません。

かなり光沢のあるレザーパンツを履いています。
デニス・ホッパーは二度死ぬ。

ビリーはずっとカウボーイハットをかぶっています。
Q 自分の人生を終えるとき、燃え尽きて終わりたいですか?
A いや、やり残したことがまだあって燃えている最中に、突然〝カット〟ってほうがいいなデニス・ホッパー 1990年 プレイボーイ
1950年代に『理由なき反抗』(1955)と『ジャイアンツ』(1956)でジェームズ・ディーン(1931-1955)と共演し、意気投合した10代の新人俳優がいました。
その若き俳優の名をデニス・ホッパー(1936-2010)と申します。当時、まだハリウッドがスタジオのコントロール下により、監督や俳優を管理し、映画製作していた時代でした。
将来有望だったデニスは、1958年『向こう見ずの男』撮影中に監督のヘンリー・ハサウェイと演技をめぐる対立をし、映画界から干されたのでした。それは彼がハリウッドで一度目の死を迎えた瞬間でした。
1965年、干される原因となったヘンリー・ハサウェイの助力によりジョン・ウェイン主演の『エルダー兄弟』でハリウッドに復帰しました。そして、この作品により、デニスは完全に生き返ったのでした。
ちなみに、本作の大成功により時代の寵児になったデニスは、70年代から80年代前半にかけ、ドラッグ&アルコール中毒により、キャリア的に二度死ぬのでした(1986年、デビッド・リンチ監督の『ブルーベルベット』により復活)。
ビリーのファッション1
スエード・ジャケット
- カウボーイハット
- サングラス
- スエードのブラウンジャケット。ラペルにベージュのウール
- 薄いブルーのシャツ
- ブラウンの鹿革のパンツ
- ブラウンのスエードブーツ

印象深いシェイプのサングラス

ビリーのファッションは、すべてブラウンで統一されています。

ちらっとパンツの裾から覗くブーツがとてもクールです。
プッシャー(麻薬密売人)登場。フィル・スペクターだ!
プッシャー・スタイル
- カリクロームイエローのレイバンシューター
- ハンチングハット
- ベージュのスエードブルゾン、ラペルはレザー
- ダークブラウンのコーデュロイパンツ
- 黒のボタンダウンシャツ
- ドライビング・グローブ
- 18金のゴールドブレスレット
この映画において、最も危険な男フィル・スペクター(1939-2021)が登場します。その後半生をドラッグ中毒と共に生き、殺人の罪で禁固19年を申し渡され、76歳にして刑務所に収監され、コロナで獄に繋がれたまま死にました。
そんな彼のカリクロームイエローのレイバンシューターは、ピーターのオリンピアンに匹敵するカッコよさです。

カリクロームイエローのレイバンシューター

実に嬉しそうにコカイン・ボックスを持つフィル・スペクター。

1963年、ザ・ロネッツの『ビー・マイ・ベイビー』のプロデュースにより、人気プロデューサーになる。

1970年にはビートルズの『レット・イット・ビー』のプロデュースも手がける。

しかし、70年代以降ドラッグ常習による奇行により、キャリアはストップし、2003年女優を射殺し、刑務所に収監される。
作品データ
作品名:イージー・ライダー Easy Rider(1969)
監督:デニス・ホッパー
衣装:記載なし
出演者:ピーター・フォンダ/デニス・ホッパー/ジャック・ニコルソン/カレン・ブラック
