マイケル・ジャクソンはなぜこの衣装を選んだのだろうか?
「ウィ・アー・ザ・ワールド」USAフォー・アフリカ 1985年3月リリース。全米第1位/全英第1位
ハリー・ベラフォンテの呼びかけにより、アフリカ(特にエチオピア)の飢餓救済のために作られたチャリティーソングです。作詞・作曲はマイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーが共作で行い、プロデュースはクインシー・ジョーンズが担当しました。マイケルの自宅で、リッチーが泊り込み、国家など壮大な曲を聴いて、覚えやすく歌いやすいメロディーを作りました。
参加アーティストの数が45人であり、列挙するだけでも、当時超一流のシンガーが参加したことがわかります。ウィリー・ネルソン、キム・カーンズ、ケニー・ロジャース、シンディ・ローパー、スティーヴィー・ワンダー、ダイアナ・ロス、ダリル・ホール&ジョン・オーツ、ディオンヌ・ワーウィック、ティナ・ターナー、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース、ビリー・ジョエル、ブルース・スプリングスティーン、ボブ・ディラン、ポール・サイモン、レイ・チャールズなど蒼々たるメンバーです。
最初にケニー・ロジャースとリッチーの参加が決まり、スティーヴィー・ワンダー、そして、マイケルの参加が決まります。当初は、マイケルは歌うだけの予定でしたが、作詞・作曲もしたいと名乗り出ました。そして、デモテープを作り、1985年1月28日のアメリカン・ミュージック・アワードに参加するアーティスト達に「最重要機密です」と記載した封書を送りました。
当日、午後21時にマイケル・ジャクソンは、ハリウッドのA&Mスタジオに先乗りで到着し、ソロ・セクションとヴォーカル・コーラスの録音を終えました。やがて続々とアーティストが集まります。入り口には、「エゴは捨てようぜ」とクインシー・ジョーンズが書いた紙が貼られていました。そして、29日の午前8時に全てのレコーディングは終了しました。シングルとアルバム、ビデオの合計で6300万ドルの収入となり、すべての印税はチャリティとして寄付されました。当時、プリンスも参加予定でしたが、参加しませんでした(マイケルと歌う予定のパートでした)。
マイケル・ジャクソン・ルック12 ウィ・アー・ザ・ワールドスタイル
- ウールのミリタリー・スタイル・ジャケット。豪華な金の刺繍
- ブラックパンツ
- 白のルーズソックス
- いつもより気合の入ったローファー
マイケル・ジャクソン・ルック13 皇帝戴冠式スタイル
- 金モールの刺繍の入った黒のウール・ミリタリー・ジャケット
- 赤のカラー、カフス、エポレット
- 黒のウールパンツ。ゴールドライン入り
- ブラック・レザー・シューズ。真鍮のプレート使用