究極のフレグランスガイド!各ブランドの聖典ページ一覧にすすむ

伝説の女優

フェイ・ダナウェイ

『俺たちに明日はない』Vol.4|デス・バレエ。死ぬまで踊れ!

死に向かって走り抜けたボニーとクライド。最後に羽ばたく鳥の群れと、地面に伏せる老人。そして、ゴールキーパーのような姿勢を取り、ボニーを見つめるクライドと、クライドに一瞬笑顔を送るボニー。二人の視線が合った瞬間に、『滅びの美学』の幕が切って落とされたのでした。
フェイ・ダナウェイ

『俺たちに明日はない』Vol.3|フェイ・ダナウェイと本物のボニー・パーカー

ボニー・ルックとは、フェイ・ダナウェイ(1941-)が演じたボニーという役柄から名付けられたものです。それは恐らく実在した犯罪者の名前を冠した唯一の「ルック」の名称であり、現存するボニー・パーカー(1910-1934)の写真を見ていても、ボニー自身が、このタイムレスなモードのアイコンであることを示してくれています。
フェイ・ダナウェイ

『俺たちに明日はない』Vol.2|1960年代後半、ベレー帽が大流行する。

フェイ・ダナウェイ(1941-)扮するボニー・パーカー(1910-1934)にベレー帽を被らせるというアイデアは、コスチューム・デザイナーのセオドア・ヴァン・ランクルのものではありません。それは元々、本物のボニーが、ベレー帽を愛用していたからでした。
スポンサーリンク
フェイ・ダナウェイ

『俺たちに明日はない』Vol.1|フェイ・ダナウェイのボニー・ルック

映画が、本格的にファッション業界全体に影響を与えるようになったのはいつかと考える時、絶対に忘れてはならない作品があります。それは『俺たちに明日はない』です。この映画が製作され、公開された1967年以降、映画がファッション業界に与える影響は、決定的なものとなりました。
その他の伝説の女優たち

【去年マリエンバートで】ココ・シャネルとデルフィーヌ・セイリグ

本作品がデビュー作となるデルフィーヌ・セイリグ(1932-1990)の存在感も凄いのですが、その衣装のほとんどが現役バリバリのココ・シャネルがデザインしたものであることも話題になりました。
その他の伝説の女優たち

『去年マリエンバートで』Vol.5|シャネル2011年春夏コレクション

最後に、ココ・シャネルがデザインしたのかもしれないナイトガウンと、カール・ラガーフェルド時代のシャネルにおいて、この作品にオマージュを捧げたコレクションをご紹介させてください。
その他の伝説の女優たち

『去年マリエンバートで』Vol.4|ココ・シャネルがデザインしなかった二着のフェザードレス

シャネルのシンプルなエレガンスがあればこそ、シャネルがデザインしなかった白と黒の2着のフェザードレスは、『去年マリエンバートで』に浮遊感を与える両翼(=善悪の彼岸を生み出すドレス)になり得たのでしょう。
その他の伝説の女優たち

『去年マリエンバートで』Vol.3|シャネルの3着のリトルブラックドレス

ココ・シャネルのデザインした衣装は、3着のリトルブラックドレスを含め合計8着になります。そのどれもが極めてシャネルらしく、時が過ぎても色褪せるどころか、逆に、女性が華やかにエレガントだった時代を教えてくれます。
その他の伝説の女優たち

『去年マリエンバートで』Vol.2|空を飛べる!シャネルのホワイトドレス

主人公「女A」を演じるデルフィーヌ・セイリグ(1932-1990)の動きは、後のファッション・ムービーやフォトに多大なる影響を与えました。そして、この動きの元は、撮影のエキストラとして参加していたディオールのファッション・モデルでした。
その他の伝説の女優たち

『去年マリエンバートで』Vol.1|ファッション業界にもっとも影響を与えた映画

『去年マリエンバートで』は、シャネルの衣裳が映画の中で最も輝いた作品でした。そして、この作品ほどファッションフォトやキャンペーンムービー、ランウェイ、デザインといったあらゆるファッションに関わる物事に対して、現在に至るまで、影響を与え続けている作品はありません。
オードリー・ヘプバーン

【パリで一緒に】エッフェル塔を盗んだ娘

『麗しのサブリナ』(1954)で共演したオードリー・ヘプバーン(1929-1993)とウィリアム・ホールデン(1918-1981)が再び共演したロマンティック・コメディ映画。ユベール・ド・ジバンシィが衣装を担当したオードリーの主演作の中で、最も知名度の低い作品です。
オードリー・ヘプバーン

『パリで一緒に』Vol.4|オードリーとジバンシィのピンクドレス

『パリで一緒に』は、オードリーの作品の中で知名度の高い作品ではありません。しかし、この作品がもし1962年から63年にかけて『シャレード』の前に公開されていたなら、知名度はもう少し高かったはずです。
オードリー・ヘプバーン

『パリで一緒に』Vol.3|オードリー・ヘプバーンとリトルホワイトドレス

ファッション感度の高い女性は、ベルト選びに余念がありません。オードリーのこのリトルホワイトドレスが、彼女の魅力を引き出しているポイントは、水色のベルトと鳥篭のようなスカートのシルエットのバランスにあるのです。
オードリー・ヘプバーン

『パリで一緒に』Vol.2|マレーネ・ディートリッヒとトニー・カーティス

白のベントレーから颯爽と現れるマレーネ・ディートリッヒ。クリスチャン・ディオールのブティックに入るまでの僅か15秒間の出演です。当時60歳とは思えない美貌とスタイル。それは逆の意味で言えば、僅か15秒間だから、かけることの出来た魔法のようなもの。
オードリー・ヘプバーン

『パリで一緒に』Vol.1|オードリー・ヘプバーンとユベール・ド・ジバンシィ

ユベール・ド・ジバンシィが衣装を担当したオードリー・ヘプバーンの主演作の中で、最も知名度の低い作品と言われるのが本作『パリで一緒に』です。オードリー、パリ、ジバンシィ、コメディという王道の組み合わせが、奇跡的に失敗した作品です。
オードリー・ヘプバーン

【モンテカルロへ行こう】無名時代のオードリー・ヘプバーン

パリの楽団が、モンテカルロへ演奏旅行する道中で、赤ちゃんを巻き込んで繰り広げられる他愛のないラブ・コメディの中で、僅か10分間登場するアメリカのスター女優メリッサ・ファレルを演じるのが、無名時代のオードリー・ヘプバーンです。
オードリー・ヘプバーン

『モンテカルロへ行こう』Vol.3|オードリー・ヘプバーンのリゾート・ルック

7番目にクレジットされている約10分程度の脇役としてオードリー・ヘプバーンは出演しているのですが、『ローマの休日』の一年前のオードリーの原石の姿が見れる貴重な作品です。
オードリー・ヘプバーン

『モンテカルロへ行こう』Vol.2|オードリー・ヘプバーンとクリスチャン・ディオール

オードリーをはじめ出演者は、コート・ダジュールのオテル・デュ・キャップに滞在していたのですが、撮影自体は、モンテカルロのオテル・ド・パリで行われていました。そして、そこでオードリー・ヘプバーン(1929-1993)の人生を一変させる出会いがありました。
オードリー・ヘプバーン

『モンテカルロへ行こう』Vol.1|『ローマの休日』前夜のオードリー・ヘプバーン

『ローマの休日』の1年前。1951年5月21日から10月3日にかけて撮影されたのが『モンテカルロへ行こう』でした。フランスの人気ジャズバンドのリーダーであるレイ・ヴァンチュラがプロデューサーと出演を兼ねる本作に、オードリーが出演することを決めたのは3つの理由からでした。
ヴィヴィアン・リー

【風と共に去りぬ】スカーレット・オハラという女の一生

映画史上最高傑作のひとつであり、ファッションに関わる仕事をするものにとっては「クリノリンスタイルのバイブル」である。1939年という年は、9月1日にナチス・ドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦がはじまった年でした。そんな時代に、テクニカラーで作られた作品だったのです。
スポンサーリンク
スポンサーリンク