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マドンナ

マドンナ伝説11(3ページ)

マドンナ
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マドンナ略歴

  • 1958年8月16日 ミシガン州ベイシティで生まれる(6人兄妹の3番目であり長女)。
  • 1977年 ミシガン大学を中退し、35ドルを片手に、グレイハウンドバスでニューヨークへ。
  • 1982年 「エヴリバディ」で歌手デビューを果たす。
  • 1983年 デビュー・アルバム『バーニング・アップ』を発売。全米で500万枚、全世界で1000万枚を売り上げる。
マドンナ略歴続き

 

『エビータ』サウンドトラック(1996年11月リリース)
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マドンナのララバイ。38才からの挑戦。

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「ドント・クライ・フォー・ミー・アルゼンチーナ」 1997年2月リリース。全米8位、全英3位

アルゼンチンのファーストレディであり、クリスチャン・ディオールやシャネル、フェンディというラグジュアリー・ブランドを愛し、それらの贅沢品の購入のために国家予算まで費やしたと言われるエバ・ペロン(1919-1952)。賛否両論の人なのですが、高級娼婦からのし上がり権勢を極めるも、子宮癌で33才という若さで消えていったその悲劇性は人々の心を打って止みません。そんなエバにマドンナが扮した映画それが『エビータ』(監督は『ミッドナイト・エクスプレス』のアラン・パーカー)でした。

あたしはこの役をやるために生まれてきたの。あたしのすべてをこの映画に注ぎこんだのは、自分にすごくよく似てる女性の役だったからよ。精神的にも肉体的にも疲れ果てたし、つわりもあったけど、これまでやった何よりも『エビータ』を誇りに思ってるわ。

マドンナ

アンドリュー・ロイド・ウェバー(「キャッツ」「オペラ座の怪人」「スターライト・エクスプレス」「ジーザス・クライスト・スーパースター」を作曲)の作曲した「エビータ」の数々のスコアを歌うために、マドンナは、38才にして、更なる進化を求めました。

ヴォイス・トレーナーにジョアン・レーダーの協力を得ることに成功し、このブロードウェイの名シンガーを育て上げてきた名トレーナーにより、マドンナは本格的なシアター・シンガーの力量も身に着けることになったのです。マドンナの第5形態の始まりです。それは、本格派シンガーとしてのマドンナの始まりでした。そして、それは喉だけで歌っていたマドンナが横隔膜を使い歌うようになった瞬間でもあったのです。

さぁ、ついに、当初、マドンナの起用に懐疑的だったウェバーの前でのレコーディングの日がやってきたのでした。「私は、あの日、本当に混乱しました。そして、泣いてしまいました。大失敗でした」。大失敗から始まったレコーディング。自分を変えていくという4ヶ月の格闘の末、『エビータ』の全スコアは収録されました。

マドンナは、このレベルのシンガーと比較される土壌に自分を追い込んだのでした。

ひどい間違いをしでかした、と思ったの。撮影初日に家に帰ってこう思ったわ。「絶望的だわ。あたしちっとも歌えないし、なんて役立たずなの」・・・あたしがこの役に決まったとき、あちこちから批判されたわ。エビータをやるには歌も演技も不十分だ、って。『エビータ』をやってるうちに、本来の自分の声を見つけたの。ヴォーカルコーチと徹底的に研究したのよ。そして、自分では出ると思ってなかった音域や性質の声が出ることに気づいたの。それまではそのほんの一部しかつかってなかったのよ。それにしてもいい経験ができたわ。

マドンナ

マドンナとは、常に進化する人です。彼女が人々にとまどいを与えるのはそのためなのです。黒であって白である人。娼婦であって、淑女な人。女性であって男性な人。常に形態を変えていきながら彼女は、自分の目指すパーフェクションに向かって突き進むのです。そう「進化を止めた時、それは完全から遠のくとき」なのです。









本作のコスチュームは、人気コスチューム・デザイナーのペニー・ローズが担当しました。約100着にも上るマドンナのレトロファッションは、世界中にレトロファッション熱を再熱させました。ペニー・ローズは後に『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズの衣装も手がけています。

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『ドント・クライ・フォー・ミー・アルゼンチーナ』ライブ・パフォーマンス

スティッキー&スウィート・ツアー、2008-09年、ブエノスアイレス。