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ロバート・デ・ニーロ

『タクシー・ドライバー』Vol.2|トラヴィス=デ・ニーロの肉体改造

ロバート・デ・ニーロ
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実生活で参考にならない〝負のファンタジー〟

5月10日からはじまるトラヴィス(ロバート・デ・ニーロ)の物語にひとつの山場がやってきます。それは5月26日のことです。大統領候補選対のボランティア・スタッフをつとめる知的な美女ベッツィー(シビル・シェパード)をランチに誘うことに成功したのでした。

スコセッシ×デ・ニーロの素晴らしさ。それは、初対面の美女に対して言ってはならない台詞を連呼して、見事に即デートすることになったトラヴィスの成功の実例が、ファッションからありとあらゆるものまで、実生活でまったく参考にならない〝負のファンタジー〟であるところにあります。

この時にトラヴィスが着ているファッションは、後の『キング・オブ・コメディ』のルパート・パプキンを彷彿とさせる派手なジャケットです(同じスコセッシ監督により1982年に製作され、この作品を見た松田優作に「あれを観てほとんど絶望感じたね。完全に落ち込んじゃった。今世紀生きているうちは、とてもじゃないけど勝てっこねえ。何て言うか役者として誰も行かなかったところに、デ・ニーロはさわった気がするんだ。」とまで言わしめたのでした)。

『キング・オブ・コメディ』のデ・ニーロ。

ベッツィーのドレスは、ダイアン・フォン・ファステンバーグのラップドレス。

映画の中のネクタイは、その男性の台詞以上にその男性のキャラクターを示しています。

マーティン・スコセッシ

そして、ベッツィとのファーストデイトで、トラヴィスは見事に彼女の期待を裏切ったのでした。ポルノ映画館に連れていくという理解しがたいこの時の、トラヴィスの心情は、原作者ポール・シュレイダー曰く、「俺がどんなに最低か見ろ?だまされたのが分かったか?本当の俺を見ろ?好きになれると思ったか?」ということなのです。

そして、ベッツィとのデートで、トラヴィスは唯一ネクタイをつけて現れるのです。

足元はずっと同じウエスタンブーツです。

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トラヴィスのファッション2

ジャケパンスタイル
  • 赤茶色のコーデュロイジャケット。ノッチドラペル広め
  • ブラウン系のネルシャツ
  • または白のカッターシャツとパープル×イエローのアイビータイ
  • ベージュのチノパン
  • カウボーイブーツ(ポール・シュレイダーから進呈されたもの)

マーティン・スコセッシとデ・ニーロ。

このジャケパン・スタイルのバックシルエット。

ベッツィはクリス・クリストファーソンの歌詞を引用し、トラヴィスのことを〝事実と作り話が半分半分の歩く矛盾〟だと評しました。

コーデュロイジャケットにネルシャツ。

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「6月29日」身体を鍛え直し、鋼の筋肉を目指す!宣言。

肉体を刀鍛治のように鍛えていくこのシーンのアイデアを出したのはデ・ニーロ自身なのだろうか?

デ・ニーロが演じると、その役柄の本気が伝わります。

70年代の映画は、ホルスターへの愛に満ちていました。

実はこのアパートの部屋とアイリスのアパートの部屋は同じ建物で撮影されました。

首から上と下のアンバランスさがカッコいい!

デ・ニーロ・アプローチ。それは変身の過程を映画の中で見せてゆく芸の細かさにあります。

食事はいつもチョコボール、ポップコーン、ローヤル・クラウンコーラ、ブランデーと砂糖漬けのパンといったジャンクフード。トラヴィスの人格は、彼を取り巻く環境により作り出されたのでした。彼の心の空白を埋めるのは、ポルノ映画とジャンクフードと日記だけなのです。

そんなトラヴィスが、ベッツィーに振られ、アイリスと出会い、神のコマンドーとなるべく、肉体改造に励むのです。毎朝腕立て伏せ50回、懸垂50回、ガスコンロの炎に握り拳をかざす事少々・・・みたいなことをツラツラと述べた挙句、鏡の自分に向かい腕を組み問いかけるのです。「You Talkin’ to me?(オレになんかようか?)」と。

「お前ダレに向かって言ってんだ?」「ここにはオレしかいないよな」なんて言いながら後ろに振り返り、「なんだこのオレになんだな」ったくコノヤロ~命知らずが~と、薄ら笑いを浮べながら、さっと仕込み銃を自分の鏡像に向ける。そして最後に「お前死んだよ」の一言。

ちなみにこの場面は、デ・ニーロのアドリブでした。脚本には「トラヴィスは鏡を見て、カウボーイを演じ、銃を取り出して自分に語りかける」とだけ書いてありました。ブルース・スプリングスティーンの歌詞と、「禁じられた情事の森」(1967年)のマーロン・ブランドからインスパイアされたと言われています。

このシーンを見て、『太陽を盗んだ男』(1979)の沢田研二をはじめとする世界中の男たちは、アパートの自室で、胸の前で手をパチンと叩く腕立て伏せと、ガスコンロの炎に握り拳を繰り返し、懸垂が出来るように自室を改造したり、自分の中のアイリスを求めて、肉体改造に明け暮れる日々を過ごし、神のコマンドーの仲間入りを果たそうとせっせと努力することになるのでした。そんな男たちが本当に熱かった1976年を運んできてくれたのでした。

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ココまで男性のために作られた映画も珍しい

ここにもう1人の魅力的な登場人物が登場する。その名はスポーツ。演じる俳優は、ハーヴェイ・カイテルである。

誰にも見向きもされないと思ったが、作らずにはいられなかった。興行的には失敗すると踏んでいたが、逆だった。(中略)当時の流れとは逆の映画を作りたかったんだ。(中略)成功することなど期待してなかったんだ。

マーティン・スコセッシ

20世紀において女性の誰一人として共感することがなかった映画『タクシー・ドライバー』。女性から見てここまで理解不可能なシーンのオンパレードの映画は珍しいです。しかし、逆に言うと、女性にとって、これほど男性の屈折した本質を知る役に立つ作品も少ないのです。

まさに以下のニーチェの言葉を、映像で示した作品とも言えます。

女は何もかも謎だ。だが女の一切の謎を解く答えはただ1つである。それはすなわち妊娠である。女にとって男は一つの手段である。目的は常に子供なのだ。

だが、男にとっては女は何であろうか?真の男性は二つのものを求める。 危険と遊戯である。 だからかれは女性を、もっとも危険な玩具として求める。

(中略)あまりにも甘い果実―それは戦士の口にあわない。だから戦士は女性を好むのだ。どんなに甘い女性でも、やはり苦いものだ。

女性は男性よりも、子供たちをより良く理解する。ところが、男性は女性よりも、子供に近く出来ている。真の男性ならば、かれのなかには子供が隠れている。それは遊戯をしたがる。さあ、女性たちよ、男性のなかの子供を発見してごらん!

『ツァラトゥストラはかく語りき』フリードリヒ・ニーチェ

作品データ

作品名:タクシー・ドライバー Taxi Driver (1976)
監督:マーティン・スコセッシ
衣装:ルース・モーリー
出演者:ロバート・デ・ニーロ/ジョディ・フォスター/シビル・シェパード/ハーヴェイ・カイテル