再び迷走するN°5その2=ジゼル・ブンチェン
もはや、N°5のミューズとしてなぜジゼル・ブンチェンなのか理解できないほどに、その存在と香水がマッチしない安易なるスーパーモデル信奉が生み出した陳腐なキャンペーンフィルムの窮みです(監督はバズ・ラーマンなのですが)。
N°5の背後にはミステリーがある。ミステリーこそが、フレグランスに最も重要な要素なのだ。
ジャック・ポルジュ
さて最後に、1920年のオリジナル版と現在のN°5について語っておきましょう。その違いは驚くほどわずかで、違いに気づく人はほとんどいないといっていいくらいです。1980年代にジャコウジカのムスクに似た香りのするニトロムスクの使用が禁じられ、1990年代はじめにN°5は天然ムスクを使用しないようになったのですが、全て代用の合成香料でクオリティをキープしている状況です。
さらに、1979年にシャネルの三代目専属調香師に就任したジャック・ポルジュは、グラース産の高品質なジャスミンの生産量の減少に対応するために、五代に渡る花の栽培農家のミュル家と1987年に独占契約を結び、世界最高品質のグラース産のジャスミンの生産量の安定化を成し遂げたのでした。
かくしてN°5は、永遠の輝きを放ち続けています。そして、誰が新たなるミューズになろうとも人々は、N°5の永遠のミューズはこの二人の女性以外には存在しないことを知っています。ガブリエル・ココ・シャネルとマリリン・モンローの二人です。
二人に共通しているのは、両親の愛を得られず、孤児として生きなければならなかった孤独な生い立ちです。結局はベッドで孤独死を迎える二人なのですが、そんな孤独に生まれ、孤独に死んだ、不幸というスパイスがブレンドされているからこそN°5は永遠の輝きを保ち続けているのです。
100周年を迎えるN°5を紹介するマリオン・コティヤール
2021年に「シャネル N°5」が100周年を迎えるにあたりマリオン・コティヤール(1975-)が新ミューズに選ばれました。ここにシャネルは完璧なミューズを手にするに至ったのでした。
シャネルN°5のミューズの宿命として、過去の偉大なる女優たち(特にマリリン・モンロやカトリーヌ・ドヌーヴ)と張り合える女優でなければならないという点をシャネルはここ10年忘れていました。
その点マリオンは、40代半ばの最も脂の乗り切ったフランス人女優であり(代表作はオスカーをはじめとする世界中の賞を独占した『エディット・ピアフ〜愛の讃歌〜』)、文句のつけようがないキャリアと実力の持ち主です。
彼女は以前はディオールのミューズもつとめていたのですが、フレグランスのミューズになるのはこれが初めてです。
パリ・オペラ座のエトワールであるジェレミー ベランガールをパートナーに撮影されたコマーシャル・フィルムがとんでもなく素晴らしいです。マリオンは、この撮影のために5日間にわたって独創的なバレエの練習に励みました(ちなみに2歳年下の弟は元バレエダンサー)。
1937年のシャネルが着たドレスを再現
マリオンが着ているシャネルのイブニングドレスは、金色の糸を使い、1万枚を超えるスパンコールで花と葉をモチーフにした刺繍が施されています。
それはシャネルのアーティスティック ディレクターであるヴィルジニー・ヴィアールが主体となってパリの手刺繍工房「メゾン ルサージュ」の16人の職人により、アトリエで900時間以上をかけてつくられたものです。
1937年にセシル・ビートン(オードリー・ヘプバーンの『マイ・フェア・レディ』の衣裳デザイナー)が撮影したガブリエル・シャネルが纏っていたドレスから着想を得たドレスです。
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