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マイケル・ジャクソン

マイケル・ジャクソン伝説3(5ページ)

マイケル・ジャクソン
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I’m a Lover not a fighter

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「マン・イン・ザ・ミラー」 1988年1月リリース。全米第1位/全英第11位(2009年第2位)

アルバム『BAD』(プロデュースはマイケル・ジャクソンとクインシー・ジョーンズ)からの第4弾シングルです。映画『THIS IS IT』(2009)のエンディングにも使われた曲。マイケル・ジャクソンのお気に入りの曲のひとつでもある。彼の歌には魂があることが何よりも伝わる曲です。「まずは鏡の前にいる自分から、何かを変えていこうよ?」と言う素晴らしい歌詞。

あるインタビューで、マイケルは、「僕たちはみんな飛べるんだ。 ただ、飛ぶための正しい方法が判らないだけなんだ」と言っています。『スターウォーズ』が公開され、ディスコブーム全盛の1977年というビデオもDVDもない(1930年代から40年代の映画作品に対して人々は大して興味のなかった)時代に、「好きな女優は誰?」と聞かれた当時18才のマイケルは、「ジュディ・ガーランドとベティ・デイヴィス」と答えました。

新しいことを追いかけることよりも、振り返って、その中から素晴らしいものを見つける楽しみを知るほうが、重要なのではないだろうか。映画も音楽もファッションも新しいものの先に見えたのが、人間とテクノロジーとの融合というのは名ばかりの、テクノロジーの利点を生かした利益最優先主義だったのです。多くの新しいものは、もはや人間の手で作られていません。魂を込めた人間の手で作られたものが存在した時代。

マイケル・ジャクソンは、ジュディ・ガーランド(『オズの魔法使い』(1939年))を崇拝していました。そして、彼女の娘ライザ・ミネリとも長い友情関係を築ていました。マイケルの死後彼女が言った言葉が印象的です。「マイケルはね。ステージの上にいるときだけキングだったのよ」

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マイケルの魔法に、キスで返したタチアナ

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「ザ・ウェイ・ユー・メイク・ミー・フィール」 1987年11月リリース。全米第1位/全英第3位

アルバム『BAD』(プロデュースはマイケル・ジャクソンとクインシー・ジョーンズ)からの第3弾シングル。作詞・作曲はマイケル自身です。マイケルの曲の中で、クインシー・ジョーンズの最もお気に入りの曲です。当初マイケルはアルバム『BAD』のために60曲以上の曲をすでに用意していました。そして、3枚組CDでのリリースを考えていました。

PVにも力を入れ、ロング・ヴァージョンは9分の大作です(マイケルの場合、9分だと短く感じてしまうのが不思議です)。相手役のタチアナ・サムツェンジュリアードでバレエを学んだ後、一時期日本でモデル活動もしていました。ラトーヤ・ジャクソンもタチアナの友人役で出演。

タチアナはバッド・ワールドツアーにも合流したが、ライブ中にマイケルと踊っているうちに心が入ってしまい、ファンの前でキスをしてしまい、翌日解雇されてしまいました。そして、無名時代のシェリル・クロウが代役に立てられたのです(このツアーで来日している)。

コンサートを見に来ているファンの前で、スーパースターにキスをしてしまうことは、解雇されてもしょうがないことですが、逆に言うと、この距離でマイケルと向かい合い、彼のソングが流れ、見つめられたならば、真っ白になってしまうのもしょうがないことだと思います。

これが、ブロードウェイ・スタイルです。

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このスタイルもマイケルの定番スタイルです。女性にこそ似合うスタイルです。

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タチアナ・サムツェンとマイケル。似ている二人。

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『晴れて今宵は』(1942年)のフレッド・アステアの衣装よりインスパイアされた。

マイケル・ジャクソン・ルック17 ブロードウェイスタイル
  • 青のボタンダウン・シャツ。シャツインで下のボタンだけ閉める
  • 白シャツ
  • 紐付き黒パンツ。サイドに白ライン
  • 白のソックス
  • 黒レザーのペニーローファー