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【マドンナ伝説】第六章 ラッキー スター|スター誕生!

マドンナ
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ラッキー スター

Lucky Star 1981年8月1日に開局した、ポップソングのビデオクリップを24時間流し続ける音楽専門チャンネルMTVが「見えるラジオ」として空前のブームを巻き起こしていました。そんな中、マイケル・ジャクソンと共に、MTV時代の申し子として、マドンナも、デビュー・アルバム『バーニング・アップ』が、全米で500万枚、全世界で1000万枚の売り上げを記録し、彗星の如くスターの地位に駆け上がっていました。

1983年9月9日に、このアルバムから4枚目のシングル・カットとして、きらめくシンセサイザーのイントロと共にはじまる「ラッキー スター」はリリースされました。そしてアメリカでは「ボーダーライン」の後、1984年8月8日に発売され、全米TOP5の壁を越えることになり、スターとして輝き始めたのでした。

ちなみに「ホリデイ」とこの曲のバックヴォーカルの一人として、1977年から1978年まで、R&B、ファンク、ディスコ・バンドであるシックのリードボーカルをつとめていたノーマ・ジーン・ライトが参加していました。

そんなマドンナの前に、早速、最大のライバルが出現したのでした。その人の名を、シンディ・ローパーと申します。彼女の存在がマドンナに与えた影響力は計り知れません。

マドンナは、この頃、シンディ・ローパーや、カルチャー・クラブのボーイ・ジョージデヴィッド・ボウイが、MTVを有効活用し、変化自在にイメージを変えながらファンを増やしている姿に刺激を受けていました。そして、このMTVこそが、スーパースターとしての地位を獲得するための強力な兵器であると確信しました。

ただしマドンナは、世間の反応に乗るのではなく、世間に反応を起こす側に立つことを心掛けたのでした。

あたしが何かをやるときの基準は、絶対に世間の反応なんかじゃないわ。

マドンナ

概要

曲名:ラッキー スター
原名:Lucky Star
リリース:1984年8月(1983年9月)
最高順位:全米4位、全英14位

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『ロリータ』のようにサングラスをずらし、スターが誕生した。

恋人の男性の肉体を天上の星のように輝かせていると称賛し、導きの星にたとえ、迷ったときにはいつでもそばにいてくれると歌う「ラッキー スター」の作詞はマドンナ自身によります。サイアー・レコードとの契約の実現のためにあらゆる手を尽くしてくれたスターDJマーク・カミンズに捧げる曲として約二週間で作詞作曲しました。

当初この曲がファースト・シングルとして発売される予定でした。しかしマドンナがこの〝元気なラブソング〟を、シングルリリースすることに反対したため叶いませんでした。最終的にマドンナに知らせずに、シングルリリースされ、結果的にこの曲によって、マドンナは全米TOP5の壁を越えることになり、スターとして輝き始めたのでした。

更に、本作のMVにより、マドンナは、10代から20代の女性にとってのファッション・アイコンの役割を果たし、へそを出し、そして彼女が身につけていたリボンやレースの手袋、クロップトップのレイヤード、ラゲッド・スカートとミディアムレギンス、スターイヤリングが、若い女性たちのユニフォームになりました。

ちなみに2000年にマドンナと結婚したガイ・リッチーが同年監督した『スナッチ』(2000)で本曲が使用されています。

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マリポールとエリカ・ベル

マドンナほど、黒の似合うポップスターもいませんでした。

マドンナのスタイリング・アドバイザー・マリポールと友人エリカ・ベルを語らずして、マドンナのファッションについて語ることは出来ません。

1980年代前半のマドンナのファッションに大いに影響を与えた二人です。エリカ・ベルは、「エヴリバディ」「ホリデイ」「ラッキー・スター」「トゥルー・ブルー」「パパ・ドント・プリーチ」にもバックダンサーとして出演しています(ちなみに「ラッキースター」のもう1人のバックダンサーは、マドンナの実弟クリストファー(1960-)です)。

「エヴリバディ」「バーニング・アップ」「ラッキー・スター」「ライク・ア・ヴァージン」の衣装の一部は、エリカが製作したものでした。

マリポールは、デボラ・ハリー、グレイス・ジョーンズのスタイリング・アドバイザーとしても活躍した人で、元々は、アンディ・ウォーホルのスタジオ「ファクトリー」に出入りしていた人です。

1979年には、ブラック・ラバー・ブレスレットや十字架アイテムを専門に扱うアクセサリー・ブランド「マリポリタン」を創立し、80年代を代表するファッション・アイテムとなりました。このラバー・ブレスレットを生み出すきっかけになったのは、彼女が日本を訪れ、寂れた小さな工場で配管用ゴムパッキンを見て、これなら防水使用のアクセを容易に作ることが出来るとインスパイアされたことがきっかけとなりました。

そして、アルバム『バーニング・アップ』と次作『ライク・ア・ヴァージン』において、マドンナのスター・イメージを作り出し、80年代のマドンナ旋風の仕掛け人の1人となりました。

後に、シェール、エルトン・ジョンのミュージックビデオのアート・ディレクターをつとめ、2010年2月には、マーク・バイ・マーク・ジェイコブスのためにTシャツとジュエリーを製作しました。

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マドンナ・ルック9 ラッキースター・スタイル

  • ブラックトップとメッシュニットのクロップトップ
  • ラゲッド・スカート(ボロスカート)とミディアムレギンス
  • ブラックベルトに十字架などの付いたチェーンを重ね付け
  • ラバーブレスレットの重ねづけ
  • 十字架のイヤリングとネックレスとスターイヤリング
  • ブラックレースのカットオフグローブ
  • もつれさせた髪をブラックリボンで結ぶ
  • 黒の厚手のソックス
  • 黒のアンクルブーツ
  • ウェイファーラーのサングラス

メッシュニットのクラップトップもマドンナのアイコンアイテムです。

そして、この絡み合ったモップヘアーに、端正なルックスのギャップ。

当時の少女達はマドンナの虜になっていったのです。

反逆精神のみが、ファッション・アイコンを生み出します。

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マドンナ・ルック10 ボーイ・ジョージを意識したスタイル

『ハーパース・バザー』1984年11月号。フォトグラファー:フランセスコ・スカヴロ。

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『ラッキー・スター』ライブ・パフォーマンス

1985 – HD Artificial Intelligence Remaster

フーズ・ザット・ガール・ツアー、1987年、東京。

フーズ・ザット・ガール・ツアー、1987年。

コンフェッション・ツアー、2006年6月29日。マディソン・スクエア・ガーデン、ニューヨーク。