オン・オフのスイッチの入り方が、演技とは思えない・・・
いわばファッションは社会的なもので、スタイルは個人的なもの。世の中にはスタイルを持つ人と、全く持たない人とがいる。
エドナ・ウールマン・チェイス(1914~1952年アメリカン・ヴォーグ編集長)
近寄りがたい優雅さを保ちながらも、その顔の輪郭がシャープではないからこそ、笑顔に母性とアメリカンな親近感が漂う人。グレース・ケリーの魅力の最大値は、そのオン・オフのスイッチの自然さにあります。百貨店で女性販売員の間でも、一番美人だと評判の人の特徴は、「押し出しは強くなく」「天然でありながら、頼りになる」「〝私って綺麗でしょ〟オーラーを全く出さない」である場合が多いです。これを百貨店女子用語で、『シノビノモノ(忍びの者)』と呼びます。「○○さんは、今日もお綺麗ですね」と言えば、「○○様は、シノビノモノですから」という会話が続くわけです。つまり、美人が、その美しさを前面に押し出さずにいたならば、もう誰も敵わないということです。
ファッションが存在し、そこにスタイルという解釈を加えていくわけなのですが、これは料理で言うところの味付けであり、見た目で分かる味付けもあれば、見た目で分からない味付けも存在します。ファッションにおけるスタイルとは、見える部分と見えない部分の両面が合わさったものなのです。つまり、あまりすべてが見えすぎるとファッション自体がスタイルを失う危険性を孕むということなのです。そして、今、それはインスタやツイッターにおける見えすぎる部分が、ファッション文化のあり方を変えているのではなく、ただ単にスタイルなき、ファッションの膨大なゴミを生み出しているに過ぎない可能性があるのです。
人々は、知性なき写真に対して疲労する傾向があります。まさにポルノ写真がインターネット上に溢れ、若者はセックスに対する興味を失っているように、ファッションの写真の氾濫が、ファッションに対する興味を急激に失わせているのです。写真に言葉という調味料が必要な時代なのです。今ほど、ファッションが言葉を求めている時代はないでしょう。
グレース・ケリー・ルック5 ドライビング・ルック
- ノースリーブのコーラル・ピンク色のシャツに、同色のシルクスカーフ。白に渦巻くシュリンプパターン。白のパイピング。デイ・ドレス風
- 白のコットン生地のグローブ。裏はキャメルのタンレザー
- 少し濃い色のプリーツスカート
- ピンクのスリングバック・サンダル
65分が過ぎてはじめて宝石を身に着けるグレース・ケリー
今は引退している宝石泥棒であるケーリー・グラントの身元を暴くために、花火の夜に彼を部屋に招くグレース・ケリー。「あなたの欲しいものがここにあるのよ?さぁ、この宝石を手にとってみなさい。青白いプラチナに包まれたダイヤモンドの首飾りよ!」と、そそのかす。しかし、彼は「それは本物ではない。イミテーションだ!」と見破る。しかし、グレースは全くひるまずにこう言う。「でも、私は本物よ」と。そんなセリフが似合う女性を、〝グレース・ケリーのようだ〟と呼ぶのです。
(宝石で身を飾りすぎる女性は)首のまわりに小切手をつけているようなものだ。
ココ・シャネル
もし宝石が何かの記号であるなら、それは卑しさの、不正の、または老いの記号でしかない。
ココ・シャネル
イミテーション・ジュエリー。上流階級において、万が一のために通常は本物そっくりに作らせた偽物を身につける。このイミテーション・ジュエリーを流行させた人の名を、ココ・シャネルと申します。1920年にココ・シャネルは閃きました。夫の富のもとで存在しているような女性に対しての挑戦状として、本物のなかに同じきらめきを持つイミテーションを混ぜ合わせることをです。