ブリジット・バルドーとマリリン・モンロー
1956年10月29日に、ブリジット・バルドーはエリザベス女王に拝謁しました。そして、この時、彼女はマリリン・モンローと遭遇したのでした。
オートクチュールのドレスの値段の高さといったら、まるで気違い沙汰だ。私には、たった一晩だけエレガントになるのに、そんな法外な料金を払うことなどとても考えられなかった。・・・そして、ピエール・バルマンは黒のファイユの大きな宮廷風コートといっしょに、真珠とガラスを刺繍した白いドレスを貸してくれることになった。彼はまるで聖体でも貸すというようなもったいぶった態度だった。
ブリジット・バルドー
ロンドンでの前日のリハーサルにおいて、バルドーは、拝謁の場では、黒の衣装は禁止されており、女王陛下だけが黒の着用を許されていることを伝えられる(彼女のコートは黒だったのだ!)。さらに、デコルテドレスも禁止されていたので、急遽ピエール・バルマン自身がロンドンへと飛んでいくことになりました。そして、デコルテを隠すためのリボンの飾りを縫製したのでした。
私はそこで彼女を見た。彼女しか見なかった。そう、マリリン・モンローを・・・。彼女は儀礼のことなど、気にかけず、背中から踝まで露わにした金色のドレスに、ブロンドの髪を輝かせ、魅惑的だった。頬はバラ色でみずみずしく、誰もが抱きしめたく思うほどだった。逆毛が首筋と耳のまわりにかかり、まるでベッドから出てきたばかりのように、自然で、幸福そうだった。
ブリジット・バルドー
私は化粧室で彼女と一緒になった。・・・彼女は鏡に映った自分の姿を眺め、左を向いて微笑み、右を見て微笑した。シャネルの五番の香りがした。私はうっとりして、彼女を眺め、賛嘆していた。自分の髪型のことなど忘れていた。彼女になりたいと思った。彼女の個性、彼女の性格が欲しいと思った。マリリン・モンローと会ったのは、これが最初で最後である。しかし、彼女はわずか30秒間で私を魅惑してしまった。彼女からは優雅なもろさと、いたずら娘の甘さが発散していた。私は決してこのことを忘れないだろう。
ブリジット・バルドー
女王拝謁の日。それはバルドーにとっての永遠の憧れが「マリリン・モンロー」となった瞬間でした。彼女はくしくも、その後「フランスのマリリン・モンロー」と呼ばれるのですが、この運命的な出会いは、永遠の別れでもありました。しかし、一人のアイコンが、国籍を超え、一人のアイコンを魅力した瞬間でした。この二人が、バッキンガム宮殿のあらゆる高貴なるもの達の作り出す空気さえも凌駕したのでした。
1956年10月29日、その日こそ、マリリン・モンローが、世界の美のシンボルの頂点に達し、そして、ブリジット・バルドーが生まれた日なのでした。