私は、処女の娘が、父親とお風呂に入る気持ちが分かる
性は、しかし明らかに語られている。・・・でも、結婚してもいいから、あたしをこのままそばにおいといて下さいと父の瞳をのぞきこむ原節子の表情は、いつまでも一緒にいたいというその言葉以上に見るものを戸惑わせはしまいか。いきなり、横坐りの姿勢を崩して左手を畳につき、瞳を潤ませて父に訴えかけるその振舞いには、ほとんど正視しがたいまでのあられもなさで性が露呈している。 『監督 小津安二郎』 蓮實重彦
「行こうか瓢亭」。瓢亭とは、南禅寺近郊の料理旅館八千代のすぐ近くにあるミシュランの3つ星に輝いた高級懐石料亭です。「朝がゆ」と「玉子」が有名です。京都旅行でのりちゃんが着ているあやめ柄の白地の浴衣が、本当に美しいです。浴衣というものは肌に直接着るものです。だからその人の所作の美しさも醜さもすぐに表に出てしまいます。
そして、父親と一つの部屋で寝るのりちゃんの気持ち。私は、このシーンに関する多くの評論を読んでいて、かなりの違和感を感じました。極めて欲情的な男性目線だなと。のりちゃんの気持ちは、父親の前ではいつまでも娘で入られる安堵感だと、映像からよく伝わります。お父さんと一緒にいることが喜びであることに、変な性的な要素は入り込みません。しかし、それが男性の欲情フィルターを通すと誠に変な解釈が生まれるわけです。
この作品の後、月丘夢路様は、アメリカに一年間滞在した
あやちゃんルック4
- カウルネック・ドレス。パッド入り。美しいドレープの長袖
- パールネックレスとパールイヤリング
最後のお父さんとお酒を飲むシーンで50回以上同じセリフを言わされたという夢路様。1951年7月映画撮影のため渡米しました。そして、一年間アメリカに滞在し、歌と踊りを本格的に学びます(タカラヅカジェンヌであったにもかかわらず)。海外渡航の自由化の遥か前のことでした。そして、帰国後「ひろしま」(1953)に出演します。夢路様は、実は広島市内の薬局の娘として生まれたこともあり、この作品の製作を知り、絶対に出たかったので、所属する映画会社の松竹に掛け合って、ノーギャラで出演しました。
渡米し、1年間滞在し、「ひろしま」という映画の製作に参加する。この人の美貌の中に秘められた戦争という過去。オードリー・ヘプバーンもそうですが、ただならぬ努力の末に何かを勝ち取った人たちの美しさというのは、もう周りに作り上げられた美貌なんてものをゆうに凌駕する普遍性があるんだと、この作品のあやちゃんを見ていて感じました。
原節子様と月丘夢路様。その圧倒的な存在感
この作品が、原節子様、月丘夢路様の小津監督初出演作になりました(杉村春子さんにとっても)。節子様はこの後、小津さんの5本の作品に出演し、〝小津安二郎映画のミューズ〟になりました。笠智衆さんは著書『大船日記』の中で節子様のことをこう書き記されています。
「とにかく、きれいな方でした。昔の女の人としては大柄で、顔立ちといい体格といい、まるでハリウッドの女優のよう。・・・僕が競演したたくさんの女優さんの中でも、一番か二番でしょう。・・・原さんは、きれいなだけじゃなく、演技も上手でした。・・・めったなことでは俳優を誉めなかった小津先生が、「あの子はウマイね」とおっしゃっていたのですから、相当なもんです」
その後の文章が面白いです。「普段はおっとりとして、気取らない方でした。美人に似合わずザックバランなところもありました。・・・僕はほとんど口をきかなかった。僕みたいなもんがお付き合いすると、あの美しさを汚すような気もしまして」笠智衆さん。素敵な方です。月丘夢路様が、「笠さんはいつも緊張しておられました」と言うように、もう映画の中からも人柄が滲み出ている人なんだなと感じます。
日本の和の美しさ。戦後の日本人女性の美しさ。それはまた今は存在しないような日本男児に囲まれ育まれた美とも言えるのです。私は、この映画の中の、特に月丘夢路様の「美」に圧倒されました。それは、「華やかな」という言葉がぴったりの和と洋が折衷されたモダン・ビューティーでした。彼女こそが、21世紀のジャパニーズ・ビューティーの生きる神話だと私は確信しました。