小津さんの映画は、昔のディズニー映画にも似たファンタジーがある
小津的な「存在」は、誰もが澄んだ快晴の日の空気を呼吸するのである。だから、モノクローム画像であれば、色の白壁や洗濯物や女のワンピースの白さが強調され・・・だから、小津の映画で、人は決して天候を気にしているのではない。自分が間違いなく小津の世界にいることを確信するために、「ああ、いいお天気」といい、「今日も暑うなるでェ・・・」と口にするのである。・・・小津では、空は晴れていることしかできないのである。
このとき、人は、小津安二郎を日本的な映画作家と呼ぶことがなにか途方もない間違いであることを理解する。その世界には、雨季が存在しないばかりか、時雨が降りかかったりすることさえないのだ。実際、伝統的な俳句が持っている季語的な修辞学ほど小津から遠いものはない。梅のつぼみのほころぶとか、落ち葉が散るとか、地面に霜が降りるとか、そうした微妙な季節の推移はまったく描かれることがないのだから、・・・小津は、ほとんど残酷といってよい一貫性をもって季節を無視する。・・・そして、夜といえばきまって月夜なのだ。『晩春』の京都の宿の障子に落ちる月影ほど、夜の湿り気から遠いものもまたとあるまい。
『監督 小津安二郎』 蓮實重彦
のりちゃんルック3
- クルーネックの半そでセーター
- グレーのワイドパンツ
晴天の七里ヶ浜で、自転車を走らせるのりちゃんとお父さんの助手。「コカコーラを飲もう」の英語の広告もモダンです。このシーンののりちゃんの美しさは映画史に残る美しさであり、日本女性の美しさを象徴する映像を思い出せと言われたならば、私はその一つとしてこのシーンを躊躇せずに挙げます。
なぜ小津さんの映画を見ると後味がいいのだろうか?気持ちよく睡眠が取れるのだろうか?と考えたときに、その作品に対する理解なんかよりも、もっと環境的なものとしてまた会いたいなと思わせてくれる存在であることに気づきます。暗さがあるのに、暗さのない映画なんです。案外このあたりに、21世紀に創造される新たなる日本文化の真髄へのヒントが隠されているような気がします。
タカラヅカは、日本の和の様式美の一つの形です
あやちゃんルック1
- 白の上質なブラウス。クルーネック。ストロング・ショルダー。バルーンスリーブの形が素晴らしく、先を行くファッション
- 黒のスカート
- シルバーネックリング
- 黒のハンドバッグ
「あやちゃん、近頃盛んなんだってね」って、のりちゃんのお父さんに言われて、眉間に皺を寄せて話す月丘夢路様(1922-)が演じるあやちゃんの表情がとてつもなく魅力的なんです。そんな小津さんが描く、主人公の親友役が、大好きです。『麦秋』と『お茶漬けの味』の淡島千景様、『秋刀魚の味』の岡田茉莉子様など、本当に魅力的です。そして、この夢路様。もうこのオシャレな服装もそうですが、戦後4年にして、これほどエレガントな女性はいないんじゃないかと思うくらい素晴らしいのです。他のタカラヅカジェンヌから妬まれたほどの美貌というだけあって、華やかです。特に目の造形が素晴らしすぎます。
しかし、夢路様、淡島千景様、八千草薫様といった昔の宝塚出身の女優さんは、恵まれていたのかもしれません。それはもう一言で言えば、実際の西欧に触れた人たちと、想像する西欧を探求した人たちの違いでしょう。昔の宝塚の女優さんは、想像する何かを体現していたと思います。何事も身近になればなるほど、その神通力は失われるというものかもしれません。
私は、これからの世にこそ、月丘夢路様という日本の女優のエレガンスさを参考にするべきだと思います。世界中の男性にとって日本人女性が人気のある二つのポイントは、エキゾチックとチャーミングです。夢路様はそのチャーミングさにおいてとても参考になる存在感をお持ちだと思います。