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作品データ
作品名:晩春 (1949)
監督:小津安二郎
衣装:鈴木文次郎
出演者:原節子/笠智衆/月丘夢路/杉村春子/三宅邦子
もっともっと私達は、日本をディスカバーしないといけない
京都に居を構えている私にとって、ここ数年の欧米人観光客の増大は、数字ではなく、目ではっきりと感じるほどです。いよいよ、京都の街も、ローマ、パリに匹敵する芸術の都への道を進んでいくのかもしれません。しかし、今のところ、京都に対する観光客の印象は、マイナスではないが、プラスでもないといったところでしょうか。多くの日本人(特に関西人)にとって興味の無かった伏見稲荷大社が人気があるのも、それだけ、他の京都の観光地周辺が、趣に欠けた一昔前の乱雑な観光地の雰囲気を残しているためなのかもしれません。
京都には、素晴らしい瞬間が多く存在します。午後14時の四条通りから南に下る木屋町の程よい静寂と高瀬川の古めかしさ。南禅寺・天授庵の池泉庭園の現世との隔離感、清水寺ー八坂の塔ー高台寺ラインの素晴らしい石畳に京長屋のカフェ・お土産屋の程好い喧騒感。夜の祇園の白河南通の幽玄さなど挙げればきりが無いほどです。そんな切り取った瞬間はとても魅力的なのですが、全体的な京都の雰囲気を、世界の芸術の都として相応しいかと問われた場合、明らかにその足を引っ張る京都駅の古都に相応しからぬ様相を筆頭とする、京都を凡庸化する多くの要素により、その潜在能力値の100のうち1程度しか芸術性は示されていないように思えます。
観光地付近の多くの店がシャッターを閉めています(不景気のためというよりも、高齢のためという原因がほとんどです)。お漬物屋さんと、古すぎる感覚のお土産屋さんと、小川珈琲よりおいしくも無く、それより高いカフェしか存在しない名所も多くあります。芸術的なお土産が買える場所が非常に少ないです。2020年の東京五輪を控え、私達は、海外から日本を訪れる人々が増大するという確信だけは持つことが出来ます。つまり日本文化に関わる仕事が増えるということです。
だからこそ、ファッションに関しても、日本の和をより深く理解した上での、和の芸術性を反映したファッション・アイテムの誕生が、ドメスティック・ブランドにおいて(もしくはインポート・ラグジュアリーにおいても、京都の定番アイテム)、至上課題となります。世界中の文化教養の高い人々に感動して頂ける何かを創造していくためにも、今ほどに、日本文化をディスカバリーするに相応しい時期は無いのです。その一端として、日本映画を通しての日本のファッションと美意識を見ていきましょう。
着物とは、日本人にとって必要の無いものなのか
のりちゃんルック1
- 小花散る小紋。薄ピンクと思われる振袖
- 帯は葉柄の光沢のある素材
- 黒かこげ茶のレザーハンドバッグ
最初に小津さんの作品を拝見したとき、昔の日本家屋の美しさと、程好い寂れ具合に感動しました。セットで撮影されたことは重々承知なのですが、その日本の和を積み重ねていく果てにあるセット全体が生み出す得も知れぬ空気に圧倒されました。「あ!私は日本を見てるんだ」と感じたのです。
原節子様(1920-2015)が演じる紀子(以下のりちゃん)の着物姿で一礼から始まる映画なのですが、着物を堅苦しく着ているというよりも、生活の中で着てるんだなと伝わってきます(杉村春子さんがのりちゃんの帯にそっと触れるときの仕草のさりげなさが実に暖かいのです)。能楽を見てるシーンにおいてもそうなのですが、昔は、日本人は日本文化と密着して生きていたんだなと感じさせてくれます。
続いてやってくる三宅邦子さん(1916-1992)がまた美しいのです。派手な黒地に楓の葉の総柄。生け花が壁画のように並ぶモダンな帯に驚かされます。私はこの人の垂れ目と、横から捉える無表情な顔の造形が大好きです。
さてこの映画の中の音楽が実に素晴らしいです。電車シーンにや自転車シーンに切り替わる時の、あのなんとも弾けたキラキラ感たっぷりの伴奏。今の感覚からすると不思議な浮遊感たっぷりの音楽です。特にのりちゃんが、自転車に乗るシーンのあの現実離れ感が素晴らしいです。あんな笑顔で自転車をこぐなんて、もうアニメの世界です。小津さんの映画を見ていて、感じるのは、コマーシャルのような魅力的な瞬間を切り取った映像が見事に組み合わさっている感じがします。それほどどの絵もすごく拘っています。