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マドンナ

マドンナ伝説7(3ページ)

マドンナ
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マドンナ略歴

  • 1958年8月16日 ミシガン州ベイシティで生まれる(6人兄妹の3番目であり長女)。
  • 1977年 ミシガン大学を中退し、35ドルを片手に、グレイハウンドバスでニューヨークへ。
  • 1982年 「エヴリバディ」で歌手デビューを果たす。
  • 1983年 デビュー・アルバム『バーニング・アップ』を発売。全米で500万枚、全世界で1000万枚を売り上げる。
マドンナ略歴続き

 

3rdアルバム『トゥルー・ブルー』(1986年6月リリース)続き
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さぁ、私を見て、あなたのハートを解き放つのよ!

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「オープン・ユア・ハート」 1986年11月リリース。全米1位、全英4位

マドンナは演じない。彼女は、その時代に全身を委ねる人である。ブリジット・ニールセンとヴァニラ・アイス、そして、グレース・ジョーンズを髣髴とさせるマドンナのショートカット。それは、少し『ビーバップ・ハイスクール』の仲村トオル風でもあり、アンドロギュヌス的とさえ言えます。そして、マドンナのメイクは明らかに、タマラ・ド・レンピッカ風です。どこかサイボーグのようであり、現実的ではないその動きを見事に映像の枠に収めているところが素晴らしく、それが、トムボーイ風のグレーのスーツに身を包んだマドンナが少年と『モダンタイムス』風に去っていく映像の余韻との見事なギャップの閃光を放っています。

そう、(もともとシンディ・ローパーのために書かれた)この曲のビデオクリップにより、マドンナの新しいイメージが生み出されたのでした。それはマーリーン・スチュワートのデザインによるボディスーツ・スタイルです。そのイメージは『キャバレー』のライザ・ミネリであり、『嘆きの天使』のマレーネ・ディートリッヒ、そして、『ギルダ』のリタ・ヘイワースでした。クールな容姿で、溢れんばかりのエロスを撒き散らすが、決して男には媚びていない。「女が憧れるセクシーな女性像」という領域に、ついにマドンナは達したのでした。そして、これこそが、マドンナが決して色褪せないスーパースターとして今も最前線で活躍する根源となったのでした。

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どこか、ボーイッシュな危険な魅力を放つマドンナ。

筋肉質な脚にこそ、ショーツブーツは似合うもの。

マイリー・サイラスが、いかにマドンナに憧れているかが分かります。マイリーになくて、マドンナにあったものは何でしょうか?

それは間違いなく芸術的な感性でしょう。

マドンナ・スタイル13 ボディスーツ・スタイル
  • マーリーン・スチュワートのデザインによるゴールデンスタッズ・ブラック・ビスチェ
  • スティレットヒール
  • フリンジ付きロングブラックグローブ
  • 黒の網タイツ

チャップリンの『キッド』をモチーフにした少年とのダンス。

マドンナのスタイリングの基本はロールアップ。

トムボーイスタイルの象徴になるファッションです。

マドンナ・スタイル14 トムボーイ・スタイル
  • ルーズ・フィットのグレイ・ズートスーツ
  • 白のボタンダウンシャツ
  • 黒のハット
  • メンズライクなブラックレザーシューズ
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そして、プライベートのマドンナ。キマってます!

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『オープン・ユア・ハート』ライブ・パフォーマンス

フーズ・ザット・ガール・ツアー、1987年。

ブロンド・アンビション・ツアー、1990年、フランス・ニース。