サンタマリアノヴェッラ阪急うめだ本店
2025年8月27日に、阪急うめだ本店3階に、フレグランスゾーンが出来上がりました。既にあるフレグランスコーナー(ブルーベルとカワベとフォルテとコティ、アイアム)とは一線を画するハイセンスなワクワクする空間が出来上がっています。
場所 大阪・梅田
住所 大阪府大阪市北区角田町8‐7 阪急うめだ本店 3F
電話 06‐6313‐7987
サンタ・マリア・ノヴェッラとは?

©Santa Maria Novella

カトリーヌ・ド・メディシス
サンタ・マリア・ノヴェッラは、世界中で現存する最古の薬局です。正確な名前をOfficina Profumo-farmaceutica di Santa Maria Novella(オフィチーナ・プロフーモ・ファルマチェウティカ・ディ・サンタ・マリア・ノヴェッラ)と呼ぶこの薬局は、1221年に、フィレンツェに移住したドミニコ会の修道僧たちが薬草を栽培し、薬剤、軟膏、鎮痛剤などの調剤活動をしたことからはじまります。
14世紀からイタリアではじまるルネサンスの時代には、レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)がオレンジの花の冷浸法を試みたように、香水文化の中心はイタリアのフィレンツェでした。
やがて1612年に、メディチ家の盟主であるトスカーナ大公国より、正式に薬局として認可され一般に薬局として開放されるようになりました。
修道院の名が世界中に轟くようになったのは、カトリーヌ・ド・メディシス(1519-1589)が、1533年9月2日にフランス王家ヴァロワ朝のアンリ2世(父王は〝フランスのルネサンスの父〟と呼ばれるフランソワ1世)に嫁ぐ際に、王への愛の贈り物として、ドミニコ修道士たちに「アックア デッラ レジーナ(王妃の水)」というオーデコロンの原点ともいえる香水を作らせ、フランスに持ち込んだことからでした。当時二人とも14歳でした。
この香りは、彼女と共にやって来たお抱えの香水商レナート・ビアンコと共に宮廷で認められ、やがて、カトリーヌが持ち込んだ、イタリア料理や演劇、ファッションといったイタリアのルネサンス文化と共に、宮廷を訪れた世界各国の王族たちも虜にしていきました。
サンタ・マリア・ノヴェッラの『聖地の中の聖地』

©Santa Maria Novella

©Santa Maria Novella
そんなサンタ・マリア・ノヴェッラの一号店が出来たのは、2001年に北青山(港区北青山2-13-5 青山サンクレストビル1F)からでした。そして銀座に旗艦店が誕生し、2007年4月27日にオープンした新丸の内ビルの1Fに、国内の二つ目の旗艦店となる「サンタ・マリア・ノヴェッラ 丸の内」が誕生しました。
2023年8月に、それまで日本国内の販売事業を行っていた、ヤマノの事業を引き継ぎ、日本法人が誕生しました。この時、日本上陸15年目の2010年からイソップを日本に定着させていった春日亜希氏がCEOに就任しました。
以後、ブランド初となるオードパルファムも発売され、香水接客のスタイルもよりお客様に寄り添うスタイルへと変化していくことになりました。
2020年1月にサンタ・マリア・ノヴェッラは阪急うめだの7階にHANKYU BEAUTY MAISONの一店舗としてオープンしていたのですが、ココとモルトン・ブラウンは、二階と三階に集中しているフレグランスコーナーからはかけ離れた上層階に存在するため、ひっそりと生息していました。
そして時は過ぎ、2025年8月27日に、阪急うめだ本店3階に、フレグランスゾーンが出来上がり、そのど真ん中に降臨することになったのでした。
こちらの店舗におられる二人の男性販売員様はとても素晴らしいです。ひとりは元々バイレードでも働かれていたことのある方で、この方ほど、香水接客の向上について考えておられる方はなかなかいないという程、勉強熱心な方です。
そして、もう一方、この方は、元々ディプティックで働かれていたこともあり、明るくて、香水に対する愛が迸るような明るいオーラを放つ方で、御二人とも、ファンが多い、人気のある販売員様です。
そんな二人と共に働かれている女性販売員の方々も度の方々も素晴らしく、全国的に見ても、これほど素晴らしいサンタ・マリア・ノヴェッラの店舗はないと言っても言い過ぎではないでしょう。
若い世代の香水販売員の方々は、情報を取る能力にも長けており、さらに行動力もあり、表現力も豊かで、素晴らしい方々が多いです。