【勝手にしやがれ】
À bout de souffle フランス映画界だけでなく世界の映画界に革命を起こしたヌーヴェルヴァーグの金字塔であり、ジャン=リュック・ゴダールの長編デビュー作。フランソワ・トリュフォーの原案をもとに、元々戦場フォトグラファーだったラウル・クタークにフィルムカメラを持たせ、ゲリラロケ撮影を行い、脚本なしで、即興の演出により生み出された映像を、ジャンプカットという映画の文法を無視した編集手法により、いまだかつてない映画に仕上げました。
この作品で主役のミシェルとパトリシアを演じたジャン=ポール・ベルモンドとジーン・セバーグは国際的な大スターとなり、彼らのスタイルは、60年代の若者に大いに影響を与えました。特に、ジーン・セバーグのベリーショートの髪型は、世界的に爆発的に流行しました。
1959年8月17日から9月15日にかけて、わずか1ヵ月足らずで撮影されたこの作品は、日仏共に1960年3月に公開され、ヌーヴェルヴァーグの作品としてだけではなく、ジェット時代にぴったりな『パリの街を世界中の皆様にお伝えするパリ紀行』を映像で伝えてくれる役割も果たすことになりました。
人々はこの作品を見て、物語に感情移入しながらも、パリの魅力。等身大のパリの素晴らしさにうっとりしたのでした。カラーではなくモノクロだからこそ、光がパリを美しく、柔らかく包み込んでくれているのです。
あらすじ
エールフランスのパーサーをしていたミシェル・ポワカール(ジャン=ポール・ベルモンド)は、女と自動車はただで転がっているという感覚で生きている自動車泥棒を稼業とするチンピラです。マルセイユにいるミシェルは、三週間前にニースで知り合ったパトリシア(ジーン・セバーグ)に会うために、自動車を盗み、パリに向かいます。
しかし、パリに向かう途中で白バイ警官を射殺してしまい指名手配されてしまいます。なんとかパリに到着したミシェルは、女友達のリリアンの金を盗み、逃亡資金に充てます。大金の小切手を手に入れ、後はこの現金化に成功しさえすればローマに逃亡することが出来ると考えています。
そして、シャンゼリゼ通りで、ニューヨーク・ヘラルド・トリビューンの売り子をしているパトリシアと再会するのでした。アメリカ人の彼女は、ソルボンヌ大学の学生です。ミシェルは彼女のアパートメントに無断で転がり込み、一緒にローマ逃亡をしようと持ちかけながら、二人はまったりとしたひと時を過ごします。
やがて、パトリシアはジャーナリストとしての初仕事に向かいます。一方、それに付き添ったミシェルは、金策に励むのですがことごとく失敗してしまいます。ついにパトリシアのもとに刑事が訪ね、ミシェルが指名手配であることを知ることになります。
当初、刑事の尾行をまき、ミシェルと自動車泥棒し、一緒に逃亡していたパトリシアだったが、翌日、刑事に密告するのでした。無事、ベルッチから現金を受け取ったミシェル。しかし、歩道には刑事が待ち構えていました。逃げるミシェルの背後に響く銃声…つんのめって倒れたミシェルは、駆けつけたパトリシアに「最低だ」と言って死ぬのでした。
ファッション・シーンに与えた影響
1960年に公開された『勝手にしやがれ』は、あらゆる意味でファッションの常識を覆した作品でした。この作品がファッション・シーンに与えた影響は破壊的であり、特に以下の七点を上げることが出来ます。
- セシルカットの進化形が、60年代のピクシーカット・ブームの導火線に火をつけた
- アンチ・パリモード=フレンチ・カジュアルの教科書の誕生
- ファム・アンファン。ブラをつけず、男性のシャツを着て、彼の帽子をかぶる、少年のような美少女の誕生
- 少年のように着こなすバーバリーコート
- 〝フレンチボーダーの教科書〟
- フランス人形のようなニュールック・ボーダーワンピース
- ジャケパン・スタイルのルールを壊す=オーバーサイズの美学
何よりもセシルカットの進化形を世界の女性に見せ、自由気ままなフレンチ・カジュアルの精神を1960年代の世界に広めたこの作品の功績はすさまじく、この作品以降、パリモードは、フレンチカジュアルの言葉に取って代わられるようになったのでした。
そして、もうひとつ忘れられがちなのは、ジャン=ポール・ベルモンドがただ役柄の上で、オーバーサイズでメンズ・スタイルの文法を壊していたことが、現実のメンズ・ファッションの文法の破壊へとつながっていったことでした。
作品データ
作品名:勝手にしやがれ À bout de souffle (1960)
監督:ジャン=リュック・ゴダール
衣装:クレジットなし
出演者:ジーン・セバーグ/ジャン=ポール・ベルモンド